2015年12月27日日曜日

【第531回】『私の個人主義』(夏目漱石、青空文庫、1914年)

 1914年11月に学習院で漱石が行なった講演録である。主要な作品の発表時期からすると、『こころ』を執筆し終えた後である。現在から約一世紀前に述べられた漱石の考える個人主義に、感銘を受けたり考えさせられたりするところに、文豪としての凄みを感じさせられる。

 その名講演が、自虐的なウィットに富んだ表現から始められるのは、漱石の漱石たる所以であろう。

 私から見ると、この学習院という立派な学校で、立派な先生に始終接している諸君が、わざわざ私のようなものの講演を、春から秋の末まで待ってもお聞きになろうというのは、ちょうど大牢の美味に飽いた結果、目黒の秋刀魚がちょっと味わってみたくなったのではないかと思われるのです。(Kindle No. 74)

 落語の噺として有名な目黒の秋刀魚を枕に置いた上で、漱石は自身の講演を卑下してみせる。自己卑下は、行き過ぎると聴いていて居心地悪いものであり、その加減が難しい。新聞小説で広く一般の人々を対象にして読者を得た漱石が、多くの日本人にとって秋の味覚である秋刀魚に自分をたとえているのは、絶妙な喩えと言えよう。

 私はそれから文芸に対する自己の立脚地を堅めるため、堅めるというより新らしく建設するために、文芸とは全く縁のない書物を読み始めました。一口でいうと、自己本位という四字をようやく考えて、その自己本位を立証するために、科学的な研究やら哲学的の思索に耽り出したのであります。(Kindle No. 252)

 イギリス留学時の苦労について語った箇所である。日本における文芸論を考え詰めて壁にぶつかった漱石は、個人主義の大本とも言える自己本位という概念に至る。そうした時に、それまで固執してきた文芸とは異なるジャンルへの研究と思索を開始したという。この個人的な経験を抽象化して、以下のような学生へのメッセージとして置き換える。

 私の経験したような煩悶があなたがたの場合にもしばしば起るに違いないと私は鑑定しているのですが、どうでしょうか。もしそうだとすると、何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。(Kindle No. 305)

 ここで読み取りたい重要な含意は二点ある。第一に、努力を続けていると、時に煩悶したり悩んだりすることは当り前のものであるということであろう。姜尚中氏の『悩む力』(姜尚中、集英社、2008年)でのエントリーにおいて、漱石作品をもとにして考え、思い、悩むことの意義と効用について考察したので、詳細はそちらを当たられたい。第二に、何かを深掘りして究めようとすることと、間口を広げようとすることは必ずしも矛盾するものではなく、同時並行で行なうものであるということである。もちろん、ある一時点で二つ以上のことを同時に行なうことは物理的に不可能であろう。しかし、中長期的なスパンで自身を眺めれば、意識的に両者を並行して行なうということが研究したり学ぶことであり、これが生涯学習ということの本質なのではないだろうか。

 仕事をして何かに掘りあてるまで進んで行くという事は、つまりあなた方の幸福のため安心のためには相違ありませんが、なぜそれが幸福と安心とをもたらすかというと、あなた方のもって生れた個性がそこにぶつかって始めて腰がすわるからでしょう。そうしてそこに尻を落ちつけてだんだん前の方へ進んで行くとその個性がますます発展して行くからでしょう。ああここにおれの安住の地位があったと、あなた方の仕事とあなたがたの個性が、しっくり合った時に、始めて云い得るのでしょう。(Kindle No. 335)

 生涯を通じて学ぶ上での重要な手段の一つとして、私たちは働く。したがって、仕事においても、私たちは一所懸命に深掘りをしながら、かつ専門を拡げていくことが重要である。それは、社会にとっても、自分自身の幸福にとっても、大事なことなのであろう。現代においては、仕事じたいの質と定義の変容の速度と幅が大きくなっているのであるから、漱石の述べる「安住の地位」とは不変のものではなく常に変わる存在である。こうした時代であるからこそ、仕事や職務という一時点における概念定義と共に、キャリアという時間軸の広い概念をも意識することが私たちにとって必要なのであろう。

 前半において、個人としての生き方という側面における個人主義を述べた上で、漱石は、個人主義とは自分自身にのみ根ざしたものではないという指摘を加えていく。西洋近代が経験した個人視点からの近代化を経験していない日本人にとって、以降の漱石の指摘には刮目すべきものが多い。

 第一にあなたがたは自分の個性が発展できるような場所に尻を落ちつけべく、自分とぴたりと合った仕事を発見するまで邁進しなければ一生の不幸であると。しかし自分がそれだけの個性を尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然になって来るでしょう。(Kindle No. 373)

 近頃自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手な真似をしても構わないという符牒に使うようですが、その中にははなはだ怪しいのがたくさんあります。彼らは自分の自我をあくまで尊重するような事を云いながら、個人の自我に至っては毫も認めていないのです。いやしくも公平の眼を具し正義の観念をもつ以上は、自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、その自由を他にも与えなければすまん事だと私は信じて疑わないのです。(Kindle No. 384)

 個人の自由は、他者における個人の自由との折り合いをつけることを前提とした、留保つきの自由である。これが、私たちの多くが頭では分かっていても、時に見落としがちな観点ではないだろうか。そして、そうした見落としは、時代を経るに従って、つまり自由を実現する手段が増えてきている現代において、正比例的に増してきているようにも思える。

 いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発揮する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。それをもう一遍云い換えると、この三者を自由に享け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起って来るというのです。(Kindle No. 426)

 だからこそ漱石は、自由としての個性を発揮する上で、修養を重視する。精神を修養し、自らを律すること。その前提のもとに、個人主義は社会において成立する。こうした相対的な個人主義は、国家との関わりを考える上でも有効だ。とりわけ、現代の日本という国における事象を考えれば、一世紀前に現代の日本に警鐘を鳴らすような表現が為されていることが興味深い。最も印象的な部分を最後に引用してみよう。

 いったい国家というものが危くなれば誰だって国家の安否を考えないものは一人もない。国が強く戦争の憂が少なく、そうして他から犯される憂がなければないほど、国家的観念は少なくなってしかるべき訳で、その空虚を充たすために個人主義が這入ってくるのは理の当然と申すよりほかに仕方がないのです。(中略)その日本が今が今潰れるとか滅亡の憂目にあうとかいう国柄でない以上は、そう国家国家と騒ぎ廻る必要はないはずです。家事の起らない先に火事装束をつけて窮屈な思いをしながら、町内中駈け歩くのと一般であります。(Kindle No. 553)


2015年12月26日土曜日

【第530回】『白楽天 ー官と隠のはざまで』(川合康三、岩波書店、2010年)

 詩人という職種には、身体面にしろ、精神面にしろ、何らかの欠落を動機として芸術作品を創り上げるような、どこか不幸なイメージを内包する。しかし、白居易はそうではなかった。彼はどのようにして幸福をもとにして詩作を行なったのか。

 一つは与えられた条件に満足するという彼の態度による。「自足する」、「足るを知る」、こうした言葉は白楽天の詩文のなかにたびたび見える。彼が今置かれている条件に自足する端的な例は、年齢に関する言述にみえる。三十七歳の時、「年を取っているともいえず若いともいえない今がちょうどよい」とうたう(「松斎に自ら題す」詩)。四十七歳の時には「三十代は血気盛んで迷いも多い、六十代になれば体も言うことをきかなくなる。今が一番だ」(「白雲に期す」詩)と言う。六十歳になったらなったで「三十、四十は欲望に縛られる。七十、八十は病気がまといつく。五十、六十の今こそ心身ともに安らかでいられる」(耳順の吟 敦詩・夢得に寄す」詩)と自足する。いずれの時点においても人生のなかで今ほどよい時期はないと満足の思いをうたうのである。(7頁)

 老子を彷彿とさせられると共にほっとさせられる考え方である。もう一つは孔子の中庸を想起させる以下の部分に端的に示されている。

 中間の状態をよしとする態度も白楽天の文学に顕著に見られる。自分の今の年齢に満足するのも、それぞれの年齢を若すぎもせず年を取りすぎてもいない中間状態とみなし肯定していたのだった。年齢に限らず様々な事象について、両極の中間こそ望ましいというのだが、なかでも彼の文学や人生に深く関わるのは、官と隠の中間の状態である。(8頁)

 中国の伝統のたくましさと豊かさを感じさせる。一つひとつの古典が以前のものを踏まえており、時に対立構造を構成しながらもお互いがお互いを補い合っているとも解釈できる。私たちが学べる部分は依然として多いようだ。


2015年12月23日水曜日

【第529回】『ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 詩経・楚辞』(牧角悦子、角川書店、2012年)

 四書五経の一つである詩経。その詩経と並び称される古典的詩集である楚辞。その二冊の入門書として最適な一冊である。

 儒教とは、人と人との繋がりを大切にする教えです。子が親を敬うという孝の意識を中心に据えて、それを家族から村へ、村から国、そして天下国家に及ぼすことによって、理想の社会を築こうとする教えです。人と人との繋がりを大切にするためには、規範が必要です。目上の者を敬いましょう、嘘をついてはいけません、礼儀正しく振舞いましょう、などなどの規範を、これらの経典が提供することになります。詩は『詩経』として経典になった時点で、道徳規範の教科書になっていくのです。(18~19頁)

 なぜ詩集が四書五経という中国の文化の要諦を為すテクストの一冊として挙げられるのか。そうしたビギナーが抱く疑問に端的に回答したのが上記の部分であろう。詩経では、様々な人と人の関わり合いが描かれる。そうしたものの描き方は、人と人との繋がりを大切にする儒教の教えと通底したものなのであろう。

 以下では、最も印象的であった詩を一篇だけ紹介してみることとする。

 蟋蟀 堂に在り
 役車 其れ休めり
 今 我れ楽しまざれば
 日月 其れ慆ぎん
 已だ大いに康しむ無く
 職めて其の憂を思え
 楽を好むも荒むこと無かれ
 良士は休休たり(94〜95頁 唐風「蟋蟀」より)

 ゆったりとくつろぐことの重要性を説いている詩である。とはいえ、今をたのしめと言っているかと思えば、度を過ぎてたのしむことを諌めて将来の心配をすることも同時に述べている。いたく考えさせられるとともに、どこか心がゆったりとする詩だ。


2015年12月20日日曜日

【第528回】『項羽と劉邦(下)』(司馬遼太郎、新潮社、1984年)

 本書の解説で谷沢永一氏が人望について触れているが、劉邦のリーダーシップの根源は、一言で言えば人望にあるのだろう。

 味方に対するこの約束をはたさねば、劉邦は信をうしなう。味方の忠誠心の上に浮上している劉邦としては信だけで立っている。ひとびとに信じられなくなれば、劉邦のように能も門地もない男はもとの塵芥にもどらざるをえない。(12頁)

 約を守ること。当り前と言えば当り前のことであるが、約束を必死に守ろうとすることが、一人の人間を将として成り立たしめる。

「陛下は、御自分を空虚だと思っておられます。際限もなく空虚だとおもっておられるところに、智者も勇者も入ることができます。そのあたりのつまらぬ智者よりも御自分は不智だと思っておられるし、そのあたりの力自慢程度の男よりも御自分は不勇だと思っておられるために、小智、小勇の者までが陛下の空虚のなかで気楽に呼吸をすることができます。それを徳というのです」
 (中略)
「知世の徳ではありませぬ。三百年、五百年に一度世が乱れるときには、そのような非常の徳の者が出てくるものでございます」(256~257頁)

 張良が劉邦に語るシーンである。老荘を重視する張良ならではの発言とも捉えられるが、空や無の持つ力強さを感じさせる。何かがあるのではなく、無いことによって、変幻自在に自分自身を変えることができる。不安な時には何かを得たり身につけようとしてしまう。

2015年12月19日土曜日

【第527回】『項羽と劉邦(中)』(司馬遼太郎、新潮社、1984年)

 勝利と敗北を繰り返す劉邦。時に大敗を喫しても、常に重要な人材を惹き付ける不思議なリーダーシップの有り様に感じさせられる中巻である。

 長者とは人を包含し、人のささいな罪や欠点を見ず、その長所や功績をほめてつねに処を得しめ、その人物に接するとなんともいえぬ大きさと温かさを感ずるという存在をいう。この大陸でいうところの徳という説明しがたいものを人格化したのが長者であり、劉邦にはそういうものがあった。(7頁)

 劉邦は、おそらくは純然たる善人ではない。しかし人としての器が大きいのであろう。それが、他者を引き寄せる引力となっている。

 劉邦は口ぎたなくののしったり、腹を立てたりするとき、かえって愛嬌が出てしまう。ひょっとするとひとの親分である劉邦の本質はそれではないかと思われるほどであった。(241頁)

 誉めたり肯定的なフィードバックを与えることがマネジメントの重要な行動であることは、ビジネス・パーソンにとって自明のことである。しかし、ネガティヴな感情を出したり、ネガティヴなフィードバックを与える時に着目してみることは少ない。劉邦の場合、そうしたネガティヴな言動を出す際に、そこに愛嬌が出るとしている。これは、人間という存在を考える上で面白い事象であろう。

 張良は思った。あるいは劉邦が劉邦であるのは、自分の弱味についての正直さということであるかもしれなかった。(109頁)

 劉邦を取り巻くキーパーソンの一人である張良による劉邦評である。オープンネスというと聞こえはいいが、リーダーが自分を虚飾せず、弱味も含めて正直に曝け出すということはなかなかできるものではない。しかしそうであるからこそ、劉邦のリーダーシップが際立つのではないだろうか。

 韓信のみるところ、愛すべき愚者という感じだった。もっとも痴愚という意味での愚者でなく、自分をいつでもほうり出して実体はぼんやりしているという感じで、いわば大きな袋のようであった。置きっぱなしの袋は形も定まらず、また袋自身の思考などはなく、ただ容量があるだけだったが、棟梁になる場合、賢者よりはるかにまさっているのではあるまいか。賢者は自分のすぐれた思考力がそのまま限界になるが、袋ならばその賢者を中へほうりこんで用いることができる。(171頁)

 何とも趣き深い表現である。賢い人間は、自身を過信するために他者に頼ることができず、自分の能力の限界が自分の為せる限界になってしまう。それに対して、他者に委ねられるリーダーは、他者の力をも自分の力に変えることができる。

2015年12月13日日曜日

【第526回】『項羽と劉邦(上)』(司馬遼太郎、新潮社、1984年)

 読む本を選ぶという行為は、点と点を線で結ぶようにして行なわれるものなのかもしれない。最近『史記』の解説本を読んだことで劉邦に関心を持ち、彼について扱っている本書を十数年ぶりに読み返したいと思った。当時、歴史小説に食傷気味であったのに強い印象を抱いた本作を、読み返すことでどのような気づきを得られるか、自身に興味があったのである。

 果して、劉邦という、ヒロイックではない存在のリーダーシップに対して強く関心を抱いた。上巻を読んだ段階では、そのリーダーシップの源泉がにわかには分からない。しかし、なにか得も言われぬ魅力がある人物である、ということは伝わってくる。

 信陵君の徳のきわだった特徴は謙虚であることだった。いかなる身分の者でも賢才と見れば師表と仰いでへりくだったが、劉邦はそうはせず、蕭何をばかにし、ときにひどく乱暴で無作法であった。もっとも信陵君は貴族だったからへりくだりも徳でありうるが、劉邦のような素寒貧の無頼漢は、うかつに蕭何などにへりくだれば哀れみを乞うているようで、謙虚とは人は見てくれない。(103頁)

 謙虚とは、人間の持つ美質の一つであることに疑いはない。しかし、ここでの記述が興味深いのは、そうした美質が良く作用しない可能性があるという社会における本質が指摘されている点であろう。そして、それを漢という大帝国を後に起す劉邦が、自ずと体現していることが面白い。

 劉邦という男は、こういう場合、自分の判断を口走らずにひたすらに子供のような表情でふしぎがるところがあった。そういう劉邦のいわば平凡すぎるところが、かえってかれのまわりに、項羽の陣営にはない一種はずみのある雰囲気をつくりだしていたといえる。幕僚や武将たちは、劉邦の無邪気すぎるほどの平凡さを見て、自分たちが労を吝むことなく、かつは智恵をふりしぼってでもこの頭目を補助しなければどうにもならないと思うようになっていたし、事実、劉邦陣営はそういう気勢いこみ充満していた。(291頁)

 予想外の友軍の敗報を受けても、まったく動こうとしない。それは凡庸であるとも言えるし、一見すると頼りないことにも捉えられかねない。しかし、それと同時に、以下の記述が付け足されているところが、リーダーとしての比類ない劉邦の有り様であるようだ。

 といって、劉邦という男は、いわゆるあほうというにあたらない。どういう頭の仕組みになっているのか、つねに本質的なことが理解できた。
 むしろ本質的なこと以外はわからないとさえいえた。(291頁)

 本質が分かっていれば、それ以外のものについては、泰然自若であることができる。ことあるごとに読み返して反芻したい箇所である。


2015年12月12日土曜日

【第525回】『嘔吐』(J・P・サルトル、鈴木道彦訳、人文書院、2010年)

 「100分de名著」で興味を持って読もうと思った本書。内容を全て理解したとは思えないが、考えさせられる箇所がいくつか見られ、また読み返したいと思える良書である。

 ごく平凡な出来事が冒険になるためには、それを物語り始めることが必要であり、またそれだけで充分である。人びとはこのことに騙されている。というのも、ひとりの人間は常に話を語る人で、自分の話や他人の話に取りまかれて生きており、自分に起こるすべてのことをそうした話を通して見ているからだ。そのために彼は自分の生を、まるで物語るように生きようとするのである。
 しかし選ばなければならない。生きるか、物語るかだ。(68頁)

 語ることによって、私たちは自分の人生を生きることができると主人公は述べる。では、どのような時に、私たちは語るのか。

 人が生きているときには、何も起こらない。舞台装置が変わり、人びとが出たり入ったりする。それだけだ。絶対に発端のあった試しはない。日々は何の理由もなく日々につけ加えられる。これは終わることのない単調な足し算だ。ときどき、部分的な合計をして、こうつぶやく、旅を始めてから三年になる、ブーヴィルに来て三年だ、と。結末というものもない。(中略)
 これが生きるということだ。けれども生を物語るとなると、いっさいが変わる。ただし、それは誰も気づかない変化だ。その証拠に、人びとは真実の話を語っているからだ。あたかも真実の話というものがあり得るかのように。出来事はある方向を向いて起こり、われわれは逆の方向に向かって物語る。たしかに、発端から始めているようには見える。(中略)しかし実は結末から始めているのだ。結末はそこにあり、目には見えないが現にその場に存在している。このいくつかの言葉に発端の持つ厳めしさと価値とを与えるのは、結末である。(69頁)

 私たちは語る時に、通常は時系列に沿って語っていると感じるだろう。しかし、著者は主人公にそうではないと語らせる。つまり、語る時点から遡ることによって、私たちは結末から逆算して語るのである。当り前と言えば当り前であるが、キャリア理論における回顧の重要性を示唆されているように思え、興味深い。


2015年12月6日日曜日

【第524回】『斜陽』(太宰治、青空文庫、1950年)

 心地よい日本語とは何か。私は文学者でもなければ文藝評論を行なう者でもないが、読んでいて心地よい日本語の文章というものはたしかにある。むろん、そうしたものは普遍的なものというよりも個人が主観で感じ取るものであろう。太宰の文章には、そうした心地よさを感じる。

 この西山さんのお嫁さんは、下の農家の中井さんなどは村長さんや二宮巡査の前に飛んで出て、ボヤとまでも行きません、と言ってかばって下さったのに、垣根の外で、風呂場が丸焼けだと、かまどの火の不始末だよ、と大きい声で言っていらしたひとである。けれども、私は西山さんのお嫁さんのおこごとにも、真実を感じた。本当にそのとおりだと思った。少しも、西山さんのお嫁さんを恨む事は無い。(Kindle No. 440)

 自宅でボヤをおかしてしまい自責の念に駆られる中、追い打ちをかけるような他者の言動に対する主人公の思い。それに対して、不快感ではなく、真実の一面を指摘していると冷静に捉えるという視野の広さは、女性ならではの美質のようであり、そうした感性を男性である著者が文章に紡ぎ上げている点に凄みを感じる。

 どうしても、もう、とても、生きておられないような心細さ。これが、あの、不安、とかいう感情なのであろうか、胸に苦しい浪が打ち寄せ、それはちょうど、夕立がすんだのちの空を、あわただしく白雲がつぎつぎと走って走り過ぎて行くように、私の心臓をしめつけたり、ゆるめたり、私の脈は結滞して、呼吸が稀薄になり、眼のさきがもやもやと暗くなって、全身の力が、手の指の先からふっと抜けてしまう心地がして、編物をつづけてゆく事が出来なくなった。(Kindle No. 673)

 小論文という科目を予備校で取っていた時に、一つのセンテンスを短くすることを指導され、具体的には80字以内に収めるように言われていた。その後、作文に関する書籍を読んでも、基本的には文章を短くすることは望ましいものであるとされていたように記憶しているし、私自身もそう思っている。翻って、上記引用箇所の句点までの長いことに驚く。なにに驚くかと言えば、長すぎる文章は、理解が難しく、冗長に感じるものであるはずなのに、美しく、読みやすい点に対してである。私のような素人が真似できるものではないが、ただただ驚くばかりである。

 夏の月光が洪水のように蚊帳の中に満ちあふれた。(Kindle No. 761)

 母子三人で久しぶりに寝む静謐な空間が目に浮かぶようである。比喩とは、安易に用いると表層的で技巧的な物言いになってしまうが、こうした表現を用いると情景に音と色とが彩られるようだ。

 私は、お母さまはいま幸福なのではないかしら、とふと思った。幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽かに光っている砂金のようなものではなかろうか。悲しみの限りを通り過ぎて、不思議な薄明りの気持、あれが幸福感というものならば、陛下も、お母さまも、それから私も、たしかにいま、幸福なのである。静かな、秋の午前。日ざしの柔らかな、秋の庭。(Kindle No. 1582)

 幸福という感情は、ポジティヴなものが極限までいった時に感じられるものではないものなのかもしれない。悲しみに打ちひしがれ、自分自身に絶望した時に、ふっと見えるちょっとしたものに感じられる救いのような感覚なのであろうか。このように考えれば、日常的に幸福を感じられないとしても、それを否定する必要はないだろう。幸福感があまりないということは、それだけ満ち足りた生活を送っていることになるのかもしれないのだから。

 ああ、何かこの人たちは、間違っている。しかし、この人たちも、私の恋の場合と同じ様に、こうでもしなければ、生きて行かれないのかも知れない。人はこの世の中に生れて来た以上は、どうしても生き切らなければいけないものならば、この人たちのこの生き切るための姿も、憎むべきではないかも知れぬ。生きている事。生きている事。ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか。(Kindle No. 1851)

 深刻な想いに至るまで思い詰めたことがない身としては、それを幸福なことと捉えるべきか、真剣に生を考えて精一杯生きていないことの裏返しと考えるべきか、悩ましい。生きることと苦しむことという、一見するとアンビバレントな表現の中に、私たちの人生を考える本質的な何かが表れている、とまで表現すると言い過ぎであろうか。


2015年12月5日土曜日

【第523回】『現代語訳 史記』(司馬遷、大木康訳、筑摩書房、2011年)

 古来の歴史書から現代の私たちが何を学べるか。著者は、史記を大胆に現代に即した言葉遣いと形式で解説を加える。中国史を彩る英雄や彼等を取り巻く多様で特色のある人物たちの息遣いから、読者の観点に応じて感じ取れるものがあるだろう。

沛公「いま退出する時、別れの挨拶をしてこなかった。どうしたらよかろう。」樊噲「『大きな行動のためには、小さなことを気にしなくてもよい。大きな礼を行うためには、小さな謙譲などどうでもよい(大行は細謹を顧みず、大礼は小譲を辞せず)』といいます。いま、相手は刀と俎、われわれは魚肉です。どうして挨拶する必要などありましょう。」(89頁)

 有名な鴻門の会のシーンの一部の描写である。謙譲を重んじながら、礼を重視する。どちらも大事であることと、究極の状況においては礼を重視せよ、ということであろうか。改めて『項羽と劉邦』を読みたくなった。