2015年12月20日日曜日

【第528回】『項羽と劉邦(下)』(司馬遼太郎、新潮社、1984年)

 本書の解説で谷沢永一氏が人望について触れているが、劉邦のリーダーシップの根源は、一言で言えば人望にあるのだろう。

 味方に対するこの約束をはたさねば、劉邦は信をうしなう。味方の忠誠心の上に浮上している劉邦としては信だけで立っている。ひとびとに信じられなくなれば、劉邦のように能も門地もない男はもとの塵芥にもどらざるをえない。(12頁)

 約を守ること。当り前と言えば当り前のことであるが、約束を必死に守ろうとすることが、一人の人間を将として成り立たしめる。

「陛下は、御自分を空虚だと思っておられます。際限もなく空虚だとおもっておられるところに、智者も勇者も入ることができます。そのあたりのつまらぬ智者よりも御自分は不智だと思っておられるし、そのあたりの力自慢程度の男よりも御自分は不勇だと思っておられるために、小智、小勇の者までが陛下の空虚のなかで気楽に呼吸をすることができます。それを徳というのです」
 (中略)
「知世の徳ではありませぬ。三百年、五百年に一度世が乱れるときには、そのような非常の徳の者が出てくるものでございます」(256~257頁)

 張良が劉邦に語るシーンである。老荘を重視する張良ならではの発言とも捉えられるが、空や無の持つ力強さを感じさせる。何かがあるのではなく、無いことによって、変幻自在に自分自身を変えることができる。不安な時には何かを得たり身につけようとしてしまう。

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