アジア通貨危機後の日本の金融界における混乱の記憶が鮮明でありライブドアや楽天といったIT企業による買収が注目を集めた時期によく読まれたのも納得だ。しかし、文庫版が出てから既に十年も過ぎた今の時代に読んでも面白いのだから小説として素晴らしいのであろう。
「相変わらず芝ちゃんは責任感過剰ですね。銀行の罪を自分一人で、全部ひっかぶらんばかりじゃないですか。今の危機はね、誰が悪いとかでないと僕は思いますよ。日本人が全員、欲の皮を突っ張らかして夢の中のあぶく銭を本物だと錯覚して、今なおその悪夢から覚めることに駄々をこねている。でも、一人また一人、その夢から揺り起こされ、現実を見せられて震撼している。そういうことですよ。誰か悪い人がいるなら、僕ら全員ですよ。だから、タチが悪い」(87頁)
バブルを生み出した原因として、銀行に勤めている芝野が責任意識を強く感じていることに対して、彼の友人が優しくも厳しくも指摘をする。日本経済を震撼させたバブルのような大きな事象でなくとも、自分で問題を抱え込むことを私たちは時に行ってしまう。それは、日本では美徳とも受け取られるものでもあるが、行き過ぎると自分で何事も遂行してしまい他者を信頼する気持ちが弱くなってしまう。その結果として、他者からも心からの信頼を得られなくなる可能性がある。
「そうしてくれ。いいか、アラン。これだけは肝に銘じておけ。ビジネスで失敗する最大の原因は、人だ。味方には、その人がこの闘いの主役だと思わせ、敵には、こんな相手と闘って自分は何て不幸なんだと思わせることだ。そして、牙や爪は絶対に見せない。そこまで細心の注意を払っても、時として人の気まぐれや変心、あるいはハプニングのせいで、不測の事態が起きるんだ。だから結果を焦るな。そして馴れ合うな、いいな」(453頁)
韓非子を彷彿とさせる人間観ではないだろうか。勝負や交渉に徹すれば、こうした捉え方もできるのであろうが、果たしてそこまで冷静に、ビジネスに殉じることができるかどうか、自分には心もとない。
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