結末が暗い作品は、個人的には得意ではない。悲劇で終わると、余韻も暗く、その作品すべての印象がネガティヴになってしまう。もっと成熟した読書ができればと思うが、どうしてもこの傾向は拭えない。しかし、本書の悲劇的結末の最後の箇所には、美しさを感じた。
その時になって見ると、旧庄屋としての半蔵が生涯もすべて後方になった。すべて、すべて後方になった。ひとり彼の生涯が終わりを告げたばかりでなく、維新以来の明治の舞台もその十九年あたりまでを一つの過渡期として大きく回りかけていた。(kindle ver No.5524)
大作の最後を飾るにふさわしい名文ではないだろうか。
ある人物ひとりがその生きた時代を象徴するというのは幻想に過ぎない。意図的にそうした構造を創り出そうとする言説に、私たちは警戒した方がいいだろう。それでも、ある時代、ある地域における環境は、そこに生きた人物に影響を与えるのもまた、蓋然性の高い事実であろう。環境に翻弄されながらも真面目に生きてきた半蔵が、人生の最後において精神破綻を来したのは、時代環境の為せるわざでもある。
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