舌鋒鋭く小気味良いテンポで進む明快な論旨。『国家とはなにか』を引き継ぎながら、なぜ著者が国家について着目しているのかがわかってくる。保守主義vsリベラルという安易な構図でナショナリズムへの賛成・反対を論じようとする言説構造を否定する。では、ネーションステイトやナショナリズムを私たちはどのように捉えれば良いのか。
グローバルな視点では「格差の縮小」になっていることが、国内的な視点では「格差の拡大」としてあらわれるのである。私たちが「格差問題」だと考えているのは、じつはグローバル化した労働市場の観点からすればけっして「問題」ではなく、ただ国内的にのみそれは「問題」とするにすぎないのだ。(22頁)
国内のリベラルは、格差拡大とナショナリズム意識の高揚を結びつけ、それらをナショナリズムを否定することで解消しようとする。しかし、リベラルが主張する格差拡大の主語は日本という国民国家を単位としたものであり、グローバルでは格差が縮小しているという著者の指摘は納得的だ。したがって、ナショナリズムを否定すれば日本における格差拡大を解消できるわけではない。
私がナショナリズムを肯定するのは、基本的に「国家は国民のために存在すべきであり、国民の生活を保障すべきである」と考えるところまでだ。もしナショナリズムが「日本人」というアイデンティティのシェーマ(図式)を活性化させて、「非日本人」を差別したり「日本的でないもの」を排除しようとするなら、私はそのナショナリズムを明確に否定する。私がナショナリズムを支持するのは、あくまでも国家を縛る原理としてのナショナリズムであり、アイデンティティのシェーマとしてのナショナリズムではない。(29~30頁)
そうであるからこそ、著者は限定的にナショナリズムを肯定している。その限定性は、国民の生活を守る主体としての国家であり、制約原理としてのナショナリズムであることを理解する必要がある。
格差の問題についていえば、労働市場がグローバル化し、国内の格差が拡がれば拡がるほど、社会のなかでは逆に「日本人」というアイデンティティが強調され、それを拠り所にするような傾向が強まってくるということである。(32頁)
その上で、国民の生活を保障するという国家の役割に鑑みて、国内における格差の是正が必要不可欠であると主張する。その理由はシンプルであり、格差を放っておくことによって、格差によって被害を蒙っているという意識を持つ層が排除の論理としてのナショナリズムを標榜するからであろう。本書は2011年に出版されたものであるが、アメリカの現在の政治動向を考えれば、この指摘が杞憂ではなかったことは残念ながら間違いがないだろう。
国民国家がファシズムへと向かわないようにするためには、国外市場の拡大を重視することで国内経済の脆弱化を放置ないしは加速させてしまう経済政策を進めないようにすることが必要となる。つまり、国内経済を保全するというナショナルな経済政策が、国民国家をファシズムに向かわせないためには不可欠なのだ。(210頁)
国内の格差が是正されず貧困層を中心とした人々によるナショナリズムの高揚は、排外主義と共に国外への市場拡大路線を目指すファシズムへとつながりかねない。それを防ぐためには、国家の関与を否定するのではなく、国内経済を再建し、雇用を創出することが肝要である。
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