人間のどんなにとてつもない偉業も、実際は小さなことをたくさん積み重ねた結果であり、その一つひとつは、ある意味、「当たり前のこと」ばかりだということ。(60頁)
アスリートが例示としてよく登場することからわかるように、イチローをはじめとした日本人のプロフェッショナルの言葉や書籍を愛読する方には納得感が高いだろう。上記に引用した箇所などはイチローの言葉ではないかと思ってしまう。あらためて重要な点を、心理学という枠組みによって整理してくれる、そんな一冊である。
みごとに結果を出した人たちの特徴は、「情熱」と「粘り強さ」をあわせ持っていることだった。つまり、「グリット」(やり抜く力)が強かったのだ。(23頁)
さくっと読み進めることはできる。しかし、やや大部とも言える本書で著者が主張するGRITの要諦は、情熱と粘り強さという二つにまとめられる。つまり、先天的な要素が成果を出すために必要なのではなく、後天的に、私たちが意識しながら耕すことができる二つの要素が重要なのである。
「才能」とは、努力によってスキルが上達する速さのこと。いっぽう「達成」は、習得したスキルを活用することによって表れる成果のことだ。(70頁)
上記を図示するかたちで、「才能×努力=スキル。スキル×努力=達成。」と本書では模式化させている。ポイントは、努力は才能との結びつきで最初の一歩として重要であるとともに、それを継続して成長していって達成まで至る段階においても求められるということである。努力こそが重要だと捉えれば面白味がないともいえるが、自分次第でどうとでもできると可能性をも感じさせる。
では、どのように努力を継続することができるのか。そのためのヒントがいくつか具体的に記載されている。
自分と同じ興味を持っている仲間を探そう。力強く励ましてくれるメンターと近づきになろう。年齢に関係なく、「学習者」としてのあなたはますます積極的になり、知識も増えていく。ひとつのことに長年打ち込んでいると、経験による知識や専門知識が増えるとともに、自信も増し、ますます好奇心旺盛になっていく。
最後に、好きなことを何年か続けているのに、本腰を入れて打ち込む覚悟ができていない場合は、「興味をさらに深めることができるかどうか」を見きわめよう。(162頁)
まずはロールモデルや、同じようなものに価値を感じる他者とのコミュニティ形成や越境学習を想起させる指摘である。一人で黙々と取り組んだり学んだりすることも重要であろうが、それを多角的な視点から気づきを得て継続させるためには、信頼できる他者との協同が重要だ。とりわけ後段に書かれている箇所については、心理学者のウィリアム・ジェイムズの以下の言葉を引用しており、論語の一節を読むかのような思いがする。
「新しきものに古きものを見出したとき、人は注意を引かれる――あるいは古きものに、さりげない新しさを見出したときに」(163頁)
深めていって気づきを得るためにはどうするか、という問いに対する二つのアプローチである。一つは、新しい事象や対象の中に以前から重要であるとされたものを見出してその関連性を見出した時に成長を継続させるためのヒントが得られる。反対に、もう一つは、以前から行ってきているものや昔からあるものに対して新しい価値を見出した時である。含蓄のある考え方である。
次に、冒頭で述べたチクセントミハイとエリクソンという二人の心理学の大家の理論に関する関係性が、簡潔にまとまっていて興味深い。
「やり抜く力」の強い人は、ふつうの人よりも「意図的な練習」を多く行い、フロー体験も多い。
このことは、ふたつの理由によって矛盾しない。第一に、「意図的な練習」は行為であり、フロー体験である。エリクソンが語っているのは、エキスパートたちが「どのように行動するか」であり、チクセントミハイが語っているのは、エキスパートたちが「どう感じるか」だ。第二に、「意図的な練習」を行いながら同時にフロー体験する必要はない。というより、ほとんどの場合、同時に経験することはない。(186頁)
こうした関係性を踏まえて、具体的に何を私たちは取り組めるのかについても、著者は指摘してくれているからありがたい。
具体的に説明すると、「意図的な練習」を行うために、自分にとってもっとも快適な時間と場所を見つけることだ。いったん決めたら、毎日、同じ時間に同じ場所で「意図的な練習」を行う。なぜなら大変なことをするには、「ルーティーン」にまさる手段はないからだ。(197頁)
ここまで来るとデシの理論まで関連付けてもらえればありがたいのであるが、それ以降は読者である私たちが自身で行うべきものだろう。
【第500回】『人を伸ばす力 内発と自律のすすめ』(エドワード・L・デシ+リチャード・フロスト、桜井茂男監訳、新曜社、1999年)
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