2017年3月26日日曜日

【第692回】R. Babineaux and J. Krumboltz, “fail fast, fail often”【2回目】

 最初に読んだ時は英語で感想を書いたようだ。しかも非常に長い。長ければ良いとは言えないが、これだけアウトプットできていたということに、我ながら驚く。二回目の今回は日本語で書いてみようと思う。日本語で書く方が、正しく理解できているかが分かりやすいので妙な緊張感はあるものだが。

By approaching things as a curious beginner, you not only put yourself in the optimum frame of mind to learn and grow, but you also open yourself to unexpected opportunities and experience. (Kindle ver No. 456)

 直近の私の転職の意志決定について恩師に報告した際、これもplanned-happenstanceだと仰られた。その時は意外な気がしたし、本当にそうなのだろうかと訝しく思ったものだった。しかし、上記の箇所を読むと、たしかにそうした側面もあったのかもしれないと思い直した。誠実さに関する問題はあれども、自分にとって予期しない機会と経験に対して自分自身を開いていたが故に生じたものだったからである。単独のアクションが機能したというわけではなく、そうした機会を生み出すためのアクションをかつて行っていたことが結実したという側面ももちろん含んでいる。

If you want to be successful, then you need to have old-fashioned stick-to-itiveness, or what Penn psychologist Angela Duckworth calls “grit.” Duckworth studies leaders in the fields of investment banking, painting, journalism, academia, medicine, and law to determine why some people accomplish significantly more than others with similar intelligence, creativity, and talent. Her research shows that leaders in most fields share one essential characteristic: grit. (Kindle ver No. 2052)


 最初に読んだ際は読み飛ばしてしまっていたが、本書でも、話題のGRITが触れられていた。たしかにGRITとキャリアとは近しい関係を有していると考えていたので、非常に納得的である。


2017年3月25日土曜日

【第691回】『『臨済録』を読む』(有馬頼底、講談社、2015年)

 『臨済録』は印象深い書であった。臨済の口をして「仏に逢えば仏を殺し」と述べさせている箇所は、全くの門外漢からすると、甚だ意外どころか、何事かと目を見紛うフレーズである。その解説を、臨済宗の高名な僧であり、あの金閣・銀閣の住職も兼ねる著者が行うという贅沢な一冊である。

「公案」でやられる。徹底的にやられる。臨済禅は「看話禅」です。「公案」を拈提し、答を出す。しかし答はないんです。
 それで精神的に追い込まれる。何を言ってもダメ、それなら何を言うんだ、と。全部ダメ。もう取り付く島がない。それは苦しいです。この苦しさは殴られる痛さの比ではありません。どうしていいかわからなくなるのですから。(21頁)

 この部分を読んで、禅問答が苦しい理由とともに、その意義深い理由を初めて垣間見た気がする。問われても答えはないのである。ないから考え続け、答えては否定され続ける。この不毛とも思える繰り返しを続けることで、何らかの学びや気づきを得られることも保証されない。それでも考え続け、答えようとし続けること。

有馬 そうそう。『臨済録』の中で、修行者が質問するでしょ。何かを言おうとすると、バーンとどつかれる。なんでどつくかと言うとね、その質問が合っているとか間違っているという問題じゃない。質問を出すこと自体を打ち砕く。だからバーンと叩く。(221頁)


 問いは大事である。しかし、他者に安易に何かの答えを聞き出そうとして問うのは良いことではない。自分よりも優れた存在に対して、何かを聞いて学ぼうとすることの拙さが示唆されているのではないだろうか。拡大解釈なのかもしれないが、このように読むことによって、他者に安易に尋ねることを控えようという気持ちに至れる。


2017年3月20日月曜日

【第690回】『一日一生』(酒井雄哉、朝日新聞出版、2008年)

 著者は現代の「生き仏」とも言われる存在である。天台宗の大阿闍梨の言葉を読むというより、味わいながら噛み締めるというような感覚で読める一冊だ。「生き仏」という言葉の印象が強く、身構えて読み始めたのであるが、私たち「普通の人間」にもわかるように咀嚼しながら語りかけてくれる。題名にもなっているように、一日が一生であると思って生きるということの大切さを感じさせられ、気ぜわしい日々に忙殺されないようにしようと思った。

「もういいよ。そんなことはどうでもいい」って言うの。「答えを出したらお前それおしまいにしちゃうだろう。永久に考えてろ」って。
 自分なりに腑に落ちると、人はついそこで考えるのをやめにしちゃう。でも、答えが分からないといつまでも考えるだろう。肝心なのは答えを得ることじゃなく、考え続けることなんだな。(84頁)

 著者が師と慕う方から数十年前にもらった問いを考え続け、再会した際にその是非を問おうとした著者が師から言われた一言。問いの重要性と、安易に答えを求めずに考え続け行動し続けることが大事であることを改めて考えさせられる。私の学術上の師は、自分自身で禅問答を行っていると言っている方であるが、この箇所を読んだことで、その真意をより深く理解できたような気がする。

 たとえ昨日、いけすかないなあと思った人とだって、一日一生、と思っていればまた新しい関係が生まれてくるじゃない。(39頁)


 処世訓といえばそれまでだが、ハッとさせられる一言である。人の持つ可能性に着目して誰もが開発される存在であると綺麗事のように考えていることもある一方、人をバッサリと切ってしまうということも日常ではあるだろう。後者のような他者と触れ合う際に、上記のことを思い出して一歩立ち止まりたいものである。


2017年3月19日日曜日

【第689回】『はじめての詰碁』(日本棋院、日本棋院、2013年)

 将棋を上達させるには詰将棋が有効だった。ということで、囲碁ならば詰碁だろうということで読み始めた。もともとは『ひと目の詰碁』を読もうとしたのであるが、初心者には難しく断念したので、より入門者向けのものを探して見つけたのが本書である。

 囲碁を普及することを目指している日本棋院が監修しているだけあって、入門者に非常にやさしいテクストである。少し考えれば正解に至れるようなレベルの問題であり、モティベーションを高く持って読み終えることができた。


 ガイドにある通り、入門~15級までもしくはそれよりも少し棋力に自信のある方にもオススメできる一冊。


2017年3月18日土曜日

【第688回】『OJT完全マニュアル』(松尾睦ら、ダイヤモンド社、2015年)

 OJTという概念について否定的に捉える向きもあることは理解している。曰く、人事部門が若手育成の責任を職場に一方的に押し付け、事前の意味づけや研修受講もないままに押し付けられたOJT担当者がトレイニーを放置し、それを以てOJTと称している。たしかにこのような現象があるとしたら嘆かわしいことである。しかし、日常業務の中において、また教育体系や昇進・昇格の一環としてOJTを位置づけ、OJTの担当者およびトレイニーの両者を育成している企業もまた、存在している。したがって、いたずらにOJTを過去のものとして否定する言説には違和感をおぼえていた。

 本書ではOJTのコツやポイントが事例ベースで書かれている。もう少し概念的に学びたい場合には、著者による『「経験学習」入門』を紐解けば、相補的に理解を深めることが可能であろう。本書で紹介されている事例を一つひとつ咀嚼していけば、OJTの効果・効能を改めて考え直すことができるのではないだろうか。

 まず、部下や後輩を教えることは、マネジャーのコア・スキルである育成力をアップさせることにつながることを意識しましょう。つまり、OJTに取り組むことは、部下や育成のためだけでなく、自分のマネジメント能力も向上させるという点を理解することが大切です。(21~22頁)

 OJT担当を経験することが、将来、管理職として部下を育成することの基礎になる。したがって、トレーナー、トレーニーを育成するだけに留まらず、将来の管理職候補を潤沢にし、組織能力を高めることに繋がることを意識したいものだ。

 育て上手なOJT指導者は、周囲の力を活用しています。業務への指導、振り返りのサポート、励ましほめる感情のケア。職場には多様な個性の持ち主がいて、得意な関与パターンがあるはずです。一人で抱え込まず、職場メンバーを巻き込む指導を行いましょう。(47頁)


 OJTを制度として運用する際に留意したいのが、OJT担当者にOJTを一任してしまう風潮を創り出さないようにすることである。というのも、育成は、中原先生の著書でも紹介されている通り、部署全体で面として行うことが有効である。したがって、OJT担当者を周囲が支援できるしくみも含めてサポートを行う気配りが、企画には求められるだろう。


2017年3月12日日曜日

【第687回】『不屈の棋士』(大川慎太郎、講談社、2016年)

 以前の将棋関連の書籍でのエントリーでも触れたが、幼い頃に将棋にはまっていた時期がある。当時は羽生善治さんが竜王位に就いた頃で、『羽生の頭脳』シリーズを好んで読んでいた。正直に白状すれば、内容を一割程度も理解していなかったが、その凄さを雰囲気だけでも掴もうとして、将棋盤に棋譜を並べていた。私にとっては、あまりに次元の異なる、頭脳明晰な人たちの展開する世界という感じであった。

 人間の頭脳の象徴として仰ぎ見ていたプロの棋士が、将棋ソフトに負けたというのは衝撃であった。いつかは訪れることであろうとの予測があったことではあるが、実際に目にした時はショックだった。プロフェッショナルな棋士の方々はどのようにソフトと向き合うのか。どのような将来を描くことができるのか。こういった興味を持ちながら本書を読んでいて考えさせられたのは、仕事におけるAIとの付き合い方である。もっと具体的に言えば、人事の領域においてどのようにAIを活用していくのか、と自分に引き付けて考えさせられた。

 何名かのインタビュー内容から、何を考え、どのように展開が可能なのかについて少し考えてみたい。

――ソフトを使い始めてから、千田さんの将棋はどこが変わりましたか。
千田 ソフトの棋譜と評価値をたくさん見たことで、判断材料が増えました。いままでの感覚でダメそうに見えたり危険に感じるような局面でも、「大丈夫」と見切って踏み込むことができるようになった部分はあります。逆に言えば「いままでの感覚なら飛び込んでいたけれど、これは止めた方がいい」と判断することもあります。(155頁)

 棋士の中にも、ソフトを使う方とそうでない方とがいるという。1994年生まれの千田五段は将棋ソフトを積極的に使うことで有名だそうだ。その千田さんの言葉からは、人間の思考やそれに伴う判断を補助するためのソフトという関係性が見える。私たちが「普通のこと」として考えたり感じたりすることをいったん括弧で括るためのもの、とも捉えられるのではないか。つまり、私たちの「普通」を拡張する作用がソフトにはあり、このように考えれば、業務の中でどのようにAIと付き合うかということのヒントにもなりそうな気がする。

――ソフトを経験して、いい面も悪い面も見えてきた。これからはどうされますか?
村山 やっぱり地力をつけていきたいです。ソフトで得るものって新しいアイデアとか、自分が指したい形での最善の一手とか、結局は情報なんですよ。ソフトを使って根本的な将棋の力がつくかというと、ちょっと疑問を感じますね。(202~203頁)

 2015年の電王戦で最強ソフトの呼び名が高い「ポナンザ」に敗れた村山七段の言葉である。千田さんはソフトの可能性を認めながらも、ソフトとの接点で得られる価値は情報であるという。つまり、一瞬で評価が数値化されて、局面が良いか悪いかが分かるという作用自体は情報であり、そこに至る思考のプロセスやそれをどのように事後の展開に活かしていくか、という点は人間が行うものなのであろう。人がソフトを活用するという点で考えれば、すべてをソフトに委ねてしまうと、そのあとの勝負という短期的な将来でも活用できず、地力を高めていくという長期的な将来にも悪い影響を与えかねない。では、どのように私たちはソフトを活用できるのだろうか。

――今後、ソフトとはどう付き合っていきますか?
糸谷 ソフトに頼りきりになってしまうのであれば、自分が将棋をやっている価値は感じません。棋士である以上は、自分なりの個性を見せなければいけないと思います。(260頁)


 ソフトとの共存、AIとの共存という難しいテーマに対して、気鋭の若手である糸谷竜王の言葉にそのヒントがあるのではないか。情報を活用することは重要であるし、それを知らない状態でプロフェッショナルとは言えないだろう。しかし、その活用のしかたやどういった考え方でそれを活かすかという点に、私たち人間の個性が作用するものは大きい。その礎となるべきものは、人間の価値観・個性・志といったものなのであろう。


2017年3月11日土曜日

【第686回】『人事よ、ススメ!』(中原淳編著、碩学舎、2015年)

 慶應丸の内シティキャンパスの人気講座である「ラーニングイノベーション論」を文書化するという贅沢な試みによって編まれた力作。様々なプロフェッショナルの講義やセッションの様子を垣間見ながら、企業で人事・人材育成を担う私たちが学びを深めることができる貴重な一冊であると言えるだろう。

 私が特に興味深いと感じたのはOJTに関するポイントである。まずはスターバックスの事例について見てみよう。

 たった3週間だったのですが、お店の中でいろんな形でパートナーの行動を強化し、ミッションを実体験と語りで体得させていくのです。これこそがミッションの浸透を促すスターバックスのOJTでした。
 最初にミッションへの共鳴があり、それに基づく行動指針である「グリーンエプロンブック」を手渡され、学びを深めることも大切です。それに加え、今やっていることとミッションがどのように繋がっているかを理解するためには、こうした親身なOJTこそが重要なのです。
 こうして初めて、パートナーはミッションを体得しながら能動的に行動することが出来るようになります。(123~124頁)

 理念浸透というテーマで扱われながらも、OJTによって職場で求められる行動を適切に行えるようになり、それを通じてミッションが腹落ちする様が見て取れる。その結果として、ミッションという企業が大事にする考え方に基づきながらも、自分自身が能動的に行動できるようになるという。

 「デキるOJT指導員」というものは、OJTにみんなを巻き込むのが上手い指導員だということです。(232頁)

 OJTを担当する役割をアサインされると、トレーニーに対する教育を自分自身が全てやらなければと抱え込んでしまいがちだろう。こうした心象は、新入社員が配属される部署の上司も同様に持ちがちだろう。しかし、OJTとは職場で多様な人材を巻き込みながら行うことが有効である、というのがここでの主張である。そのためには、『職場学習論』で詳述されているように、上司からは精神支援、上位者(教育担当)からは内省支援、同期・同僚からは業務支援、といったような役割を分担しながら教育を分有することが有効であろう。



2017年3月5日日曜日

【第685回】『君の働き方に未来はあるか?』(大内伸哉、光文社、2014年)

 労働法で企業と個人とを捉えるとどのようになるのか。本書を紐解くことで、労働法の歴史から理解しながら、現代の私たちが企業で働く上で知っておきたい基礎的な考え方を学ぶことができる。労働法の各論を詳しく知ろうとする方には概要にすぎると思われるかもしれないが、大枠を掴んで理解しようという目的の読書であれば、示唆に富んだ読書体験を得られるだろう。

 どうして未来への希望にあふれているはずの若者が、こんな悲壮な覚悟で社会に出ていかなければならないのでしょうか。本書では、その理由を「雇われて働く」とはどういうことなのか、というところから説き起こしていきます。
 本書では、「雇われて働く」ことは実は「奴隷」と変わらない面があること、こうした状況を改善するために労働法があること、さらに正社員という身分を獲得できると、企業からの優遇があり、この状況はもっと改善されること、しかしこれからの時代は、労働法もどうなるかわからず、正社員の枠も減っていくことを、順を追って説明しています。
 そうしたなか、最終的にめざすべきことは、「やりたくない仕事はしなくてよい」と言えるような自分になることです。たとえば、不本意な仕事であると思うならば、会社を辞めて転職できるようにするのです。あるいは、そもそも人に命じられず、自分の力で働く自営業者になるという道もあります。
 そのときに大事なことは、「仕事のプロになる」ことです。(6~7頁)

 労働法の先生が労働という現象をこのように描き、プロフェッショナルのキャリアの必要性を説いていることは興味深い。企業が労働者に対して保障したり、国家が企業に一定の制約をかけて労働者を保護することは大事であるし、労働法が発展してきた背景にはこうした考え方があることは間違いない。しかし、そうした外部主体に依存するのではなく、自分で自分のキャリアに責任を持ち、エンプロイヤビリティを高めることで、企業と対等に渡り合えるようなプロになることの重要性がここでは指摘されている。

 必要なのは、能力の劣る正社員を解雇しやすくして、正社員のポストを明け渡すことができるようにすることであり、それによって非正社員が正社員ポストを獲得する「可能性」を作り出すことです。(66頁)

 一企業の人事の立場で述べると問題発言となるかもしれない。しかし、マクロ環境を鑑みれば、この考え方は充分に首肯できるものなのではないか。正社員と非正社員という決して適切とは言えない分類を無意味化するためには、ポストの入れ替えを促す仕組みづくりが適していると思われる。

 ブラックかどうかというのは、個人と企業との相性という面もあるのです。だからこそ、個々の企業がブラックかどうかを判定することよりも、働く側にとって企業を選ぶ際に参考になる情報ができるだけ開示されるようにすることが必要になります。そして、それをブラックと判断するかどうかは、個々人の判断にゆだねるほうがいいのです。(90頁)

 ブラック企業という言葉に続き、ホワイト企業という言葉も最近では出てきた。そこにおぼえる違和感を、言語化してくれたように感じるのは飛躍であろうか。もちろん、どうしようもない企業を「ブラック企業」として摘発することは必要であろう。そうしたアナウンスメント効果によって、企業におけるルールが適正化される。しかし、ある程度は個人側の意識に依存するのであるから、客観的に杓子定規で企業を断罪するような運用は避けたいものだ。

 外国から来た留学生が必死に勉強するのは、スキルを身につけるのは自分の責任であると考えているからです。一方、日本の大学生の多くは、驚くほど勉強しません。スキルを身につけるのは、企業に入ってからで、企業にすべてまかせているのです。そして、これが「従属」への入口となるのです。(157頁)

 海外の留学生と比べて日本の大学生がなぜ学ばないのか。企業でキャリアをすすめる上で、日本の企業ではスキルを前提として求められず、ポテンシャルで評価がなされる。それ故に、大学において何かを身につけたり自分自身を高めようという誘因が弱くなる。海外においてはそれと反対であるために、彼我の学生の意識の差が表れるというのは納得的な説明である。加えて、こうした成長を企業に委ねる姿勢が、企業への従属に繋がるのであるから、皮肉なものである。



2017年3月4日土曜日

【第684回】『フィードバック入門』(中原淳、PHP研究所、2017年)

 本書では、良くも悪くも着目されつつあるフィードバックの重要性について、簡潔かつ丁寧に描かれている。著者の書籍を読むたびにほぼ同じ感想を抱くが、ここまで実務家にとって痒いところに手が届く作品は、大変ありがたい。

 フィードバックが重要であると単に述べることは簡単だ。しかし、フィードバックをビジネスの現場において定着させるということは難しい。業務の複雑さが増し、ビジネスを取り巻く環境変化の速度が上がる現代において、業務と直接関連しないものに時間を割くことに、抵抗を受けることが多いからである。さらには、評価プロセスの細かさや精緻な運用が、最近ではすこぶる評判が悪いようだ。グーグルやGEといったアメリカ企業でMBOの厳格な適用が廃止され、精緻な評価がなされなくなってきているという。

 たしかに、不必要に目標管理に時間を割くことは不要であるし、ビジネスにとって良い影響を与えるものではないだろう。目標は期中にも変更するものであるし、厳格に評価を正規分布させることにもあまり意味がないかもしれない。しかし、現在の日本企業において、目標管理制度の運用を弱めたり、廃止したりする動きには大きなリスクを孕むのではないか。

 なぜなら、本書の主題であるフィードバックの機会が減るからである。日本企業においては、フィードバックが日常においてルーティーンとして定着していないところが多い。そうした状況下でフィードバックを伴うMBOが廃止されると、業務能力を向上し組織の成果を上げるための機会を減らす事態になってしまうのではないか。

 そもそも企業においてなぜフィードバックが求められるのか。その重要性の一つは、部下育成にあり、部下育成を検討する上で有効な二つの軸が本書では挙げられている。一つは経験軸であり、「部下に適切な業務経験を与え、ストレッチゾーン(挑戦空間)に促す」(kindle ver. No. 1242)と定義づけられている。経験獲得競争とも言われるように、与えられる業務経験によって人の成長度合いは異なってくる。反対に言えば、部下がストレッチして成長できるように業務をいかにアサインするかということが育成において求められるのである。

 もう一つは「「業務支援」「内省支援」「精神支援」による面の育成」」(kindle ver. No. 1242)というピープル軸である。つまり、一人の社員を取り巻く職場の多様な人材に因る多様な関係性から面で育成を捉えるという考え方である。面の育成という考え方は著者の『職場学習論』に詳しいのでそちらを参照されたいが、要は、多様なステイクホルダーから多様な側面に関してフィードバックをすることで育成を促そうというものである。こうした考え方は、育成される部下側にとって役立つだけではなく、育成責任を個人ではなく部署で負うことで、各人の負担を軽減しながら効果を高めることもできる。

 こうした二つの部下育成の軸を基にしながら、フィードバックの二つの機能が提示されている。第一に情報通知がある。部下が経験しているものを客観的に見えるようにすることで、その部下の業務遂行を支援するという考え方である。情報通知を踏まえてどのように立て直しを支援するかが第二の点である。つまり、部下自身に内省を促し、自分自身で解決するという精神支援を行うということである。

 こうした概念的な重要性を具体的に事例として述べられていることも本書の特徴である。本書でも述べられているように、フィードバックの現場を観察することは通常は行われない。だからこそブラックボックス化している中で、優れた事例を匿名で挙げられているのは、ピープル・マネジャーとして部下へのフィードバックが求められている身にとって、大変優れた教材である。特に興味深いと感じた二つの箇所をいかに引用しておく。

森岡 ストレートに言うことと少し矛盾するように思えるかもしれませんが、「決めつけない」ことは心がけています。いくら情報収集をしても、絶対的に正しい事実をつかめるということはありえません。物事というのはすべて関係性の中で相対的でありますから、真実は一つではないはずです。
 だから、自分が何でも知っているとは思わず、「こういうふうに見えるよ」とか「こうなんじゃないのか?」などと、断定しないようにして、できるだけ客観的事実を並べるようにしますね。(kindle ver. No. 1645)


森岡 面談が終わった後で、部下にまとめてもらったものを、私の元に送ってもらうようにしています。これは自分で議事録を書いている時間がないというのもありますが、もう一つ狙いがあります。それは、部下が本当に私の話の内容を理解しているのかどうかを知るためです。(kindle ver. No. 1663)