著者は現代の「生き仏」とも言われる存在である。天台宗の大阿闍梨の言葉を読むというより、味わいながら噛み締めるというような感覚で読める一冊だ。「生き仏」という言葉の印象が強く、身構えて読み始めたのであるが、私たち「普通の人間」にもわかるように咀嚼しながら語りかけてくれる。題名にもなっているように、一日が一生であると思って生きるということの大切さを感じさせられ、気ぜわしい日々に忙殺されないようにしようと思った。
「もういいよ。そんなことはどうでもいい」って言うの。「答えを出したらお前それおしまいにしちゃうだろう。永久に考えてろ」って。
自分なりに腑に落ちると、人はついそこで考えるのをやめにしちゃう。でも、答えが分からないといつまでも考えるだろう。肝心なのは答えを得ることじゃなく、考え続けることなんだな。(84頁)
著者が師と慕う方から数十年前にもらった問いを考え続け、再会した際にその是非を問おうとした著者が師から言われた一言。問いの重要性と、安易に答えを求めずに考え続け行動し続けることが大事であることを改めて考えさせられる。私の学術上の師は、自分自身で禅問答を行っていると言っている方であるが、この箇所を読んだことで、その真意をより深く理解できたような気がする。
たとえ昨日、いけすかないなあと思った人とだって、一日一生、と思っていればまた新しい関係が生まれてくるじゃない。(39頁)
処世訓といえばそれまでだが、ハッとさせられる一言である。人の持つ可能性に着目して誰もが開発される存在であると綺麗事のように考えていることもある一方、人をバッサリと切ってしまうということも日常ではあるだろう。後者のような他者と触れ合う際に、上記のことを思い出して一歩立ち止まりたいものである。
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