以前の将棋関連の書籍でのエントリーでも触れたが、幼い頃に将棋にはまっていた時期がある。当時は羽生善治さんが竜王位に就いた頃で、『羽生の頭脳』シリーズを好んで読んでいた。正直に白状すれば、内容を一割程度も理解していなかったが、その凄さを雰囲気だけでも掴もうとして、将棋盤に棋譜を並べていた。私にとっては、あまりに次元の異なる、頭脳明晰な人たちの展開する世界という感じであった。
人間の頭脳の象徴として仰ぎ見ていたプロの棋士が、将棋ソフトに負けたというのは衝撃であった。いつかは訪れることであろうとの予測があったことではあるが、実際に目にした時はショックだった。プロフェッショナルな棋士の方々はどのようにソフトと向き合うのか。どのような将来を描くことができるのか。こういった興味を持ちながら本書を読んでいて考えさせられたのは、仕事におけるAIとの付き合い方である。もっと具体的に言えば、人事の領域においてどのようにAIを活用していくのか、と自分に引き付けて考えさせられた。
何名かのインタビュー内容から、何を考え、どのように展開が可能なのかについて少し考えてみたい。
――ソフトを使い始めてから、千田さんの将棋はどこが変わりましたか。
千田 ソフトの棋譜と評価値をたくさん見たことで、判断材料が増えました。いままでの感覚でダメそうに見えたり危険に感じるような局面でも、「大丈夫」と見切って踏み込むことができるようになった部分はあります。逆に言えば「いままでの感覚なら飛び込んでいたけれど、これは止めた方がいい」と判断することもあります。(155頁)
棋士の中にも、ソフトを使う方とそうでない方とがいるという。1994年生まれの千田五段は将棋ソフトを積極的に使うことで有名だそうだ。その千田さんの言葉からは、人間の思考やそれに伴う判断を補助するためのソフトという関係性が見える。私たちが「普通のこと」として考えたり感じたりすることをいったん括弧で括るためのもの、とも捉えられるのではないか。つまり、私たちの「普通」を拡張する作用がソフトにはあり、このように考えれば、業務の中でどのようにAIと付き合うかということのヒントにもなりそうな気がする。
――ソフトを経験して、いい面も悪い面も見えてきた。これからはどうされますか?
村山 やっぱり地力をつけていきたいです。ソフトで得るものって新しいアイデアとか、自分が指したい形での最善の一手とか、結局は情報なんですよ。ソフトを使って根本的な将棋の力がつくかというと、ちょっと疑問を感じますね。(202~203頁)
2015年の電王戦で最強ソフトの呼び名が高い「ポナンザ」に敗れた村山七段の言葉である。千田さんはソフトの可能性を認めながらも、ソフトとの接点で得られる価値は情報であるという。つまり、一瞬で評価が数値化されて、局面が良いか悪いかが分かるという作用自体は情報であり、そこに至る思考のプロセスやそれをどのように事後の展開に活かしていくか、という点は人間が行うものなのであろう。人がソフトを活用するという点で考えれば、すべてをソフトに委ねてしまうと、そのあとの勝負という短期的な将来でも活用できず、地力を高めていくという長期的な将来にも悪い影響を与えかねない。では、どのように私たちはソフトを活用できるのだろうか。
――今後、ソフトとはどう付き合っていきますか?
糸谷 ソフトに頼りきりになってしまうのであれば、自分が将棋をやっている価値は感じません。棋士である以上は、自分なりの個性を見せなければいけないと思います。(260頁)
ソフトとの共存、AIとの共存という難しいテーマに対して、気鋭の若手である糸谷竜王の言葉にそのヒントがあるのではないか。情報を活用することは重要であるし、それを知らない状態でプロフェッショナルとは言えないだろう。しかし、その活用のしかたやどういった考え方でそれを活かすかという点に、私たち人間の個性が作用するものは大きい。その礎となるべきものは、人間の価値観・個性・志といったものなのであろう。
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