2018年2月17日土曜日

【第809回】『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎、岩波書店、1982年)

 名著の誉れが高く、また現在コミック版の流行もあってベストセラーとなっている本作。恥ずかしながらまだ読んだことがなかったため、流行に乗り遅れていることを自覚しながらも読み進めてみた。

 おそらくは中学生以上の学生を想定読者として、哲学者である著者が噛み砕いて読み聞かせるように書かれている。最初に書籍化されたのは1937年であるが、現在の日本社会においても適用可能な普遍的な考え方が提示されている。いわば「道徳」と呼ばれる学問領域は戦前と戦後とで大きく異なっていると誤解していたのであるが、今読み解いても共感しながら認識を新たにできる内容であることに新鮮な驚きを覚えた。

 中学生である主人公が、自身で問いを作って考え続けたり、叔父との対話で学びを得たり、というプロセスはさながら哲学である。哲学者の碩学である著者の力量が凝縮された一冊である。

 人間である限り、過ちは誰にだってある。そして、良心がしびれてしまわない以上、過ちを犯したという意識は、僕たちに苦しい思いをなめさせずにはいない。しかし、コペル君、お互いに、この苦しい思いの中から、いつも新たな自信を汲み出してゆこうではないか、ーー正しい道に従って歩いてゆく力があるから、こんな苦しみもなめるのだと。(256頁)

 失敗をした時、しかもそれが自分自身の良心に気づきながらもそこにコミットして一歩踏み出す勇気を出せなかった時。私たちは自分自身を裏切ることで自分自身を傷つけ、それによって壊れた(と思ってしまう)他者との関係性の修復に取り組むことに二の足を踏んでしまう。


 誰しもが少なからず経験したであろうことを巧みにエピソードとして提示しながら考え方を述べている。過ちを認めることの大切さと、良い結果をたとえ得られないかもしれないとしても非を詫びることの尊さ。そうすることは、過去の事実は変えられないとしても、少なくとも将来の自分自身の糧として活かすことに繋がる。


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