言わずと知れた日本を代表する風景画家の一人である著者が、なぜ風景画を描くことになったのか。また、風景を描き続けたのはなぜか。以下の一節にその答えがあるように私には思える。自然を描きながら、自然の中に自身を位置付け、自然を通じて自分自身の内奥を描いていたのではないだろうか。
私は生かされている。野の草と同じである。路傍の小石とも同じである。生かされているという宿命の中で、せいいっぱい生きたいと思っている。せいいっぱい生きるなどということは難しいことだが、生かされているという認識によって、いくらか救われる。(178頁)
自身の作品に著者自身が言葉を添えながら構成されている本作。頭と心で、じっくりと味わいたい一冊である。
夏の早朝の草原の中に、一すじの道がある。
遍歴の果てに、新しく始まる道。
絶望と希望が織り交ぜられた心の道。(「道」(18頁))
絵画もいいが、言葉に考えさせられた。新しい道というものにポジティヴな清新さを感じていたが、希望とともに絶望が混ざっているというところが唸らさせられる。
弦楽器の合奏の中を
ピアノの静かな旋律が通り過ぎる。(「緑響く」(115頁))
好きな作品の一つ。白馬を「ピアノの静かな旋律」と形容しているところがすごい。絵画の中に音を見出すという感覚は残念ながら持ち得ないが、解説を受けるとそのように感じることもできる。
雨が止んで、青く澄んだ嶺々が爽やかな姿を見せる。
谷間からは白い雲が、ためらいながら立ち昇ってくる。(「山嶺白雲」(133頁))
意識して鑑賞したのはおそらく初めてである。思わずページをめくるスピードが弱まり、じっくりと見てしまった。なんというか、気持ちが洗われる感じがする作品である。
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