石原莞爾は日本陸軍を満州事変へと主導した人物であり、ひいては日中戦争および太平洋戦争へと至らしめた人物であると認識している。詳細は『昭和史1926−1945』や『昭和陸軍全史1 満州事変』に詳しいが、この認識は大筋では誤ってはいないだろうし、その責任が重たいものであることは間違いない。
しかし、本書では彼の思想とその背景に対する深い洞察が描かれており、後世を生きる私たちが、彼を否定すれば済む話ではないことがよくわかる。以前のエントリーでも書いた通り、ある時代のパラダイムを創り出した人物の考え方は、論理的であり納得的な側面がある。特定の人物を頭から否定するのではなく、謙虚に学び、考える力を養うことが私たちには求められるのではないか。
石原の思想を、法華経と妻・銻への愛という二つのキーワードを基に述べ、世界最終戦争へと辿る変遷を本書では説明している。その結論は論理的であり、あの時代における陸軍の天皇に対する想いや考え方が以下に端的に現れている。
本書がたどってきた石原の思索の歩みをふり返ると、それが直接性の追求から間接化の実現への変容であることに気付く。石原の最初の願望は、銻との「一心同体」をめざす試みや、頻出する「不惜身命」に現れているように、性急に相手との合一をめざすものであった。この前提から考えたとき、戦争ののち統一が実現するとの論は、どこか、殴り合ったあとに抱き合うような徹底的に身をまかせあう印象があろう。けれども最終的に石原の思想がたどりついたのは、すべての人のあいだに天皇が存在することによって平和が実現するという、間接化の徹底ともいうべきあり方であった。そこでは平和は、初期の印象とは逆に、相手との距離をとるというありようとなっている。平和が、直接性の徹底ゆえに見出されるものから、直接性の断念ゆえに見出されるものへと変化したのである。(233頁)
本筋とは関係がないが、興味深いと思ったのは、宮沢賢治と石原莞爾との共通点について触れられた箇所である。宮沢の文章は、私には正直よくわからないのであるが、その物語には法華経の精神と共鳴するものがあるのかもしれない。
自然にはたらきかける技術として法をとらえうることは、宮沢賢治の思想を考えてみると、よりはっきりする。石原と同じ大正九年に国柱会に入会した宮沢は、その座右の書が法華経と『化学本論』であったことからも分かるように、仏教と自然科学にもとづいて、自らの世界観を組み立てていった。(105頁)
【第831回】『ほんとうの法華経』(橋爪大三郎/植木雅俊、筑摩書房、2015年)
【第829回】『徳川時代の宗教』(R.N.ベラー、池田昭訳、岩波書店、1996年)
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