荘子の良さを存分に伝えてくれる本書。さすがは「100分de名著」のシリーズと言えよう。端的にポイントを説明してくれており、かつ荘子を愛する碩学が魅力を語ってくれているために引き込まれる。ようやく、荘子の最適な入門書にたどり着いたようだ。
さまざまな民族や宗教による考え方は非常に相対的なものであり、何かが絶対的に正しいというものではないーーと、徹底的に笑いながら話しているのがこの『荘子』です。(7頁)
儒教をはじめとしたさまざまな生き方や思想を否定しているかのように見える荘子。その本質は、絶対的なものは存在しないとして全てを相対化しようとするという考え方が根幹にあるという。
では、人間の意志による主体性を否定する荘子は何を重視するのか。
自らの意志で動いたり変化したりするのではなく、周りが変化したので私も変化した、というのがよいと言うのです。まさに受け身です。現代の日本語でも使われる「やむをえず」という言葉の出典はまさにここなのですが、今ではネガティブな意味で使われるこの言葉が、完全に肯定的な意味で使われています。(51頁)
「しあわせだなあ」というのは、思わぬことが起こったけれど、なんとか仕合わせることができてよかった、ということ。自分の意志で事前に立てる計画とは無縁の世界、完全に受け身の結果なのです。(52~53頁)
まず受け身の考え方が重視されていることがわかるだろう。その上で、完全に自分自身を周囲に合わせて状況の変化に委ねるということではないということに注意が必要なのではないか。というのも、周囲で起こったことを受容しながらも、それを自分の関与によって「仕合わせる」ことが重要だとしているのである。
ここには西洋における主体性とは異なる考え方が見出されるのではないか。
西洋の「自由」が「みずから」勝ち取るものである一方で、「みずから」ではなく「おのずから」に任せる境地というものがたしかにある。それが、荘子の語る「自在」です。(78頁)
自然とは「自ずから然り」であるといわれる。ここにおける「おのずから」には、主体性に基づくのではなく、「一切の人為を離れて「私」を無くし、命の全体性に戻る」(78頁)ことで自分と自然とが一体になるという世界観が現出している。
荘子が目指すのは「おのずから」の変化に従うことですが、人間はどうしても「みずから」考え、行動しようとする生き物ですから、放っておくと「みずから」はどんどん「おのずから」から離れて行ってしまう、ということです。(120頁)
しかし、わたしたち人間のいわば本性として「みずから」の発想が占めがちになると著者はしている。では「みずから」に囚われないようにするにはどうしたらよいのか。ここではフローに近い考え方が荘子でも展開されている。
大切なのは、理性が捉えた自己のイメージがここでは次々に打ち破られていく、ということです。何が「自分らしさ」なのかも、すぐに分からなくなります。(122頁)
手や身体を動かし没頭することで、自分自身を頭で理解しようとするという静的な自分像を壊れていく。そのための概念装置が、荘子の教えなのではないだろうか。
【第968回】『このせちがらい世の中で誰よりも自由に生きる』(湯浅邦弘、宝島社、2015年)