2013年9月14日土曜日

【第199回】『村山さん、宇宙はどこまでわかったんですか?』(村山斉、朝日新聞出版、2013年)

 普段の読書体験において接することが少ない領域の書物を読むのは新鮮だ。エッセンシャルな学問領域ほど、他の領域に応用が利くものだ。このように信じているため、私は、意識的に、自然科学の書物を、完全には理解できないながらも紐解く機会を設けるようにしている。

 正直に白状すると、著者の書物を以前読んだ際に、よく分からずに挫折したことがある。ために、著者の書籍を目にすると身構えてしまい、手に取ることを躊躇することがあった。本書は、朝日新聞の科学記者であり編集委員を務めていらっしゃる高橋真理子さんとの対談形式である。ために、いつも以上に門外漢にも分かり易い表現がなされており、安心して読み進められた。

 まず興味深かったのは、不確定性関係について以下のように宇宙初期のインフレーションをもとにしながら分かり易いアナロジーを用いて説明されている点である。

 それ(塩川補足:インフレーション)が宇宙をビヤーッと引き延ばすわけなので、借りて返そうと思ったんだけど、「オオッ」と離れて行っちゃった。返せなくなっちゃった。そうすると借りたまま残っているわけですね。貸した方も返してもらおうと思うんだけど、オオッと行っちゃって、貸したままで終わっちゃう。こうして宇宙にでこぼこが残ったわけです。そのでこぼこが今の銀河の元になったというのが標準的な考え方です。不確定関係なんて全然私たちに関係ないと思って普通の人は聞いていると思うんですけど、このおかげであなたはここにいるんですよ。もし許されてなかったら、宇宙は本当にのっぺらぼうで、濃いところも薄いところもない。でもこの貸し借りのおかげでちょっと濃いところがあった。ちょっとというのは100メートルの海に1ミリのさざ波。10のマイナス5乗。そのちょっとのさざ波が周りのものを重力で集めて、成長して銀河になり星になり、人間が生まれた。(142頁)

 宇宙のインフレーションについては、高三の時に、東大の教養課程における英語の授業で使用されるテキスト「Universe of English」(※1998年当時のことなので今もテキストとして使われているかは分からない)中で学んだ。当然、文章は英語であったために理解がいささか足りない点もあったのであろうが、本書の解説で腑に落ちた部分がある。とりわけ、宇宙の膨張に伴い、アンバランスが発生するために銀河が生まれ、生命がその中で育まれたという点は目から鱗が落ちる思いであった。私たち人間が地球という惑星にいる不思議な経験すら感じられた。

 次に、数学という学問の可能性について。

 よく使うガリレオの言葉で言えば、「宇宙という書物は数学の言葉で書かれている」ということです。数学って自然科学ではない。足し算、引き算から始まって一つ一つ厳密にやり方を決めて矛盾がない体系をつくる、言ってみれば頭の中でそういう体系をつくるのが仕事で、自然とは無関係につくっているんですね。とても抽象的なものです。でも、なぜかそうやってつくった数字というのが、自然を理解するのにすごい役に立つ。それはすごく不思議なことです。人間の経験は、やっぱり周りのものだけに数えられて、それを説明する言葉を作り上げてきて、それを使って日常生活をしている。でも、今まで全然経験してないような世界に出会った瞬間に文字通り言葉を失ってしまう。それを話す為のボキャブラリーがなくて文法がない。そのときに使えるのが数学という言葉です。そして、一番不思議なことは、人間の感覚では理解できないとんでもない現象が見つかったときに、それを説明できる数学はその時点でできちゃっているということです。(144頁)

 一言で言えば、基礎的な学問を学ぶことの重要性が述べられている。基礎的な学問というものは、思考のOSのようなものなのであろう。そうであるからこそ、言葉になかなか還元しづらい主観的な印象や生活全般における経験を扱うことができるようになる。自然言語で説明しづらいものを、いわば人工的な客観的な言語である数学で、漠然とした現実を把捉できる、というものは興味深い。こうした現象の客観化によって、対人コミュニケーションが円滑になるという作用もあるだろう。したがって、数学とは、人と人との間のコミュニケーションにおける共通言語であるとも言えるのではないだろうか。

 最後に、学ぶことと謙虚であるということ。

 科学者を本当にやっていると、謙虚になると思います。むしろこんなにわかっていないのか、しょっちゅう降参したと言って暮しているわけですから。(151頁)

 含蓄に富んだ至言である。学べば学ぶほど、世界の複雑さや深みを理解できるということは、研究者や学習者であれば理解いただけることであろう。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の故事を引くまでもなく、自戒を込めて、常に意識したい言葉である。


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