イチローの語録には、それ自体が書籍になるほど、プロフェッショナルならではの含蓄に富んだものが多い。書籍になったものと比べても、日米通算4000本安打を記念した今回のNumberの特集号における小西慶三氏の記事にある言葉は、印象的だ。とりわけ、キャリアやライフにおいて参考となりそうな三つの言葉についてコメントを述べる。
一つめは才能について。
「学生時代、打つこと、守ること、走ることと考えること。その全部ができる人がプロ野球選手になると思っていた。今もそう思っているが(日米での)現実はそうでなかった。それ(今も変わらぬ自分のプレースタイル)が際だって見えることがちょっとおかしいな、と思いますね。だってそれは僕にとっては普通のことだから」(18頁)
野球の世界で野手に求められる走・攻・守。この三つを高いレベルで強みとすることを当たり前のこととして、すなわち、幼い自分から認識して、癖にしていたというのだから驚嘆すべきだろう。実践を繰り返せば繰り返すほど、その分野における能力を深いレベルへと掘り下げていける。さらに、「打つこと、守ること、走ること」の後に「考えること」という言葉が続く。つまり、実践の最中に考えることを、プロ野球選手になるための四つ目の要件としている。がむしゃらに行動するだけでは、同じ失敗を繰り返す。考えるだけではいつまでも新たな一歩を踏み出せない。行動しながら考える。日々考えながら練習や試合で試し続けること。思考と行動の絶え間ない相互交渉こそがイチローの才能なのであろう。
第二に継続することについて。
「いろんなことが諦めきれない自分がいることを、諦める自分がずっとそこにいる。野球に関して妥協ができない」(19頁)
この発言の前にイチローは「ちょっとややこしい言い方になりますが」と前置きをしたそうだ。誤解しかねない言葉であるため、じっくりと向き合う必要があるだろう。才能とは自然と自分の心が向かうもの、または他人よりも容易に行えてしまうものである。しかし、才能を継続して発揮し続けることは意味していない。つまり、高め続けることは、才能があろうがなかろうが、意志の問題である。イチローにとって、自分の課題を見つけ続けるということは、一つの課題を解決してもまた新しい課題が見つかるという現実を受け容れることになるのだろう。すなわち、何かに対して諦めないという感情を持つ自分の認識を諦めるということになる。イチローらしい、複雑な事象をシンプルに凝縮した言葉づかいである。
第三に自己動機付けについて。
「こういうときに誇れるのは(4000安打の)いい結果ではない。僕の数字で言えば8000回は(凡打の)悔しい思いをしてきたし、それと常に自分なりに向き合ってきた事実がある。誇れるとすればそこじゃないかなと思う」(21頁)
良い結果を誇るのではなく、悪い結果を受け容れること。つまり、悪い結果ときちんと向き合い、その過程から自身の課題を見出し、課題を解決するための方向性を見出し、日々の行動の中で改善してきたことこそを、イチローは誇りにしている。この発言でイチローが例にしている三割三分三厘という打率は、一般的な野手の数字としては極めて高い数字だ。しかし、イチローは六割六分七厘の「凡打率」を見出す。失敗を引きずりすぎては悪影響を及ぼすし、だからといって失敗をないがしろにしては反省できない。失敗を客観的に振り返った上で、いかに主観的に成功イメージを抱くことができるか。そこには行動の訓練とともに、思考の訓練が必要であり、揺るぎない志をいかに持つか、ということが関わってくる。
『「働く居場所」の作り方』(花田光世、日本経済新聞出版社、2013年)
『「経験学習」入門』(松尾睦、ダイヤモンド社、2011年)
Number792「ホークス 最強の証明。」(文藝春秋社、2011年)
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