博物館という言葉から想起されるのはハコモノだ。そのハコモノにモビリティを持たせるということはどういうことなのか。本書を読む前に読者の多くが抱くであろう疑問に対して、著者は、その試みの特徴とメリットについて丹念に説明を加えている。
「モバイル・ゲル」はいまだ実現せざるプロジェクトである。しかし、こうした思考実験は、ミュージアムとはなにかという問いに対する答えを、設備や機能といった側面から考える上で意義深い。すなわち、このプロジェクトは、展示コンテンツのコンパクト化、さらに言うならミュージアムのミニマリズムを究極まで推し進めるという、実験そのものにほかならないからである。ことばを換えると、それを欠いたならもはやミュージアムとは言えない最小限の構成要素として、なにが残るかを問うことに通じる。(30頁)
モビリティを持たせるためには、要素を極限まで削る必要がある。要素を削り落とした上で、それをどのように配置するかというリデザインの発想が求められる。物事の本質を突き詰めて考えるという思考作業は、要素をシンプルにした上で、その組み合わせを検討する、ということを意味するのではないか。
まずは著者のいうところのモバイルミュージアムの定義から見てみよう。
「モバイルミュージアム」とは、固有の施設、建物、スタッフ、コレクションを常備した、ハードウェアとしてのミュージアムを指すものでなく、ミュージアム事業のあり方すなわち、小規模で、効率的な事業を積み重ねることで活動総量の増大を図るための、ソフトウェアとしての戦略的な事業運営システムのことを云わんとするものである。(44頁)
簡潔に定義づけがなされている。さらにイメージを持つために著者の喩えを見ておくと良いだろう。
「モバイルミュージアム」は、コンパクト化された展示ユニットを、ネットワークで結ばれた場所ないし施設のあいだで循環させるシステム工学的な設計図に、それを維持し実現するための社会経済学的な運営法を複合させる試みである。従来からある巡回展とは、企図の主旨、実践の方法が異なるということ。レゴに喩えると、こうである。百ピースの各色のレゴを用意しておいて、必要に応じて彩りを考えながら十ピース、二十ピース、三十ピースと配ってゆく。これが「モバイルミュージアム」である。それに対し、従来の巡回展は、同じ百ピースのレゴからなるものであっても、すでに組み上がっていて、もはやかたちの変えられない集塊物を配る作業と言える。ここに違いがある。(41頁)
モバイルミュージアムと通常の巡回展との相違を端的に記している。まず、組み上がったものには組み上がったものの良さというものがあるとして巡回展そのものを否定していないことに留意が必要だ。その上で、巡回展とは異なるモバイルミュージアムの利点として、時代や社会に合った組み替え、すなわちリデザインの可能性を見出している。著者が用いているレゴのアナロジーをもとに考えればその利点はイメージしやすいだろう。
さらに利点を深掘りしてみよう。
機動性や自在性や汎用性を活かすことで、自然史標本や文化史資料など日頃馴染みのないコンテンツを身近なものにできる。所定の場所に標本や資料を常在させることによって、ミュージアムの本来的な使命である社会教育の機会を増大し、枠組みを拡大してみせる。それが、ミュージアムに対する外部からの有形無形の支援の増大につながるなら、さらによい。感覚的美意識や学術的好奇心に働きかけることで、日常空間を文化的な香りのする場に変容させる。あるいは、そこまで言わずとも、学術の世界とはいかなるものか、文化財とはどのようなものか、そうした関心や意識の啓発に寄与する。諸々の狙いのものに実現される「モバイルミュージアム」は、既存のミュージアム・コレクションの利用価値を顕現させ、その存在に適った展示デザインを考案し、広く一般に公開してみせることから得られる公益性を、幅広い社会層の享受できるものとするための展示事業システムなのである。(43頁)
ここでは明確に、モバイルミュージアムの有する既存の博物館への相補性というメリットが提示されている。既存の博物館が持っている可能性を、モビリティを用いることによって、様々な主体の持つ潜在的なニーズを満たすことが増大化させるのがモバイルミュージアムなのである。したがって、それは、単なる作品の陳列ではなく、展示という場のデザインなのである。モバイルミュージアムによってニーズの裾野を広げ、啓発・教育活動を行うことによって、既存の展示物の可能性がさらに高まる。こうした循環を生み出すシステムとして捉えることがモバイルミュージアムの可能性の本質を表していると言えるのではないだろうか。
海外での「モバイルミュージアム」事業を進めるなかでわれわれが学習したことのひとつは、展覧会は一回限りで終わらせるものでなく、回帰的に反復させてもよいのではないか。否、そうあるべきなのではないかということである。それによって展示コンテンツを、よりよいものに進化洗練させることができるなら、それに越したことはない。展覧会が場所を移動するあいだに、「成長」し、「進化」する。二〇一三年春には、進化を遂げたコンテンツが東京で再公開される。海外遍歴を重ねた展覧会が、どのような成長を遂げたのか、あらためて検証する機会を設けたいと考えている。展覧会を会場を変えながら繰り返すことの意味はここにある。(123頁)
モビリティの持つ意義の一つは、こうした異なる地域・国・文化におけるオペレーションから得られる学習効果であろう。多様な学習を通じて、個々の要素の持つ価値を再認識し、新しい組み合わせの妙が生み出される。学びの連鎖は、価値をスパイラルアップさせるというよりも、新たな引き出しを増やすという豊かな価値の再発見に繋がるのだろう。
既存のモノのありようを多様な現代社会のニーズ、現代人の趣味嗜好に適うようデザインし直すことで、あらたな利用価値を生み出したいと考える。古い建物を改修し、新しいミュージアムに転成させること、これは「リデザイン」である。ひとたび役立てられた展示コンテンツを、別な場所に転移させ、そこで新しい展示に組み立て直して見せることもそうである。古い学術標本を霊感源として新しいファッションやモードを生み出すこと、古くなった研究用什器を修理し、必要とされる加工を施して新しい展示ケースに衣替えさせることもまた「リデザイン」である。「リデザイン」のコンセプトは、資源やエネルギーの消費の抑制・削減という緊急課題に向かい合う現代社会が、より明快なかたちで意識化すべき方法論なのである。(174頁)
モバイルミュージアムの要諦の一つであるリデザイン。このコンセプトは、今の時代・社会においてマッチするものである。さらに私の仕事に惹き付けて飛躍させて言えば、キャリアのモビリティをも思い起こさせる話でもある。じっくりと噛み締めながら、深く考え続けたい。
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