2013年12月29日日曜日

【第235回】『ガウディ伝 「時代の意志」を読む』(田澤耕、中央公論新社、2011年)

 伝記から何を学び取るか。そこには読み手の態度とともに、書き手の態度も大きく関係するようだ。

 関係の濃淡の差こそあれ、同じ街で同じ時代に起きたことでお互いにまったく無関係なことなどない。関係がなさそうに見えても実はどこかで繋がっている事例を書いていくことによって、一度環境のなかに埋め戻したガウディの像が自ずから浮かび上がってくることもあるのではないか。スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセットは「私は私と私の環境である」と言った。まさに、「ガウディはガウディとガウディの環境」なのである。(ⅱ頁)

 ある人物を描くということは、ある人物が生きた時代や背景とその人物との環境を描くことである、という視点に立って本書は書かれている。ある人物の意志というものは、ある時代における意志の一部であり、反対の側から見れば、歴史的な人物たちの意志がある時代の意志をも構成する、とも捉えられる。ガウディを描くということは、ガウディが生きた時代および当時の社会の意志を描くということなのだろう。

 こうした環境要因がガウディを生み出したと捉えられる特徴的なポイントについて、以下の四点を取り上げてみよう。

 いくつかの建築事務所でアルバイトをし、ひたすら図面を引き続けた。学業に身が入らなくても無理はない。 ただ、このアルバイト生活には、プラスの面も少なからずあった。 教室で課題として行う製図から学べることと、実際に金を出す施主がいて、その要求に従って現実の建築物に結実させるためにする製図から学べることの間には、天と地ほどの差があるのはいうまでもない。(37頁)

 実務と学術の往還関係。実務だけを行っていると抽象化の思考訓練が弱くなるが、学術だけに携わっていると顧客意識や実践的インプリケーションの抽出が弱くなる。したがって、これらを同時に、もしくは交互に行い続けることが大事なのだろう。学校で学ぶことと、アルバイト実務で学ぶこととを統合させた結果、ガウディという偉大な建築家が生み出されることになったという点は興味深い。

 ガウディのパトロンたち、「インディアノ」はこのような人種であった。バルセロナの、そしてカタルーニャの反映を支えていた彼らインディアノたちの資金は、カリブ海からやって来た。そしてその大きな部分は「もっとももうかる商品」ーー人間の売買によって生み出された。(中略) 善悪の問題ではなく、ガウディの建築を見たり論じたりするときに、その作品を可能とした資金の出所がどこであったのかということは念頭に置いておいたほうがいい。(105~106頁)

 美術作品や建築物の背後にはパトロンの存在がある。そうしたパトロンたちのどのような資金が芸術作品に投じられていたのかがここでは解説されている。著者も指摘しているように、奴隷売買というビジネスの結果として得られた資金であるから悪いということではない。あくまで、時代の意志ということを考える上では、こうした背景に意識を向けることが大事なのであろう。

 いずれにせよ自己摸倣によってムダルニズマの代表的建築家となったプッチ・イ・カダファルクが、新しい流行の前に、自分のスタイルを変更せざるを得なかったのはそのためである。 しかし、ほんの一握りの真の天才たちには、この定義はあてはまらない。彼らは、常に自己破壊と再生を繰り返すので、スタイルに縛られないからである。ガウディは生きつづけていたら、自分の流儀をひたすら継続したであろう。そして、それまで同様にそれは一時的な流行やスタイルを超越したものとなっていったであろう。 この点は、ピカソが自分のスタイルを次々に打ち破っていったこととよく似ている。きわめて稀にしか出現しないそのような超弩級の天才が二人も、同じ時期に同じ都市に暮らしていたということは奇跡としか言いようがない。その意味でも当時のバルセロナは「奇跡の都市」であった。(263頁)

 天才は自分自身のスタイルに固執せず、自らの可能性を次々に拓きながら、試行錯誤を続ける。このような意味での天才として、ガウディとともにピカソが、同じ時代の同じ場所に居た、ということは知的好奇心をかき立てる。ここでは「天才」という言葉が使われているが、私たちの日常生活やビジネスにおけるプロフェッショナルと呼ばれる存在も同様であろう。それは特別なことではなく、日常の一つひとつの工夫が私たちの殻を破るための一歩の踏み出しになるのではないか。

 建築には施主が必要であり、また、建築は人が住んだり使ったりしてはじめて完結する芸術だ、と本文中で書いた。もう一つ、建築が絵画や彫刻などほかの造形芸術と違う点は、「そこから動かせない」ということである。ガウディ展を東京で開催するとしても、サグラダ・ファミリア教会を持ってくるわけにはいかない。実物が見たければそこへ行くしかない。(中略) 現在においてそうであるように、過去においてもガウディやムダルニズマの建築物は土地の生活の一部であった。建設中や建設当初に人々の耳目を集めることはあっても、やがてそこに人が住むようになると、風景に溶け込んでしまったのである。(276頁)

 ここに、環境と建築物との相互依存関係が端的に表れていると言えるだろう。どちらかがなくなってしまったら、都市も建築物も異なったものになってしまう。モバイルミュージアムといったダイナミックな鑑賞物に意義がある一方で、こうしたスタティックな建築物にもまた、私たちの生活に欠かせない意義がある。

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