2014年5月31日土曜日

【第290回】『戦争学原論』(石津朋之、筑摩書房、2013年)

 日本人は、戦争という言葉を前にして思考停止になりがちなのではないか。たしかに、太平洋戦争によって失ったものの重さを考えれば、戦争を忌避する私たちの意識は致し方ないのであろう。しかし、戦争に対して思考を止めて、無反省な状態にまでなってしまうのは問題である。

 本書は、戦争を防ぐことを目的として戦争について論じる書籍である。客観的に戦争という現象を理解することで、私たちは、戦争が起こる事態を防ぐ術を学ぶことができる。こうした著者の問題提起には大いに賛成であるし、その意欲の一つの結晶体である本書は、私たちが読むべき一冊であろう。

 戦争と祭りは、共に聖なるものとされるが、聖なるものとは常に動かし難く、圧倒的であり、そして理解不可能なのである。 以上、カイヨワの戦争観を踏まえながら戦争とは何かについて検討してきたが、彼の挑発的で刺激的な論述により、戦争に対する人々の固定観念や先入観が打ち砕かれるであろうことは疑いない。戦争、それは承認された暴力であり、命じられた暴力であり、尊敬される暴力なのである。(66~67頁)

 日本人が太平洋戦争時において、精神論で戦争に臨んだことは、私たちが自国の歴史として学んできたことである。しかし、それが1940年代の日本に独自のものであったとまで思うことは思い過ごしである。著者がカイヨワを引用しながら述べているように、いわゆる「総力戦」と呼ばれる戦争形態には、戦場においても銃後においても、死を迎え入れる構造が求められた。第二次大戦における戦争は、どの国家にとっても、国民国家によって承認され、命じられ、尊敬されるものなのである。したがって、日本だけが独特だったのではなく、総力戦とは精神論が求められるしくみを内包しているのだ。

 こうした時代精神を創り出す上では、その前提条件として国家の潤沢かつ長期間維持可能な生産能力が求められることは自明と言えるだろう。

 膨大な犠牲に耐える用意ができていることは、依然として大国として生き残るための適合性の指標であり、だからこそ、ヨーロッパでもっとも発展し、産業化され、そして教育水準の高いとされた諸国が、四年以上にわたる苦難に満ちた戦いを続けることができたのである。端的にいえば、第一次世界大戦において軍隊の決意と闘志は死傷者の数で判断された。(218頁)

 生産能力とはすなわち、産業のレベルとともに、産業の担い手としての国民の教育水準の高さとの組み合わせである。したがって、産業革命を経ていることと、国民の識字率が高いこととが生産能力を示す指標となる。生産能力が戦争の継続を規定することを頭に入れること。そうすれば、生産能力で遥かに優位にある太平洋戦争開戦時のアメリカのような国家に対して戦争を起こすことの無益さを理解できるだろう。

 総力戦を可能とする要素についてここまで見てきた。最後に、総力戦がそれを経験した国家にもたらした効用についてもまた見てみよう。

 山之内は、いわゆる上流階級とその他の国民の区別という階層性を成立以来孕んできた近代社会のあり方が、総力戦体制によって人的資源が全面的に動員され、劣位の国民も戦争遂行体制に組み入れられる中で大きく変容し、「階級社会からシステム社会への移行」が起こった、と論じたのである。そして、このようにして成立した社会を彼は「近代社会」に対する「現代社会」と呼んだ。(238頁)

 総力戦を肯定するつもりは毛頭もない。しかし、総力戦を経た国民国家が、従前にあった生来の階級社会的な要素が薄まり、機能的かつ合理的なシステムを是とする要素が高まったという側面があることもまた事実だ。こうした効用があるからこそ、戦争を求める国家は厳然として存在し、また先進諸国の中においても相対的に不平等感をおぼえ易い貧困層がナショナリズムに共鳴をおぼえることとなる。自覚的であれ、無自覚であれ、こうした傾向があることを踏まえて施策を考えることは必要不可欠である。


2014年5月25日日曜日

【第289回】『日本の経営<新訳版>』(J・C・アベグレン、山岡洋一訳、日本経済新聞社、2004年)

 半世紀以上も前の日本企業を観察して上梓された書籍とは思えない普遍性に驚かされる。優れたビジネス書とは、ビジネス環境が変わった後世においても読まれる書物なのではないか。

 今回の調査からひとつの結論を導き出すとするなら、それは、日本の工業の発展にあたって、工業社会の発展に関する欧米モデルから予想されるものと比較して、工業化以前の日本にみられた社会組織と社会関係からの変化がはるかに小さいことであろう。(174頁)

 本書の意義はここから読み取れる。50年以上も前のビジネス環境と現代のビジネス環境とはあまりに異なりすぎ、当時のベストプラクティスが現代の日本企業にそのまま活きることはないだろう。しかし、戦前・戦中から1950年代における日本企業の変化そのものは、現代の日本企業が直面する変化を考える上で参考になるのではないか。端的に言えば、不易流行である。変えるべきものを変え、変えるべきでないものを変えない胆力が私たちに求められているのである。

 本書が書かれた時代、換言すれば本書が対象にしている時代における企業について考えてみよう。花田(2013)によれば、1950年代は労務・人事管理パラダイムが支配的であったが、著者が本書で見出したのはむしろ高度経済成長期における人材開発パラダイムに基づく人事のしくみである(『新ヒューマンキャピタル経営』(花田光世、日経BP社、2013年))。これは、新しいパラダイムへと移行している先進的な企業と、戦後の混乱期におけるパラダイムに属している企業とが混在していた様子が表れていると解釈できよう。いずれにしろ、花田が指摘した高度経済成長以降の時代における人的資源管理パラダイムが本書に表れていないことは留意されたい。

 では著者が調査した1955年~1956年における日本企業の特色とは何か。 最終章における著者の要約は三つに大別できる。それぞれの要約をもとにしながら、必要に応じて各章の著述を補足しながら解説を試みる。

 第一のポイントは、いわゆる終身雇用である。

 日本の生産組織では、構成員は取り消されることのない終身の地位をもつ。(172頁)

 終身雇用というと、現代では古い制度でありネガティヴな印象すら与えることが多い。しかし、そうしたしくみが成り立っていたのは、社会環境やビジネス環境を背景として、その他の施策との整合性が取られていたこと注目するべきだ。

 この種の雇用関係がもつ意味を全体的にとらえるには、日本企業の社会組織という幅広い観点が不可欠である。会社と従業員のこの種の関係は、採用の制度、動機付けと報酬の制度と密接に関連しており、日本企業の組織全体にとって基本的な部分になっているのである。雇用関係の全体像から労働力の流動性が乏しい点だけを切り離して論じる事は可能だが、この点が孤立して機能しているわけではなく、この点に変更をくわえれば、組織の仕組み全体に大きな影響を与える。この雇用制度が不利なものだと結論づけるまえに、会社組織の他の側面を検討して、この制度が変わった場合の影響をみていく必要がある。(34~35頁)

 このように、終身雇用と労働力の流動性が乏しいという社会環境は表裏一体のものである。労働力の流動性が上がることが望ましいという一側面だけを見るのではなく、終身雇用が求められた背景とともに検討する必要があるだろう。さらには、終身雇用を中心として、それ以外の報酬や採用といった第二・第三で取りあげる各論と結びついていることを意識するべきだ。

 第二に、採用について。

 採用にあたっては、具体的な職務や技能ではなく、個人としての資質に基づいて選考する。(173頁)

 終身雇用を中心として採用という機能を考えると、入社時点でのポジションとの適合性というよりも、長期にわたって一緒に働く家族を選ぶということになる。そうなれば、特定の知識やスキルで選別するのではなく、人物評価となることは自然であろう。こうした考え方は、現代の日本企業でも、とりわけ新卒採用というシステムが存在すること、および新卒採用において人物評価の占める比重が大きいことを踏まえれば、現代でも生き残っている考え方である。

 無駄なポストが増え、不必要な仕事が作られ、能力不足の従業員を維持するために生産性が低下していることは明らかであり、予想される通りである。(60頁)

 終身における雇用を守るためには、採用した人材が活躍できない状態であっても、雇用状態を保持することになる。そのためには、不必要なポストを作り、業務に支障が出ないようにすることになる。一度、あるポストを作ると、そのポストが職務を創り出し、結果的に不必要であるにも関わらず削減することは難しくなる。したがって、労働生産性が低下されることは想像に難くない。そうしたデメリットを内包してまで、終身雇用を保持しようとした当時の日本企業が抱いたメリットについて私たちは考える必要がある。そこにこそ、日本企業が保持していた強みがあるのかもしれない。

 第三は報酬について。

 生産組織内の報酬は、一部だけが金銭で支払われる。そして、勤務成績を基準にするのではなく、広範囲な社会的要因を基準にして決められる。(173頁)

 職務給ではなく、属人的な要因で報酬が支払われるのが当時の日本企業の特徴である。人の生活に関する要素について報酬が支払われるため、社会的な要因を基準にして、支給される報酬は決められる。

 入社するのがむずかしく、入社にあたって会社と従業員が終身の関係を約束するので、報酬も間接的で人間的なものになっている。会社は従業員の衣食住など、生活のすべてに対して責任を負うとみられているし、会社自身も責任を認めている。そして、衣食住を支給し、医療や教育などを提供する直接の責任を負っている。(87~88頁)

 職務給においては、職務を契約によって遂行することに対して報酬が支給されるのに対して、当時の日本企業では従業員を取り巻く社会的要因を鑑みて生活を支えるために報酬が支給されるというロジックが形成された。

 企業は職場内に止まらず、従業員の生活に深く関与しており、従業員に対して会社が責任を負う範囲はきわめて広い。(174頁)

 さらには、そうした報酬は、従業員個人だけを対象としたものではなく、その家族をも包含するものとなる。従業員の生活を支える存在としての報酬であれば、家族を射程に置くことは当然だったのかもしれない。

2014年5月24日土曜日

【第288回】『17歳のための世界と日本の見方』(松岡正剛、春秋社、2006年)

 読みたい本がなくて困った時に私が手を伸ばす書き手が何人かいるが、著者はその一人だ。「おわりに」で著者自身が触れているように、ティーンエイジャーが読んで面白いということだけではなく、おとなの私が読んでも示唆に富んだ良著であった。

 本書は、学生を対象とした授業をもとに書かれたものであり、そのためにタイトルにあるような年齢層を主たるターゲットとしているようだ。大学の講義が基となっているため、各章が「第何講」という名称になっているところもまた、面白い。以下では、とりわけ興味深かった第二講「物語のしくみ・宗教のしくみ」に焦点を当てて論じてみることとする。

 脳というのは「自己」とか「自分」というものを少しずつ設定することで、その自己を仮の主語として情報をどのようにも組み立てていくようになっているんですね。編集しているんですね。そうすると、その仮の主語で情報を語れるようになるんです。
 それが「自己組織化」とか「自己編集化」です。つまり、いろいろ「他者」や「他人」の情報をとりこむことができるようになっていくんです。(65頁)

 ここでは、人間の脳の構造が、いかにして情報を物語として加工し保存する機能を持っているかについて触れられている。自分自身の情報をそのように加工・編集するのに加えて、他者の情報をも利用可能な状態にする上で物語として入力するのである。

 こうした個人単位での物語化が、社会単位で行われたことにより、物語が誕生する。

 紀元前八〇〇年くらいに、「語り部」とよばれる人々が出現してきます。「語り部」というのは、「物語を語る人」という意味です。もっといえば「物語の専門集団」です。 
 そのころ、物語を語る人たちは、特別な人たちと考えられていた。というのも、物語というのは、一族や民族の歴史の記憶を保存するための特別な技術と考えられていたからです。そこには一族や民族のなかに「集団的な自分」とか「集団的な自己」が生まれなければなりません。そうでないと物語にならないんですね。三歳のころのわれわれと同じように、物語を編集する語り部たちは、共同体の記憶のようなものを自己組織化したり、自己編集化したのです。(66頁)

 語り部が物語ることによって物語は生まれた。こうして、個人単位での記憶は、社会における個人という社会単位の記憶が創られることとなったのである。社会を支配する主体、つまり権限を握る権威者による意向が働いたり、民間伝承が言語化されて社会としての知恵が蓄積される上で物語は活用されたのである。

 こうした物語の持つ効用が発揮された一つの大きな例が宗教である。宗教を大別すれば、西洋における一神教と東洋における多神教とがある、と著者はする。まずは、西洋における一神教が生まれた背景について見てみよう。

 厳しい自然条件のなかでは、いろいろと判断を迷わせるようなたくさんの神々がいては困るわけです。神やリーダーはたった一人でいいし、その神やリーダーが、いつも東か西か、攻めるべきか引くべきかを示してくれないとやっていけません。あとはすべて「神の思し召し」に従うだけである。 
 こうして、「砂漠の宗教」には唯一絶対的な一神教が確立し、二分法的な宗教文化や社会文化が広まっていったのです。(120頁)

 自然環境が物語を規定することがここで示唆されている。つまり、厳しい自然の中で生きる人々は、日常的に厳しい選択が迫られる。そうしたときに多様な解答というものはあり得ず、絶対的な解答を示す、絶対的な力を持つ主体を人々は渇望する。したがって、一神教はそうした厳しい環境によって創り出されたと言えるだろう。

 次に東洋における宗教について。

 「森林の宗教」の東洋では、さまざまな選択肢ごとにそれを司るたくさんの神々や仏たちを考え出したり、またそれらの神仏と調和しながら、人間の生きかたや生きる技術を高めていこうといった思想が発達していったのです。すなわち「多神教」や「多神多仏」の国々になったんですね。(121頁)

 多神教では多種多様な解答が存在し得る自然環境が前提となると著者はする。ここで留意したいことは、そうした環境が人間にとって必ずしも優しいということを意味するわけではない点であろう。つまり、人が生き易いか否かということではなく、日照りが続くときには雨がありがたく、雨が続くときには晴れ間がありがたい、といった多様で変化に富んだ環境ということである。

 こうした多様な外的自然を前提として、内的な自然のゆたかさを重視する東洋の思想の一つが老荘であろう。

 お互いの社会的な地位とか役割をいったん捨てて、「無」になってみることで、新しい関係をそこから生み出していくことができる。そうしたらどうかというのです。これは、さきほど説明した仏教における「空じる」という考え方とちょっと似ているようですが、「空」が「苦しみからの解放」を重視しているのに対して、老荘思想の「無」は「ちがいからの解放」を意図しているんです。 
 そこで、この、「無」になりなさいということを、べつの言いかたで、「無為自然」ともいいます。「あるがままに」ということです。そうすることによって、さまざまな差異を超えて本当の心の遊びというものと交じりあって、楽しめるということなんですね。これが老荘思想とかタオイズムというものです。(114~115頁)

 なにも老荘思想が東洋思想を代表するものであるということを主張するために引用したわけではない。しかし、現代のような多元的かつ多様な社会において、老荘思想の唱える無為自然ということの重要性は高まっているのではないだろうか。ともすると私たちは二者択一という西洋的なパラダイムばかりで物事を考えてしまう。Aと非Aという関係性からはお互いがお互いを理解できる縁を紡ぎ出すことが難しい。そうした違いに焦点を当てるのではなく、自分自身をありのままに受け容れ、多様な自分自身をたのしむという老荘の教えを、私たちは時に思い出したいものである。


2014年5月18日日曜日

【第287回】『こころ』(夏目漱石、青空文庫、1914年)

 後期三部作の最後を飾る本作。連載後百年が経過した本年、朝日新聞誌上で再度連載されているという趣き深い取り組みをされている名著である。私にとって、折に触れて何度も読み返す小説の一つである。

 傷ましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値のないものだから止せという警告を与えたのである。他の懐かしみに応じない先生は、他を軽蔑する前に、まず自分を軽蔑していたものとみえる。(kindle ver. No. 210)

 他者を遠ざけようとしている人は、他者を軽蔑しているからではなく、自分自身を軽蔑しているからなのかもしれない。他から見て不器用に見える生き方をしている人が世の中にはいる。そうした方を対象として、コミュニケーションのスキルを会得したり、社交的なマインドセットを持つように促すビジネス書が最近では多い。しかし、漱石が「先生」を通して表現をしているように、まず自分自身を認めること、自己肯定感を持てるようにすることが必要なのではないだろうか。

 悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです(kindle ver. No. 1140)

 「先生」は、世の中にいる全ての人間を猜疑心の目でもって眺めている。しかし、私は、ここに近代的な人間観の希望を見出すことができると考える。つまり、内包する多様な人格の統合体としての自分という人間観は、近代社会学の草創期にジンメルが主張したものである(『ジンメル・つながりの哲学』(菅野仁、日本放送出版協会、2003年))。漱石が本書を著したのとほぼ同じ時期にこうした社会学の動きがヨーロッパで起きていたというのは興味深い。この人間観を援用すれば、多様な人格の中には、他者との関係性を構築する縁を持っているという考え方もできるはずだ。悪人は悪人、善人は善人といった割り切った考え方ではなく、多様でゆたかな関係性を創り上げる可能性があるという考え方は、私たちにとって希望と呼べるだろう。

 あなたは私の過去を絵巻物のように、あなたの前に展開してくれと逼った。私はその時心のうちで、始めてあなたを尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から、或る生きたものを捕まえようという決心を見せたからです。私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜ろうとしたからです。その時私はまだ生きていた。死ぬのが厭であった。それで他日を約して、あなたの要求を斥けてしまった。私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が停った時、あなたの胸に新しい命が宿る事ができるなら満足です。(kindle ver. No. 2266)

 「先生」が「私」に過去のすべてを手紙で打ち明けようとした理由が書かれた箇所であり、思わずはっとさせられる心情の吐露がなされている。私が注目したのは、「私」が「先生」から嫌われることを怖れずに、率直に「先生」の人生を知りたいと切実に伝えた点である。本音を語ってもらうために、相手に率直に伝えるということは、次の展開へと繋がることもあるのだろう。しかし、そうして得られるものが、必ずしも素晴らしい教訓だけではるとは限らず、「先生」の遺書ともなるということが難しさであり、奥深さであるのかもしれない。

 「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」(kindle ver. No. 3851)

 高校生の頃にはじめて本書を読んだ時から、なぜかこの言葉が私の印象に残り、爾来、座右の銘と評しても過言ではない存在である。これは「先生」がKを追いつめるために放った戦略的な一言として描かれているのであるが、私にはそれ以上の意味合いを見出してしまうのである。現代のビジネスの潮流としては「向上心のないものは馬鹿だ」という意味合いの方が強いように思えるが、「向上心」の前に「精神的に」という言葉を付けるべきではないか。単に自分自身のスキルや知識が向上するのではなく、自分自身を肯定し、他者を慮り、他者との関係性をゆたかにすることで精神的に向上することが、社会で求められるパフォーマンスに繋がると私には思える。

 私はしまいにKが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうかと疑い出しました。そうしてまた慄としたのです。私もKの歩いた路を、Kと同じように辿っているのだという予覚が、折々風のように私の胸を横過り始めたからです。(kindle ver. No. 4369)

 自分を信じられず、その結果として他者をも信じられない「先生」が感じる孤独は、近代以降の私たちが生きる孤独とも繋がる。しかし、姜尚中氏が述べているように(『悩む力』(姜尚中、集英社、2008年))、孤独な社会を前提とした上で、まじめに悩むことこそが重要なのだろう。

2014年5月17日土曜日

【第286回】『行人』(夏目漱石、青空文庫、1914年)

 後期三部作の二作目。唸る文章表現に溢れながら、最後の章では主人公の兄の心情が手紙というかたちで描写され、漱石による近代的自我への考察が表れているようだ。

 それは夕方の比較的長く続く夏の日の事であった。二人の歩いている岡の上はことさら明るく見えた。けれども、遠くにある立樹の色が空に包まれてだんだん黒ずんで行くにつれて、空の色も時を移さず変って行った。(kindle ver. No. 119)

 情景をシンプルに描き出し、読む者に想起させること。この難しさをいとも簡単にしてみせるところに漱石の文豪たる所以があるのだろう。昼から夕刻へと映る様を巧みに描写しながら、場面展開も行っているところは唸るばかりである。

 自分はこういう烈しい言葉を背中に受けつつ扉を閉めて、暗い階段の上に出た。(kindle ver. No. 3713)

 最後の「暗い階段の上に出た」という表現が素晴らしい。単に「階段を降りた」とせずに、「階段の上に出た」とすることで、主人公がもの悲しい想いで、とぼとぼと階段に向かう様子が伝わってくる。

 四月はいつの間にか過ぎた。花は上野から向島、それから荒川という順序で、だんだん咲いていってだんだん散ってしまった。自分は一年のうちで人の最も嬉しがるこの花の季節を無為に送った。しかし月が替って世の中が青葉で包まれ出してから、ふり返ってやり過ごした春を眺めるとはなはだ物足りなかった。それでも無為に送れただけがありがたかった。(kindle ver. No. 4977)

 季節の推移を、内面描写によって描き出す。スピーディーな展開を表現しながらも、その間の主人公の心持ちを鮮明に描いている。

 兄さんの苦しむのは、兄さんが何をどうしても、それが目的にならないばかりでなく、方便にもならないと思うからです。ただ不安なのです。したがってじっとしていられないのです。兄さんは落ちついて寝ていられないから起きると云います。起きると、ただ起きていられないから歩くと云います。歩くとただ歩いていられないから走けると云います。すでに走け出した以上、どこまで行っても止まれないと云います。止まれないばかりなら好いが刻一刻と速力を増して行かなければならないと云います。その極端を想像すると恐ろしいと云います。冷汗が出るように恐ろしいと云います。怖くて怖くてたまらないと云います。(kindle ver. No. 5502)

 この部分こそ、漱石が近代的人間と、その苦しみを描き出した箇所ではなかろうか。むろん、主人公の兄を描写した上述した部分は極端な例ではあろう。しかし、この本質は近代的な社会に生きる私たちの本質を抉り出したように思えてしまう。端的に言えば、進歩史観に基づき、過剰に自身を律しようとする苦しさである。

 「君でも一日のうちに、損も得も要らない、善も悪も考えない、ただ天然のままの心を天然のまま顔に出している事が、一度や二度はあるだろう。僕の尊いというのは、その時の君の事を云うんだ。その時に限るのだ」(kindle ver. No. 5564)

 前述した箇所と対になる箇所であると私には思える。常に前に進もうとし、もがき苦しむのが通常の近代人であるとしたら、そうした瞬間というのは人間の本質とは異なるもの人間性が顕在化しているものと言える。しかし反対に、進歩史観にとらわれず、いま・ここにある自分の本質が顕在化している瞬間こそが、主人公の兄の言う人間性の尊さと言えるのかもしれない。

 「車夫でも、立ん坊でも、泥棒でも、僕がありがたいと思う刹那の顔、すなわち神じゃないか。山でも川でも海でも、僕が崇高だと感ずる瞬間の自我、取りも直さず神じゃないか。そのほかにどんな神がある」(kindle ver. No. 5612)

 人間の自然の所作にこそ、神は宿るのであろう。特定の宗教を持ち出そうとした兄の友人Hに対する反論として出てきた上記の意見には、近代的人間が忘れがちな自然の所作の尊さが表れているようだ。


2014年5月12日月曜日

【第285回】『葉隠入門』(三島由紀夫、新潮社、1983年)

 誠に恥ずかしいかぎりであるが、葉隠という存在を私は食わず嫌いしていた。どうしても、戦時中に戦地へ赴いた方々に読まれた軍国主義的な書籍というイメージを持っていたのである。しかし本書を読み、葉隠に対する認識を改めるとともに、本書の著者である三島に対するイメージも変わった。三島の自死に繋がる思想には共感しかねる部分が依然としてあるが、深い思索と伝統に対する意識には共感できる部分も多いように感じた。

 「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という有名な一句自体が、この本全体を象徴する逆説なのである。わたしはそこに、この本から生きる力を与えられる最大の理由を見いだした。(10頁)

 このあまりにも有名な一節が、死地へ赴くことを徒に美化したものとして、葉隠を戦争を賛辞した書籍というイメージへ結びつけた点は大きいだろう。私もその一人であった。しかし三島によれば、この一節をはじめとして、葉隠は逆説を提示する思索の書であったと指摘する。ここでも、死ぬことを美化することではなく、死を意識することで生きることの素晴らしさを伝えたものであるというのである。

 おそるべき人生知にあふれたこの著者は、人間が生だけによって生きるものではないことを知っていた。彼は、人間にとって自由というものが、いかに逆説的なものであるかも知っていた。そして人間が自由を与えられるとたんに自由に飽き、生を与えられるとたんに生に耐えがたくなることも知っていた。(22~23頁)

 ここでも逆説という概念が葉隠の一つの重要なポイントであることが指摘されている。死ぬことを意識するからこそ生きることを大事に思えるのであり、不自由があるからこそ自由の意義を感得することができるのである。三島の葉隠解釈は私にとって新鮮であり、葉隠という存在を狭隘な意味合いに限定するのではなく、その内包する豊潤な可能性へと意識が向くようになった。

 逆説をキーワードとしながら、以下からは、三島が感銘を受けた葉隠の部分を見ていきながら、印象的であった部分を記していきたい。

 常朝の言っている「死」とは、このような、選択可能な行為なのであり、どんなに強いられた状況であっても、死の選択によってその束縛を突破するときは、自由の行為となるのである。しかし、それはあくまでも理想化された死の形態であって、死はいつもこのような明快な形では来ないことを常朝はよく知っていた。死=選択=自由という図式は、武士道の理想的な図式であっても、現実の死はかならずしもそのようなものでないことを知っていた常朝の深いニヒリズムを、この裏に読みとらねばならない。(40頁)

 葉隠は死を美化しているのではない。むしろ、死は必ずしも選択できるものではないという現実的な前提に立った上で、いかにして死を迎えるかが大事である。崇高な死や無駄死にといったように、死を分けて考えることは害悪である。いかなる死であれ、生まれて死ぬまでの人生をいかに捉えるかという意味付けにこそ意義がある。死を意識していかにして生きるかを、常朝は読み手に問うているのであろう。

 「葉隠」は、一方的な、儒教的なかた苦しい倹約道徳に対して、初めから自由な寛容な立場を保っていた。あくまでも明快な行動、剛胆な決断を目標とした葉隠哲学は、重箱の隅をほじくるような、官僚的な御殿女中的な倹約道徳とは無縁であった。そして、その思いやりの延長上におのずから、見のがし、聞きのがしという、生活哲学を持ち出している。(44頁)

 本書を読むまで、葉隠には儒教に近い印象、つまり道徳的で規律による統率を重視する書物であるという印象を持っていたが、そうではないと三島はここで述べている。論語というよりもむしろ老荘に近い寛容なイメージが強いものだと三島はする。細かなルールを遵守することや徒らに倹約を説くのではなく、自由かつ寛容な態度をこそ、葉隠は重視するのである。

 長い準備があればこそ決断は早い。そして決断の行為そのものは自分で選べるが、時期はかならずしも選ぶことができない。それは向こうからふりかかり、おそってくるのである。そして生きるということは向こうから、あるいは運命から、自分が選ばれてある瞬間のために準備することではあるまいか。「葉隠」は、そのような準備と、そして向こうから運命がおそってきた瞬間における行動を、あらかじめ覚悟し、規制することに重点を置いている。(49頁)

 決断の前には深い思索と準備が必要だ。しかし、どれほど準備をしたところで、その準備が活きるような場面が訪れるとは限らないこともまた現実である。そうした現実を冷徹に踏まえた上で、それでも淡々と着実に準備をすること。そうした準備が活きない可能性があることを受け入れることを覚悟すること。これは現代の私たちに求められるキャリア意識にも通じる厳粛な言葉である、とまで解釈することは飛躍のしすぎであろうか。

 常朝のいう意味は、武士とは全人的な存在であり、芸能をこととする人間とはファンクションに堕した一つの機能的な歯車にすぎないという考えがあったと思われる。すなわち、武士道一辺倒に生きるとは、一つの技術の習熟者として、一つの機能として扱われることではなくて、一人一人の武士が武士を代表しつつ、一人一人の武士が武士道全体を、ある場合には代表するという作用を営むものである。われ一人お国を背負うという覚悟をもって、大高慢で事に当たる武士は、そのときもはやファンクションではない。彼が武士なのであり、彼が武士道なのである。したがって、武士道一途に生きるときには、人間はただ人間社会の歯車に堕する必要はない。しかし、技術に生きる人間は、ことに現代のような技術社会の一機能として作用する以外に、自分の全人的な人生を完成することはできないのである。したがって、武士が全人的な理想を持ちながら、同時に別な技術に執着することによっては、機能をもって全体を蝕むことになるだろう。(64~65頁)

 武士の反対概念として、技術に生きる人間が対比的に挙げられている。武士が全体的な存在で、自身を超えた全体を代表する気概を持っているのに対して、技術に生きる人間は部分としての機能を担う存在であり、責任範囲を限定しようとする存在として描かれる。私企業をはじめとした現代における組織では、私たちはともすると限られた責任範囲の中で働き、そこで求められる部分的な知識と技術によって生きようとしがちだ。そうすることによって、社会や企業に対する意識どころか、自分の部署への意識すら減衰してしまう。部分に囚われず、限定的な知識や技術に固執しないことが、全体への意識を涵養し、一個人の中に全体を見出すことができるのであろう。

 「強み」とは何か。知恵に流されぬことである。分別に溺れないことである。(69頁)

 私たちは、給与の多寡や学歴の高低、資格の有無といった分かり易いものを対象として、自身の強みとして認識し易い。そうした客観的な代償物によって、何かが分かったように分別顔で判断してしまうこともあるだろう。安易に分かろうとすることや、知恵に流されることを戒めるこの部分は、臨済にも繋がる考え方(『臨済録』(入矢義高訳注、岩波文庫、1989年))であり、非常に興味深い。

 いまの時代は“男はあいきょう、女はどきょう”という時代である。われわれの周辺にはあいきょうのいい男にこと欠かない。そして時代は、ものやわらかな、だれにでも愛される、けっして角だたない、協調精神の旺盛な、そして心の底は冷たい利己主義に満たされた、そういう人間のステレオタイプを輩出している。「葉隠」はこれを女風というのである。「葉隠」のいう美は愛されるための美ではない。体面のための、恥ずかしめられぬための強い美である。愛される美を求めるときに、そこに女風が始まる。それは精神の化粧である。「葉隠」は、このような精神の化粧をはなはだにくんだ。(80~81頁)

 「女風」という表現はあまりに男性主義的な言葉遣いであり、そうした文脈では違和感をおぼえざるを得ない。しかし、言葉づかいを捨象し、この言葉によって三島が表そうとしている内実には深く考えさせられるものがある。男性であれ女性であれ、私たちは、人間関係を円滑にするために、他者に対して遠慮をしすぎ、嫌われないように意識し過ぎてしまいがちなのではないか。他者とのゆたかな関係性を築くことは素晴らしいことであろう。しかし、その動機が、三島が指摘するような「冷たい利己主義」に基づくものでないかどうかを自分の胸に問いかけるようにしたいものである。

 図に当たるとは、現代のことばでいえば、正しい目的のために正しく死ぬということである。その正しい目的ということは、死ぬ場合にはけっしてわからないということを「葉隠」は言っている。(中略)
 われわれは、一つの思想や理論のために死ねるという錯覚に、いつも陥りたがる。しかし「葉隠」が示しているのは、もっと容赦ない死であり、花も実もないむだな犬死さえも、人間の死としての尊厳を持っているということを主張しているのである。もし、われわれが生の尊厳をそれほど重んじるならば、どうして死の尊厳をも重んじないわけにいくであろうか。いかなる死も、それを犬死と呼ぶことはできないのである。(89~90頁)

 三島は、「葉隠」を論じる上で、最後の部分でも生と死について改めて触れている。彼が死を語る場面では、どうしても彼自身の死を想起してしまう。彼は、自分が描く理想の目的のために、自分自身で死期を選んだ。そうした三島が、果たしてどういう想いを持って、この部分を彼が書き上げたのかに、興味がある。

 以上が三島が葉隠について論じた部分に対する私の所感である。こうした前半部分に続き、本書の後半では、葉隠の引用と現代語訳があるのもまた、ありがたい。この後半部分から、印象に残った部分について二点ほど取りあげたい。

 その道に深く入れば、終に果もなき事を見つくる故、これまでと思ふ事ならず。我に不足ある事を実に知りて、一生成就の念これなく、自慢の念もなく、卑下の心もこれなくして果すなり。(115頁)

 いつまでも奢らずに、自分自身の課題を見出して取り組み続けることが道を極めるために大事であることは想像しやすい。この指摘に加えて、徒に卑下し過ぎないことを常朝が述べていることに深みを感じる。相克し易い両者をいかに調和させながら同時に意識するか。じっくりと噛み締めたい部分である。

 一世帯構ふるがわろきなり。精を出して見解などのあれば、はや済まして居る故間違ふなり。尤も精を出して先ず種子は慥かに握つて、さてそれの熟する様にと修行する事は、一生止める事はならず。見つけたる分にて、その位に叶ふ事は思ひもよらず、只これも非也非也と思ふて、何としたならば道に叶ふべきやと一生探促し、心を守りて打ち置く事なく、修行仕るべきなり。この内に則ち道はあるなりと。(122頁)

 固定的な考えを持ったり、ある考え方に固執するのではなく、真理を追い求めようと常に努力することを常朝は述べている。長期間にわたって努力して身に付けた知識や技術であるほど、私たちはそこに囚われてしまう。それらを否定することは、自分自身の努力を否定し、ひいては自分自身の存在意義を否定することに思ってしまうからである。しかし、努力自体が大事であることは自明であるが、そうして得られたものをもとらわれから解放し、自分自身の可能性を拓くことを常朝は指摘しているのであろう。

2014年5月11日日曜日

【第284回】『彼岸過迄』(夏目漱石、青空文庫、1912年)

 石垣と竹富を訪れた今年の一月に、前期三部作を読んだ。後期三部作をいつ読もうかと思案していたところゴールデンウィークが適切であると思った。単純に、まとまった時間を設けることができるからである。

 漱石の作品のはじまりは面白い。本作もまた、「石に漱ぎ流れに枕す」を地でいく毒のあるウィットに富んだ書き出しである。

 自分はまた自分の作物を新しい新しいと吹聴する事も好まない。今の世にむやみに新しがっているものは三越呉服店とヤンキーとそれから文壇における一部の作家と評家だろうと自分はとうから考えている。(Kindle ver. No. 31)

 たとえを用いながらも、批評精神と作家としての矜持が窺い知れる表現である。芭蕉に言わせれば不易流行ということであろうか。

 敬太郎は手紙を畳んで机の抽出へ入れたなり、主人夫婦へは森本の消息について、何事も語らなかった。洋杖は依然として、傘入の中に差さっていた。敬太郎は出入の都度、それを見るたびに一種妙な感に打たれた。(Kindle ver. No. 598)

 連絡なく寮を出た森本が置いていった杖の描写であり、その杖を描写することによって、敬太郎の森本への気持ちが表れているようである。そしてこの杖が、敬太郎のその後の物語へと誘うことになる。

 彼は頬の上に一滴の雨を待ち受けるつもりで、久しく顔を上げたなり、格好さえ分らない大きな暗いものを見つめている間に、今にも降り出すだろうという懸念をどこかへ失なって、こんな落ちついた空の下にいる自分が、なぜこんな落ちつかない真似を好んでやるのだろうと偶然考えた。(Kindle ver. No. 2214)

 自分自身が内包する不安な気持ちが外に投影されている。詩的な情景であるとともに、どこか感傷的な情景でもある。

 眼が覚めると、自分の住み慣れた六畳に、いつもの通り寝ている自分が、敬太郎にはまったく変に思われた。昨日の出来事はすべて本当のようでもあった。また纏まりのない夢のようでもあった。もっと綿密に形容すれば、「本当の夢」のようでもあった。酔った気分で町の中に活動したという記憶も伴っていた。それよりか、酔った気分が世の中に充ち充ちていたという感じが一番強かった。(中略)最もこの気分に充ちて活躍したものは竹の洋杖であった。(Kindle ver. No. 2305)

 夢だったのか、現実的だったのか、という感覚を持つことはあるだろう。そうした感覚を「本当の夢」と形容し、さらには「酔った気分で町の中に活動した」という表現もすごい。ここでもまた、先述した洋杖がキーアイテムとして出てくる。

 僕は茶の湯をやれば静かな心持になり、骨董を捻くれば寂びた心持になる。そのほか寄席、芝居、相撲、すべてその時々の心持になれる。その結果あまり眼前の事物に心を奪われ過ぎるので、自然に己なき空疎な感に打たれざるを得ない。だからこんな超然生活を営んで強いて自我を押し立てようとするのである。(Kindle ver. No. 5003)

 自我とはなにか。漱石が追求したテーマがここに表れる。なにか固定的な対象があるとその文脈に没入してしまうため、そうした具体的な文脈から逃れようと超然的な生活を強いることで自我を紡ぎ出そうとする。自我を自分の中から出そうとする姿勢は、現代の私たちにも通ずる内面描写と言えるのではないだろうか。

 こんなつまらない話を一々書く面倒を厭わなくなったのも、つまりは考えずに観るからではないでしょうか。考えずに観るのが、今の僕には一番楽だと思います。(Kindle ver. No. 5478)

 考えずに観る。余計な思考や分別を入れずにただただ観ること。そこに意義や背景を見出すのではなく、ただ観ること。こうしたことが大事な状況も、生きていればあるものだ。


2014年5月10日土曜日

【第283回】『労働法[第3版]【再読】』(水町勇一郎、有斐閣、2010年)

 労働法では、民法を基礎とする契約の概念が土台となっている。しかし、民法の趣旨である契約の自由を制約する部分があることが、労働法の特徴でもある。具体的には、以下の三つのものが、そうしたケアが求められる状況であると著者は述べている。

 第一は、労働契約が「働く人間そのものを取引の対称とするという側面をもつ」(13頁)ことによるものである。取引の対象が人間であるために、取引を自由にすることは、働く人間の自由を阻害する可能性があるために、取引に制約をかける必要があるのである。

 第二は、「労働力以外に財産をもっていないことが多いという「労働者の無資力性」や、今日の労働力は今日売らないと意味がないため買いたたかれやすいという「労働力の非貯蔵性」ゆえに、労働者は経済的に弱い立場に立たされることが多い」(13頁)という点である。有限な労働資源提供を自由に売買してしまうと、その提供主体である労働者が不利になるため、そこをケアする考え方が必要とされるのである。

 第三は、労働者が使用者に因る指示・命令を受けるという労働の基本的な構造により「労働者個人の自由(自らの判断で行動する自由)が事実上奪われている」(13頁)という状況に基づくものである。

 こうした近代自由主義社会における状況を修正する技法として、労働法の大きな特徴となっているのが集団法としての労働法という考え方である。以下の二点において集団という次元を創造したという。

 第一は、「労働時間規制、社会保険制度など、労働者に一律に与えられた「集団的保護」」(13~14頁)である。憲法25条で保障されている健康で文化的な最低限度の生活を集団的保護によって保障しようとするロジックであると言えるだろう。

 第二は、「労働者が団結して使用者と団体交渉をし、その際にストライキ等の団体行動をとることを認める「集団的自由」」(14頁)である。第一の点が一人ひとりへの保障であったのに対して、それをより強固に守り、労働者の自由を保障するために、集団的自由を創出しようと労働法はしているのである。

 これらが労働法が生まれた背景であり、労働法が射程に置いてきた意義であると言えるだろう。では、今後、労働法はどのように変容を遂げていくのであろうか。著者は三点について述べている。
 
 第一は、「労働法の「柔軟化・自由化」の流れ」(444頁)である。自由な働き方や柔軟な雇用環境を保障することが企業での実務において求められる度合いが高まってきている。そうした際に、労働法の硬さが私たちの自由な労働を疎外する側面が出てしまっているのが実情であろう。それを修正しようとするのが、この柔軟化・自由化の動きであると言えるだろう。

 第二は、「労働法の「個別化」の流れ」(444頁)である。画一的な労働スタイルを守るということは、以前には機能した考え方であり、多くの恩恵をもたらしているということは間違いないだろう。しかし、働き方や家庭での構造が多様になっているために、いかにして各労働者の個別的なニーズに対応するか、が求められているのである。

 第三は、「グローバル化の弊害是正の流れ」(445頁)である。企業がグローバルにおける競争や協働が求められる状況に直面しているということは、個人もまた、グローバルにおける人材競争が激化している。そうした状況への対応を考えることもまた、現代的な労働法のあり方と言えるだろう。

2014年5月6日火曜日

【第282回】『友だち幻想 人と人の<つながり>を考える』(菅野仁、新潮社、2008年)

 本当の友だちとは何か。この問いは親友という言葉に置き替えても構わないだろう。こうした本当の友だちや親友を渇望する人が多いという話も聞くが、そうした人びとは、本当の友だちや親友をどういった存在だと考えているのであろうか。

 私たちはある種の共同体的なつながりや関係の中で培ってきた、とりわけ日本人的な親しさの作法をお手本にし続けています。そこには確かに、損得を超えて人を全面的に包み込むような温かみや情愛の深さを受け継いでいる面もあるかもしれません。だから無下に否定してしまうわけにはいかないという側面が確かにあります。しかし、みんな同じような職業や生活形態を前提とするムラ的な共同体の作法では、もはや親しさを維持することはできないほど、私たちの置かれている状況は以前とはすっかり変わってしまったと考えた方がいい。ムラ的な伝統的作法では、家庭や学校や職場において、さまざまに多様で異質な生活形態や価値観をもった人びとが隣り合って暮らしているいまの時代にフィットしない面が、いろいろ出てきてしまっているのです。そろそろ、同質性を前提とする共同体の作法から、自覚的に脱却しなければならない時期だと思います。(24~25頁)

 現代社会は前近代社会と異なる社会であり、江戸時代の人びとが生きていた時代と現代とは異なると考えている人がほとんどであろう。私もそう思う。しかし、江戸時代の人びとが生きていたムラ社会的な意識を、現代を生きる人びとは今でも持っているのではないだろうか、と著者は警鐘を鳴らす。前近代社会は、生来の身分に基づき職業や生活が固定的で職住が近接しており、様々な観点から自分に近い他者に囲まれ、同質的な関係性を前提としたコミュニケーションが求められた。それに対して現代の私たちは、内面においても外面においてもダイバーシティがキーワードとなるような多様な人びとが混在する多様な社会を一人の人間が統合する多面社会を生きている。

 こうした変化を踏まえず、親しい存在を前提として存在した同質的な他者と、ほぼ全てを分かり合える関係性を築くという前近代的パラダイムで他者付き合いをしようとしたらどうなるか。現代には、前近代のパラダイムにおける同質的で自他を隅々まで理解し合えるような親友や本当の友だちという存在はあり得ないだろう。時代が違うのだから当たり前であるが、パラダイム変容を自覚しなければ、そうした誤りは起きてしまい、自分で自分自身を苦しめる結果に陥る。

 こうした前近代社会を鏡として対比した上で、現代社会における幸福を構成する存在を著者は37頁で端的に指摘している。

 ① 自己充実 ② 他者との「交流」  イ 交流そのものの喜び  ロ 他者からの「承認」

 ここで注目すべきは、まず「自己充実」という自分を主体とした概念が第一に挙げられている点であろう。私たちは、幸福という言葉から他者との比較や他者との関係性といった他者をありきとしたものを想起しがちだ。著者の解釈から飛躍することを覚悟で述べれば、こうした自分自身を自分で承認できるということが第二の他者との「交流」の前提になるのではないだろうか。というのも、自分自身を承認できない中で他者と交流してしまえば、自分自身が至らないと思う点を他者の言動に投影し、自分自身を否定し、他者をも否定することになりかねない。つまり、自分自身に対するヘルシーな関係性を前提として他者との関係性をヘルシーにすることで、私たちは幸福というものを感じられるのではないだろうか。

 こうした健康的な関係性を志向する上で、私たちに求められるマインドセットを著者は以下のように指摘している。

 過剰な期待を持つのはやめて、人はどんなに親しくなっても他者なんだということを意識した上での信頼感のようなものを作っていかなくてはならないのです。(中略) むしろ「人というものはどうせ他者なのだから、百パーセント自分のことなんか理解してもらえっこない。それが当然なんだ」と思えばずっと楽になるでしょう。だから、そこは絶望の終着点なのではなくて希望の出発点だというぐらい、発想の転換をしてしまえばいいのです。(128~129頁)

 旧来的なスタティックな社会における他者との同質性を前提にした交流パラダイムからの転換を促す上で、役に立つマインドセットであろう。重要な点であるため、二つに分けて考えてみたい。

 第一に、「人はどんなに親しくなっても他者なんだ」という諦めをまず持つことである。諦めという言葉は、仏教における「明らかに見極める」という言葉から来ていることは有名であるが、他者という存在を軽視するのではなくそのありようを見極めることである。自分と異なる多様な他者を充分に理解することは、翻って自分自身を理解することにも繋がるだろう。

 第二に、他者との相違が存在することを認めた上で、それを「絶望の終着点なのではなくて希望の出発点」と捉えることである。つまり、同質的関係性パラダイムを引きずる私たちは、ともすると、相違があること=分かり合えないこと=関係性を築けないこと、というように相違を否定的な帰結に結びつけ易い。しかし、異なるからこそ他者を知りたいと思ったり、協働することで想定を超えるチームワークが導き出せるということがあるだろう。相違があるということを可能性の源泉として捉えること。これが、現代に生きる私たちの第二のポイントであると言えるだろう。

 こうした、前近代社会と異なる現代社会であるからこそ、必要とされるのがルールである。しかし、ここにおいても、前近代社会的パラダイムで思われるようなルールという概念への否定的態度でなく、ルールをむしろ肯定的に捉えることが現代では重要だ。

 ルールというものは、できるだけ多くの人にできるだけ多くの自由を保障するために必要なものなのです。 なるべく多くの人が、最大限の自由を得られる目的で設定されるのがルールです。ルールというのは、「これさえ守ればあとは自由」というように、「自由」とワンセットになっているのです。 逆にいえば、自由はルールがないところでは成立しません。(86頁)

 なんでもやっていい、と言われると、私たちはかえって自由に振る舞うことができず、他の人がやっているように、以前の慣習を踏襲するように動いてしまう。そうではなくて、私たちが自由さを発揮できるようにルールを整えることが社会においては重要なのだろう。幼少の頃を想い出してほしい。私たちの多くは、ゼロから新しい遊びを創り出すのではなく、既存の遊びをよりエキサイティングにするように少しルールを変えたり、縛りを緩くしたりしたのではないか。ビジネスでも同じだ。M=ポーターが『日本の競争戦略』で「Japan as number one」時代の日本についていみじくも述べたように、官僚に因る規制が日本企業のイノベーションを促進したという事例もあるのだ。

 最後に、企業における教育に携わる身として、教育者に対する著者の主張にハッとさせられたので、自戒を込めて引用して終りにしたい。

 では、なぜ私は、「生徒の記憶に残るようなりっぱな先生をめざすことはない」なんて、頭から冷や水をあびせるようなことを学生に伝えようとしているのでしょうか。 私から言わせれば、先生というのは基本的には生徒の記憶に残ることを求めすぎると、過剰な精神的関与や自分の信念の押し付けに走ってしまう恐れがあるからです。だから生徒の心に残るような先生になろうとすることは無理にする必要はなく、それはあくまでラッキーな結果であるくらいに考えるべきで、ふつうは生徒たちに通り過ぎられる存在であるくらいでちょうどいいと思うのです。(98頁)

『ジンメル・つながりの哲学』(菅野仁、日本放送出版協会、2003年)
『自由からの逃走』(E・フロム、日高六郎訳、東京創元社、1951年)
『気流の鳴る音』(真木悠介、筑摩書房、2003年)

2014年5月5日月曜日

【第281回】『良い戦略、悪い戦略』(リチャード・P・ルメルト、村井章子訳、日本経済新聞出版社、2012年)

 経営思想家のグルの一人としても名高い著者による最新著である。エッセンスを抽出しようとする本書のような作品こそ、経営戦略の入門書の一冊として位置づけられるべきものなのかもしれない。

 戦略を野心やリーダーシップの表現とはきちがえたり、戦略とビジョンやプランニングを同一視したりする人が多いが、どれも正しくない。戦略策定の肝は、つねに同じである。直面する状況の中から死活的に重要な要素を見つける。そして、企業であればそこに経営資源、すなわちヒト、モノ、カネをして行動を集中させる方法を考えることである。(4頁)

 戦略という概念について、著者はずばりと選択と集中であるということを端的に述べている。ここまでシンプルに定義付けしない限り、著者が述べるようにともするとビジョンや行動計画や目標といったものと混同されてしまうのであろう。その上で、本書のタイトルにもなっているように、良い戦略と悪い戦略との差異について著者は筆を進める。

 良い戦略とは最も効果の上がるところに持てる力を集中投下することに尽きる。短期的には、手持ちのリソースを活かして問題に対処するとか、競争相手に対抗するといった戦略がとられることが多いだろう。そして長期的には、計画的なリソース配分や能力開発によって将来の問題や競争に備える戦略が重要になる。いずれにせよ良い戦略とは、自らの強みを発見し、賢く活用して、行動の効果を二倍、三倍に高めるアプローチにほかならない。(134頁)

 選択と集中という観点に時間軸を加えることで、短期的なアプローチと長期的なアプローチとに分けて展開されていることが分かる。短期と長期のアプローチをそれぞれ分けて考えながら、最終的に統合させることでそれぞれのアクションにレバレッジがかかるようにアプローチするべきであると著者は述べる。

 「条件を指定しない限り、技術者は何もできない」というフィリスの慧眼は、組織的に行う仕事の大半に当てはまる。サーベイヤーの設計チームと同じく、どんなプロジェクトでも状況が完全に解明されているということはめったにない。このようなとき、リーダーは複雑で曖昧な状況を整理して、何とか手のつけられる状況に置き換えなければならない。だが多くのリーダーがここでつまずいてしまう。何に取り組めばよいのか曖昧なままにして、むやみに高い目標を掲げてしまうことが多い。「最後の責任は自分がとる」と言うだけでなく、近い目標を設定してチームが動けるようにすることがリーダーの大切な使命である。(152頁)

 経営戦略という言葉からは、CEOや経営企画といった一部の人々だけが担うものと誤解されがちだ。しかし、戦略の遂行を担う人々は組織の至るところにいるべきであり、そうした存在がリーダーである。リーダーは、経営戦略を信奉してその正当性を述べるばかりではなく、直近で行うべき近い目標や方向性を具体的に伝える存在である。そうしなければ、組織として戦略に合致した行動を徹底することはできず、戦略は画餅と堕してしまうのである。


2014年5月4日日曜日

【第280回】『哀愁の町に霧が降るのだ(下)』(椎名誠、新潮社、1991年)

 上巻に続き、下巻もまた、興味深い表現に満ちており、一気に読み終えた。引用をしながら所感を書いていると、著者は意図的に漢字で書くことを少なくしているのではないかと感じる。漢字ではなく、ひらがなやカタカナを多く用いることで、表現が伝わり易くなうということもあるのかもしれない。

 外から帰ってくると片手にさりげなくモーパッサンとかリルケなどの本を持ち、いつになくすこし愁いを含んだ、人生につらそうな顔をちらりと見せたりしていた。(160頁)

 嫌みな情景を、読者が嫌みに感じないように書くとこのようになるのであろうか。

 いつになく沢野がシリアスなので、ぼくたちはそのあといつになく言葉少なにおじやを食べ、薄いお茶を飲んだ。そして昼近く、沢野はバタバタと身の回りのものを片づけ、「それじゃ学校へ行ってくらあ、今夜は友達のところに泊まるから帰らないよ」と言って大あわてで出ていった。(197頁)

 本作にしては、珍しく文学的な表現である。静と動とをアナロジーを用いながら表現し、巧みに両者を対比的に用いることでストーリーの展開を表現している。

 とにかくひたすらうるさい親父だったけれど、寄りかかっているその壁のむこうにはいまはもう誰もいない、ということになるとなんだか奇妙に空虚なかんじがした。(315頁)

 ここもまた、文学的な表現である。文学的な表現を著者が用いる箇所は、感傷的な気持ちを表現している場面のようだ。「奇妙に空虚なかんじ」というのが、なんだかいい心持ちのする表現である。

 空がいつの間にかものすごいスピードで明るくなってきていた。風のない道路の奥はモヤがかかっているようなかんじだったが、それでもまぎれもなく、たくましくて騒々しい都会の朝がぼくらのまわりでぐんぐんと「はじまり」を告げているのだった。(348頁)

 夜が明けて新しい朝が、新しい一日が訪れる。こうした日の変化をわざわざ括弧をつけて「はじまり」と表現することで、四人+αの共同生活の終りと、新しい生活への旅立ちへの変化を表しているのであろうか。


2014年5月3日土曜日

【第279回】『哀愁の町に霧が降るのだ(上)』(椎名誠、新潮社、1991年)

 小説の善し悪しというのは私には分からない。しかし、小説家の方の表現や言い回しが参考になったり、なんとなく心地よかったりするということはある。私にとって、著者はそれに該当する小説家だ。

 思いがけず、自分でも信じられないくらい知的なかんじのセリフがぼくの口から出てきて、彼はすこし驚いたようであった。それはそうだろう、ぼくだって驚いているのだ。(65頁)

 口に出してみて、自分がそのようなことを考えていたことにはじめて気づくことがある。そうした新鮮な驚きを、このようなかたちで表現できる著者の感性というか技量に唸らさせられる。

 事態は早くも混迷と波乱の幕あけとなり、湯飲茶碗は倒れワリバシは虚空に飛んでバキリと折れた。 (中略) ソース瓶は倒れマヨネーズはぶるんとふるえた。あまりにもあまりにも妥協点のない取り合わせであった。両者は重苦しく睨みあったままずるずるとそのまま朝ごはんの部に突入した。 (中略) おお、なんということだ。これまでの二部門でまったくなにひとつ一致するものがなく、話し合いの糸口すらつかめず対立的に突っ走ってきた両者が、この重要な部門で期せずしてまったく同じ順列と組み合わせを口走ったのである。 場内はざわめき(三人しかいないけど)対立的両者は思わずお互いの顔を見合わせた。両者の歩み寄りは急速に進み、政情は早くも与野党一致の安定化路線に向かったようであった。(135~136頁)

 著者が雑誌の対談である方と「日本のうまいものベスト3」について語った際の描写である。形容するのが難しいのであるが、こうしたシーンを、過剰にではなく、シンプルにかつ面白く描写できるというのが凄い。

 しかしそれにしてもこういう唐突な、さてとこのへんでひと休みよっこらしょう、というかんじの傍若無人の章はいったいなんであるのか。識者とか正しい心をもった人々は「ん、まあ!」といって眉をひそめるだろうが、とにかくいまおれはそういうことに耳を貸している暇はないのだ。それでまあとりあえず思ったのであるが、これは「なかがき」というやつである。世の中に「まえがき」があって「あとがき」があるのだから「なかがき」があってなにが悪い。文句あっか、文句あるやつは前に出てこい!と言っているのである。(218頁)

 かくして「なかがき」が<誕生>した、とでも書くと知的なかんじになるだろうか。

 「おっかしいなあ……」 イサオがそこでひとり言を言った。その時、ついにおれたちはこらえきれなくなって大声で笑い出してしまった。イサオはそこでようやくすべてを理解したようであった。 「ちっくしょう!」 イサオはうめき、布団の上にぺたりとすわりこんだ。 「わっはっはっははは」 おれたちはそれぞれの布団の中でそれから長いこと笑いつづけたのであった。(314~315頁)

 四人+αで共同生活を送る著者たちが、その中の一人であるイサオにいたずらをしかけ、すべてが分かったあとの一コマである。青春という言葉は、このように暗喩によって表現しないと、臭くなりすぎるのかもしれない。いずれにしろ、ここまで清々しい表現というものを私はあまり目にしたことがなく、気持ちよい表現だ。

『走ることについて語るときに僕の語ること』 (村上春樹、文藝春秋社、2007年)