労働法では、民法を基礎とする契約の概念が土台となっている。しかし、民法の趣旨である契約の自由を制約する部分があることが、労働法の特徴でもある。具体的には、以下の三つのものが、そうしたケアが求められる状況であると著者は述べている。
第一は、労働契約が「働く人間そのものを取引の対称とするという側面をもつ」(13頁)ことによるものである。取引の対象が人間であるために、取引を自由にすることは、働く人間の自由を阻害する可能性があるために、取引に制約をかける必要があるのである。
第二は、「労働力以外に財産をもっていないことが多いという「労働者の無資力性」や、今日の労働力は今日売らないと意味がないため買いたたかれやすいという「労働力の非貯蔵性」ゆえに、労働者は経済的に弱い立場に立たされることが多い」(13頁)という点である。有限な労働資源提供を自由に売買してしまうと、その提供主体である労働者が不利になるため、そこをケアする考え方が必要とされるのである。
第三は、労働者が使用者に因る指示・命令を受けるという労働の基本的な構造により「労働者個人の自由(自らの判断で行動する自由)が事実上奪われている」(13頁)という状況に基づくものである。
こうした近代自由主義社会における状況を修正する技法として、労働法の大きな特徴となっているのが集団法としての労働法という考え方である。以下の二点において集団という次元を創造したという。
第一は、「労働時間規制、社会保険制度など、労働者に一律に与えられた「集団的保護」」(13~14頁)である。憲法25条で保障されている健康で文化的な最低限度の生活を集団的保護によって保障しようとするロジックであると言えるだろう。
第二は、「労働者が団結して使用者と団体交渉をし、その際にストライキ等の団体行動をとることを認める「集団的自由」」(14頁)である。第一の点が一人ひとりへの保障であったのに対して、それをより強固に守り、労働者の自由を保障するために、集団的自由を創出しようと労働法はしているのである。
これらが労働法が生まれた背景であり、労働法が射程に置いてきた意義であると言えるだろう。では、今後、労働法はどのように変容を遂げていくのであろうか。著者は三点について述べている。
第一は、「労働法の「柔軟化・自由化」の流れ」(444頁)である。自由な働き方や柔軟な雇用環境を保障することが企業での実務において求められる度合いが高まってきている。そうした際に、労働法の硬さが私たちの自由な労働を疎外する側面が出てしまっているのが実情であろう。それを修正しようとするのが、この柔軟化・自由化の動きであると言えるだろう。
第二は、「労働法の「個別化」の流れ」(444頁)である。画一的な労働スタイルを守るということは、以前には機能した考え方であり、多くの恩恵をもたらしているということは間違いないだろう。しかし、働き方や家庭での構造が多様になっているために、いかにして各労働者の個別的なニーズに対応するか、が求められているのである。
第三は、「グローバル化の弊害是正の流れ」(445頁)である。企業がグローバルにおける競争や協働が求められる状況に直面しているということは、個人もまた、グローバルにおける人材競争が激化している。そうした状況への対応を考えることもまた、現代的な労働法のあり方と言えるだろう。
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