2014年5月18日日曜日

【第287回】『こころ』(夏目漱石、青空文庫、1914年)

 後期三部作の最後を飾る本作。連載後百年が経過した本年、朝日新聞誌上で再度連載されているという趣き深い取り組みをされている名著である。私にとって、折に触れて何度も読み返す小説の一つである。

 傷ましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値のないものだから止せという警告を与えたのである。他の懐かしみに応じない先生は、他を軽蔑する前に、まず自分を軽蔑していたものとみえる。(kindle ver. No. 210)

 他者を遠ざけようとしている人は、他者を軽蔑しているからではなく、自分自身を軽蔑しているからなのかもしれない。他から見て不器用に見える生き方をしている人が世の中にはいる。そうした方を対象として、コミュニケーションのスキルを会得したり、社交的なマインドセットを持つように促すビジネス書が最近では多い。しかし、漱石が「先生」を通して表現をしているように、まず自分自身を認めること、自己肯定感を持てるようにすることが必要なのではないだろうか。

 悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです(kindle ver. No. 1140)

 「先生」は、世の中にいる全ての人間を猜疑心の目でもって眺めている。しかし、私は、ここに近代的な人間観の希望を見出すことができると考える。つまり、内包する多様な人格の統合体としての自分という人間観は、近代社会学の草創期にジンメルが主張したものである(『ジンメル・つながりの哲学』(菅野仁、日本放送出版協会、2003年))。漱石が本書を著したのとほぼ同じ時期にこうした社会学の動きがヨーロッパで起きていたというのは興味深い。この人間観を援用すれば、多様な人格の中には、他者との関係性を構築する縁を持っているという考え方もできるはずだ。悪人は悪人、善人は善人といった割り切った考え方ではなく、多様でゆたかな関係性を創り上げる可能性があるという考え方は、私たちにとって希望と呼べるだろう。

 あなたは私の過去を絵巻物のように、あなたの前に展開してくれと逼った。私はその時心のうちで、始めてあなたを尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から、或る生きたものを捕まえようという決心を見せたからです。私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜ろうとしたからです。その時私はまだ生きていた。死ぬのが厭であった。それで他日を約して、あなたの要求を斥けてしまった。私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が停った時、あなたの胸に新しい命が宿る事ができるなら満足です。(kindle ver. No. 2266)

 「先生」が「私」に過去のすべてを手紙で打ち明けようとした理由が書かれた箇所であり、思わずはっとさせられる心情の吐露がなされている。私が注目したのは、「私」が「先生」から嫌われることを怖れずに、率直に「先生」の人生を知りたいと切実に伝えた点である。本音を語ってもらうために、相手に率直に伝えるということは、次の展開へと繋がることもあるのだろう。しかし、そうして得られるものが、必ずしも素晴らしい教訓だけではるとは限らず、「先生」の遺書ともなるということが難しさであり、奥深さであるのかもしれない。

 「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」(kindle ver. No. 3851)

 高校生の頃にはじめて本書を読んだ時から、なぜかこの言葉が私の印象に残り、爾来、座右の銘と評しても過言ではない存在である。これは「先生」がKを追いつめるために放った戦略的な一言として描かれているのであるが、私にはそれ以上の意味合いを見出してしまうのである。現代のビジネスの潮流としては「向上心のないものは馬鹿だ」という意味合いの方が強いように思えるが、「向上心」の前に「精神的に」という言葉を付けるべきではないか。単に自分自身のスキルや知識が向上するのではなく、自分自身を肯定し、他者を慮り、他者との関係性をゆたかにすることで精神的に向上することが、社会で求められるパフォーマンスに繋がると私には思える。

 私はしまいにKが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうかと疑い出しました。そうしてまた慄としたのです。私もKの歩いた路を、Kと同じように辿っているのだという予覚が、折々風のように私の胸を横過り始めたからです。(kindle ver. No. 4369)

 自分を信じられず、その結果として他者をも信じられない「先生」が感じる孤独は、近代以降の私たちが生きる孤独とも繋がる。しかし、姜尚中氏が述べているように(『悩む力』(姜尚中、集英社、2008年))、孤独な社会を前提とした上で、まじめに悩むことこそが重要なのだろう。

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