2014年6月7日土曜日

【第293回】『仕事に効く教養としての「世界史」』(出口治明、祥伝社、2014年)

 日本史と世界史。私たちが中学・高校で歴史という学問を学んだ時、両者は分けて授業が為されていた。ペリー来航以前の日本史においては、日本史と世界史の結節点は、中国や朝鮮半島との交易や戦乱、鉄砲やキリスト教伝来によるヨーロッパとの交流等一部に限られている。しかし、日本の歴史だけを眺めていると、私たちの思考は制限され、誤読をする可能性すらある。著者は端的にその事例を述べる。

 もし日本史だけを勉強していたら、武即天のことや新羅の二人の女王のことは学ばない。日本史だけを見て、「この時代は女帝が多いな、男の子が病弱だったのかな」ということになって、そこで思考が止まります。けれども、そうではなくて、奈良時代に女性があのように頑張れたのは、周辺世界にロールモデルがあったからだと僕は思うのです。いったん讃良が道を開けば、安宿媛(光明子)を含めて、後に続くことは容易だったに違いありません。(中略)そうすると世界史から日本史だけを切り出せるのだろうか、という考え方が生じてきます。(26頁)

 著者による、日本史とは世界史の中の一部であり、換言すれば、世界における歴史の文脈を踏まえた上で日本の歴史を考える必要があるのではないか、という主張に同感だ。本書は、現代の日本に生きる私たちが、世界における歴史の流れを意識した上で、ビジネスや日常に活かすことを目的として書かれている。

 世界史における宗教、交易、統治の三点についての要諦に順に触れていき、最後に現代日本社会における世界の見方を見ていくこととする。

 第一に宗教について。著者が端的に示す宗教の本質的な意義はシンプルである。

 宗教は現実には救ってくれない。けれども心の癒しにはなる「貧者の阿片」なのです。いつの世も貧しい人が大多数ですから、「貧者の阿片」の需要は多い。宗教は盛んになります。(65~66頁)

 文脈を誤ると非難すら浴びかねないシンプルかつ手厳しい指摘である。宗教の中でも、不景気であるほどカルトが流行する傾向があることは、ポスト・バブル経済期ただ中の90年代中盤に起きた我が国の事象を思い起こせば容易に想起できるだろう。現世での現実的な救済ではなく、来世以降における心理的な救済を保障するというロジックを持つ宗教は、現世での現実的な幸福感を抱けない人々を魅了する。そこに宗教の本質の一つがあることは著者の指摘通りなのであろう。

 時間が回って輪廻転生が生じると考えたら、そこからどのような思想が生まれてくるかと言えば、この世は全部仮の姿である、という思想です。(中略)けれども、あまりにも生き変わり死に変わりして、それが続くとなると、この世も自分もすべてが仮の姿になってしまう。どれが本当の姿なのか。そうすると本当の姿を探し求めたいという、要求が生まれてきます。この要求を思想として大成したのがおそらくプラトンです。彼はピタゴラス教団から多くを学び、たいへん大きな影響を受けました。そして彼は、世の中にある姿はすべてが仮の姿で、美しいものを美しいと感じたり、正義を愛するような、生成消滅することのない永遠の本質を人間や世界は持っていると考えて、それをイデアと名付けました。(74~75頁)

 東洋における思想と西洋における思想とを、対比的に分かり易く述べている。キリスト教者による比較宗教学の講義を受けた際に、多神教から一神教という発展形態が宗教にはあるという話を聴いたことがある。キリスト教という一神教の立場からの発言であることを差し引いて考えてみても、そうした流れはあるのだろう。ただし、そこには発展というような価値序列の存在を指すことは合理的ではないとは考えている。いずれにしろ、多神教が支配的な日本という言説構造に生きる私たちだからこそ、多神教から一神教へ、また多神教と一神教との違いについて、自覚的であることが重要だろう。

 第二に交易について。

 生態系は横(東西)には広がりやすく、縦(南北)には広がりにくい性質を持っています。
 まず縦移動を考えてみると、気候の変化が大きい。(中略)南北アメリカでは、ユーラシアに比べてなぜ文明の始まりが遅れたのか、その大きな要因は人の移動が困難だった、生態系が閉じられていたという点に求められると思います。
 一方でユーラシアは、どこまでも横に移動できるので、中国とインドとメソポタミアとエジプトは連携(交易)することができました。お互いに刺激を受けつつ文明が早く始まった。横移動は、縦移動に比べ、ほぼ同じ気候条件で移動できるという点で圧倒的に有利なのです。(208頁)

 移動については、距離のみで考える傾向が私たちにはある。つまり、ある地点を中心に置いて同心円を描くことで遠近を考える癖である。しかし、ある地点から他の地点への物資や知恵の交流を考える際には、南北と東西の違いは歴然として存在するのである。端的に、気候条件が異なるからであり、身体的に調整することが難しいからである。

 生きるために、他の生態系と交わる、場合によっては新しい生態系に入っていく。これが交易、平たく言えば商売の秘訣なのです。(209頁)

 異なる生態系に属する人どうしが交流することは交易が盛んになることを表し、交易が盛んになるということは商いが活発になるということである。こうした異なる地域間の結節点にビジネスが生じるということは、現代でも通用する考え方であろう。

 第三に統治について。

 「こんな王様では先が心配だ。王権を縛らなあかんぞ」
 というわけで、有名なマグナ・カルタ(大憲章)ができます。1215年のことでした。
 これは貴族たちが、ジョンに法文を突きつけ、これにサインをしなかったらおまえを殺すぞと武力で脅し、サインをさせて成立したものです。これが英国最初の憲法になります。マグナ・カルタは臣下が初めて国王の権限を制約した法典なので、英国議会の始まりとも言われていますが、もともとノルマン人の社会には議会の伝統がありました。(194頁)

 英国において憲法が誕生した背景には、王位に附いている人物への不信感があり、機能不全に陥った場合のバックアップ機能を担保するためのものであった、という点が興味深い。ここには、法治国家の源泉が見出される。

 セルジューク朝の人々は、バグダードに入っても行政ができない。バグダードのような大都市をベースにして、大国を治めるためには優秀な官僚が必要です。けれども、そのための人材がセルジューク朝には育っていませんでした。(中略)
 そうするとここに、トゥルクマンの武力とペルシア人の官僚という組み合わせが成立する。喧嘩は強いし行政もちゃんとできる、黄金の組み合わせが完成したわけです。(254頁)

 歴史が生み出した統治機構の知恵が見出される。ともすると、現代における官僚は批判の対象となる。いわく、イノベーションを生み出せない、過剰な制度で行動を縛ろうとする、柔軟性が弱い、といった批判である。こうした批判は、官僚の起源から考えれば当たり前であり、むしろ官僚という存在にそうしたことを期待することが誤りなのである。大きな組織や社会を円滑に統治するために特化した官僚を活かすためにも、それに反発しながらも補い合えるイノベーターを据え置くことが必要なのではないか。

 最後に、現代における私たちへ示す著者の示唆について触れてみよう。

 日本の社会常識とは、この20、30年の間の、日本の社会で広く共有されてきた主流的な考え方や意見が中心となっているものです。
 アメリカに対する見方とか、中国に対する見方とかもそうです。
 でも人類5000年の世界史の観点からみると、社会常識とは違った姿が見えてきます。歴史を知っていれば、アメリカや中国の行動や日本の置かれている状況について、視点が複眼的になって理解しやすくなってくる。そこに歴史のおもしろさがあると思います。そして失敗も少なくなるはずです。(328~329頁)

 私たちは、自分たちが生きてきた直近の自身の社会における傾向だけをもとにして現在と近い将来を予想しがちだ。しかし、時間軸と空間軸をより広く置いて考えることが、重要である。これはなにもグローバリゼーションという概念とは関係なく、多様な歴史を活かしながら現代に活かすための叡智として言えることであろう。

 おしまいに、著者があるヨーロッパの友人と話していて、日本における「保守主義」について指摘された点が興味深いので、引用して本論考を終わりにしたい。

 「日本に保守主義は根付いていないと思う。日本で保守と言われている人たちは、ヨーロッパの基準ではクレイジー(過激派)に近いと思う。要するに、社会を少しずつよくしようという地についた考え方が見られない。イデオロギー優先になっている。むしろフランス革命の指導者に近いと思うよ」(284頁)


0 件のコメント:

コメントを投稿