「いやはや、とんでもないことだ!この老いた聖者は、森のなかにいて、まだ何も聞いていないのだ。神が死んだということを。」(14頁)
あまりに有名な「神が死んだ」というニーチェの言葉が、冒頭から表れる。
「そうなのです、ツァラトゥストラ、あなたの言うことは、真実だ。わたしが高くのぼろうとしたとき、わたしはわたしの破滅を求めていたのだ。そして、あなたこそ、わたしが待っていた稲妻なのだ!まったくそうだ、あなたがわたしたちのもとに姿を見せてからは、わたしの存在などは何だというのだ?あなたへの嫉妬こそ、わたしを打ちのめしたのだ!」(68頁)
上昇志向はどこまでいってもきりがない。上り詰めようとすることは、皮肉なことに、自分の限界を見つけて叩き潰されようという意識と繋がっている。私たちはなぜ、自分自身の成長に意識を集中させてしまうのであろうか。プレッシャーからそうした気持ちになるのであろうか。いずれにしろ、その結果は、自分の無能に気づくだけなのであれば、そこに意味はあるのだろうか。
認識の人は、自分の敵を愛するだけでなく、自分の友だちをも憎むことができなければならない。
いつまでもただの弟子でいるのは、師に報いる道ではない。なぜあなたがたは、わたしの花冠をむしりとろうとはしないのか?(132頁)
単に仲良くすることが大事なのではない。師だからといって、敬愛するだけが大事なのでもない。相手を憎むことを許容した上で他者を受け容れる。そうした健全な緊張関係こそが必要なのであろう。
力が慈しみとかわり、可視の世界に降りてくるとき、そのような下降をわたしは美と呼ぶ。
そして、力強い者よ、誰にもましてあなたから、わたしはその美を要求する。あなたが慈愛に達することが、あなたの最後の自己克服となるように。(204頁)
力強いだけでは他者に貢献できない。慈愛によって力強さを減衰させる。そうすることが、他者と社会に対して貢献できる美を表現できる。
『探究Ⅰ』(柄谷行人、講談社、1992年)
『探究Ⅱ』(柄谷行人、講談社、1989年)
『ジンメル・つながりの哲学』(菅野仁、日本放送出版協会、2003年)
『ツァラトゥストラはこう言った(下)』(ニーチェ、氷上英廣訳、岩波書店、1970年)
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