数ある漱石作品のうち、最初に惹きつけられたのは本書であった。今となっては、なぜ魅了されたのか思い出せない。しかし、読んでいて心地が良いというシンプルな読書体験こそが、本書を繰り返して読みたくなる理由ではないか。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。(Kindle No. 11)
「智に働けば角が立つ」から始まる有名な冒頭部分も好きであるが、その直後に漱石が何を書いていたかということを不覚ににも失念していた。彼は、住みにくい世間においては、絵画や詩文といった芸術の効用が重要になると主人公に言わせている。もっと踏み込んで解釈すれば、なにも芸術家にそうした作用を一任する必要もないだろう。つまり、ある状況を客観的に俯瞰して捉え、抽象的に表現することを私たち自身が行うことで、不要な考えすぎを和らげたり重圧をそらすことができるのではないか。このように考えれば、人が持つ芸術的な感性を大事にしながら、ゆとりを持って生きることが肝要であることに私たちは思い至ることができよう。
世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。ーー喜びの深きとき憂いよいよ深く、楽みの大いなるほど苦しみも大きい。(Kindle No. 31)
事象のアンビバレンスに対する指摘が趣深い。たしかに、楽しい時ほど少しの失敗で苦しんでしまうものであるし、期待が大きければ大きいほど、うまくいかなかった時の落胆もまた大きくなるものだ。だからといって、失敗や落胆を恐れて楽しいことや期待を持たないようにする人生では、平々凡々とした張り合いのないものになってしまう。物事の両面を意識しながら、結果に一喜一憂せずに分を弁えて生きること。中庸にも繋がる、人世を味得する考え方ではないだろうか。
茫々たる薄墨色の世界を、幾条の銀箭が斜めに走るなかを、ひたぶるに濡れて行くわれを、われならぬ人の姿と思えば、詩にもなる、句にも咏まれる。有体なる己れを忘れ尽して純客観に眼をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保つ。(Kindle No. 217)
自分自身を客観的に捉え、物事の二面性を意識することの実践がこうした行動として現れる。その行動の様は、自然と調和していると漱石はしており、やや大げさな表現を用いれば、一つの理想的な生き方や認識のあり方と言えよう。
余は湯槽のふちに仰向の頭を支えて、透き徹る湯のなかの軽き身体を、出来るだけ抵抗力なきあたりへ漂わして見た。ふわり、ふわりと魂がくらげのように浮いている。世の中もこんな気になれば楽なものだ。分別の錠前を開けて、執着の栓張をはずす。どうともせよと、湯泉のなかで、湯泉と同化してしまう。流れるものほど生きるに苦は入らぬ。(Kindle No. 1392)
物事を客観的に捉えるということは、物事をあるがままに捉えるということを意味するのであろう。そこに価値判断は必ずしも入らないし、価値判断を下すことによって執着するのであれば、それは自分自身を苦しめることに繋がる。したがって、ただ単に物事を客観的に捉えることを私たちは心掛けたいものである。
茶色のはげた中折帽の下から、髭だらけな野武士が名残り惜気に首を出した。そのとき、那美さんと野武士は思わず顔を見合せた。鉄車はごとりごとりと運転する。野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いている。
「それだ!それだ!それが出れば画になりますよ」と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。(Kindle No. 2731)
本作の最後のシーンである。別れた夫との離別の情景において、那美は、日頃の飄々とした作為的な態度ではなく、自然とした心底の態度を表に出す。そうした様をして、漱石は主人公に「憐れ」の現出を指摘させる、美しいラストシーンだ。
『私の個人主義』(夏目漱石、青空文庫、1914年)
『こころ』(夏目漱石、青空文庫、1914年)
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