不朽の名作。読むたびに考えさせられるポイントが少しずつ異なるのがまた面白い。今回は王道の読み方を、つまり「先生」がなぜ自殺を選んだのかに焦点を当てて読み進めた。結論としては最後の決断が分からないままであるが、仮説的に解釈を試みてみる。
私は奥さんの態度をどっちかに片付けてもらいたかったのです。頭の働きからいえば、それが明らかな矛盾に違いなかったのです。しかし叔父に欺かれた記憶のまだ新しい私は、もう一歩踏み込んだ疑いを挟まずにはいられませんでした。私は奥さんのこの態度のどっちかが本当で、どっちかが偽りだろうと推定しました。そうして判断に迷いました。ただ判断に迷うばかりでなく、何でそんな妙な事をするかその意味が私には呑み込めなかったのです。(Kindle No. 2753)
そのうち私はあるひょっとした機会から、今まで奥さんを誤解していたのではなかろうかという気になりました。奥さんの私に対する矛盾した態度が、どっちも偽りではないのだろうと考え直して来たのです。その上、それが互い違いに奥さんの心を支配するのでなくって、いつでも両方が同時に奥さんの胸に存在しているのだと思うようになったのです。つまり奥さんができるだけお嬢さんを私に接近させようとしていながら、同時に私に警戒を加えているのは矛盾のようだけれども、その警戒を加える時に、片方の態度を忘れるのでも翻すのでも何でもなく、やはり依然として二人を接近させたがっていたのだと観察したのです。ただ自分が正当と認める程度以上に、二人が密着するのを忌むのだと解釈したのです。(Kindle No. 2769)
「先生」は様々な事象や相手に対して、二つの態度が行きつ戻りつを繰り返しているようだ。「お嬢さん」の母親が、「先生」が「お嬢さん」に近づくことを許容しているのか否定しているのか、と「先生」が思い悩む上記の引用箇所に典型的に表れている。つまり、一つの態度としては、ある事象を合理的に解釈しようとして、いずれが真なる事実であるかを判断しようとする。そうした態度で悩み続けると、必ずしも真なる事実という唯一無二の真実があるのではなく、多様な理由を人は同時に持っているということに気づく。しかし、この第二の態度でずっと落ち着くかというとそうではなく、それはおそらく何かを合理的に判断することで落ち着きたいという心境があるからであろう。そのため、第一の態度に戻ったり、また第二の態度へ移ったりと絶えず揺れ動く。客観的に書くと一見して無駄な作業のようにも思えるが、こうした態度は、現代に生きる私たちにも当てはまるのではないだろうか。それは自由の領域と手段が、広がっているからであろう。「先生」に関して述べれば、「お嬢さん」に対するものだけではなく「K」に対しても何に対しても、こうしたAと非Aの絶えざる往還関係に苦しんでいる。
私はしまいにKが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうかと疑い出しました。そうしてまた慄としたのです。私もKの歩いた路を、Kと同じように辿っているのだという予覚が、折々風のように私の胸を横過り始めたからです。(Kindle No. 4369)
こうした往還関係は内的なプロセスであるため、それが永遠に続いている様子は、他者からは見てみることができない。その結果として、永続する揺れ動きに自分で自分を苦しめ、そうした苦しみを他者からは全く理解されていないように思えてしまうときがあるというのも首肯できる。しかし、こうした内的プロセスを遺書にして「私」に明かすという行為は、「私」に対しては理解と信頼を感じ取っているのではないだろうか。実際に、本書の最後の部分で以下のように「先生」は記している。
私を生んだ私の過去は、人間の経験の一部分として、私より外に誰も語り得るものはないのですから、それを偽りなく書き残して置く私の努力は、人間を知る上において、あなたにとっても、外の人にとっても、徒労ではなかろうと思います。(中略)
私は私の過去を善悪ともに他の参考に供するつもりです。(Kindle No. 4485)
「先生」は遺書の最後にこのように記して自ら命を絶つ。ここに至って、自殺を決断する最後のピースが分からなくなる。つまり、ここまで自分自身の懊悩を文章に認めたのであれば、生きているうちにそれを明らかにせずとも、自然に死を迎えた後に、それを「私」に渡せば良かったのではないか。それによって、自分自身の懊悩を浄化し、たった一人でも理解してもらえるという心的情況になり、生き続けることができたのではないか。
明治という時代精神に殉じるということがこの前の部分で書かれているため、明治天皇の死と乃木希典の殉死をきっかけに時代精神を考えさせられ、それが最後の一押しになったことは頭では理解できる。しかし、私にはまだ納得しきれない。また改めて読み解くことで解釈を試みてみたい。
『こころ』(夏目漱石、青空文庫、1914年)
『私の個人主義』(夏目漱石、青空文庫、1914年)
『山本七平の日本の歴史<上>』(山本七平、ビジネス社、2005年)
『マルクスその可能性の中心』(柄谷行人、講談社、1990年)
『私の個人主義』(夏目漱石、青空文庫、1914年)
『山本七平の日本の歴史<上>』(山本七平、ビジネス社、2005年)
『マルクスその可能性の中心』(柄谷行人、講談社、1990年)
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