2016年11月13日日曜日

【第644回】『「明治」という国家(上)』(司馬遼太郎、日本放送出版協会、1994年)

 江戸末期から明治維新に至る時期を描いた作品の多い著者による明治論。当時の時代や人物を丹念に調べて著述してきたからこそ思い至る明治時代における日本という国民国家への鋭い筆致に唸らさせられる。

 倒幕をめぐって言いますと、薩摩藩は、政略的であったのに対し、長州藩は藩内において庶民軍が勝ち、いわば革命政権ができていました。
 庶民軍という存在をキーにしていいますと、そこに”国民”という一階級意識のめばえが、藩規模でできていたといえます。(75~76頁)

 『翔ぶが如く』で西郷隆盛を中心とした薩摩人を、『世に棲む日日』で吉田松陰および高杉晋作をはじめとした長州を描いた著者だからこそ、両藩を端的に描写できるのだろう。関ヶ原で敗れた西国の雄藩では、長州に追いやられる過程で、禄を得られなくなった武士階級が農業を営むことで長州に下ったとされている。その結果、非武士層から成る奇兵隊の強さの礎が形成されたというのは納得的である。さらには、士農工商という身分意識が他藩と比べて弱く、国民という意識が醸成される下地があったという分析も大変興味深い。

 薩摩の藩風(藩文化といってもよろしい)は、物事の本質をおさえておおづかみに事をおこなう政治家や総司令官タイプを多く出しました。
 長州は、権力の操作が上手なのです。ですから官僚機構をつくり、動かしました。
 土佐は、官にながくはおらず、野にくだって自由民権運動をひろげました。
 佐賀は、そのなかにあって、着実に物事をやっていく人材を新政府に提供します。(92頁)


 薩長に加えて土肥に至るまでの分析となると、さらに興味深い。下巻への余韻を残して、ここで筆を置くこととしよう。


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