2016年11月20日日曜日

【第646回】『現代日本の開化』(夏目漱石、青色文庫、1911年)

 漱石の講演録は面白い。ウィットに富んでいながら唸らさせられる示唆にも溢れている。

 もっとも定義を下すについてはよほど気をつけないととんでもない事になる。これをむずかしく言いますと、定義を下せばその定義のために定義を下されたものがピタリと糊細工のように硬張ってしまう。複雑な特性を簡単に纏める学者の手際と脳力とには敬服しながらも一方においてその迂闊を惜まなければならないような事が彼らの下した定義を見るとよくあります。(中略)要するに幾何学のように定義があってその定義から物を拵え出したのでなくって、物があってその物を説明するために定義を作るとなると勢いその物の変化を見越してその意味を含ましたものでなければいわゆる杓子定規とかでいっこう気の利かない定義になってしまいます。(kindle ver No.50)

 何かを定義することの意義とデメリットについて端的に書かれている。私たちは、物事を定義することによって世界を把握しようとする。定義によって私たちが理解できる世界はたしかに拡がる。しかし、その把握の仕方によって、私たちは物事を一つの側面でしか見られなくなるという反作用も生じることに留意したいものだ。物事を定義によって見ることとともに、ありのままにただ見ることも重視したい。

 開化は人間活力の発現の経路である。(kindle ver No.100)

 西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。(kindle ver No.257)

 開化について定義をした後に、西洋における内発的な開化と対比して、日本におけるそれが外発的であったということに焦点を当てる。簡潔にして明瞭なその対比によって、開化に関する彼我の差異がわかりやすい。

 日本の現代開化の真相もこの話と同様で、分らないうちこそ研究もして見たいが、こう露骨にその性質が分って見るとかえって分らない昔の方が幸福であるという気にもなります。とにかく私の解剖した事が本当のところだとすれば我々は日本の将来というものについてどうしても悲観したくなるのであります。(中略)ではどうしてこの急場を切り抜けられるかと質問されても、前申した通り私には名案も何もない。ただできるだけ神経衰弱に罹らない程度において、内発的に変化して行くが好かろうというような体裁の好いことを言うよりほかに仕方がない。(kindle ver No.428)


 ではどのようにするか、という特効薬を聞こうとする私たちを漱石は予め牽制してこのように述べるのも漱石らしい。安易に解決策を提示するのではなく、それを受け手に委ねるという抑制の効いた論旨は心地よい。


0 件のコメント:

コメントを投稿