2017年4月22日土曜日

【第699回】『代表的日本人【2回目】』(内村鑑三、鈴木範久訳、岩波書店、1995年)

 味わいながら、時に立ち止まり、じっくりと考えたり、思いに浸ったりしながら、ゆっくりと読み進める読書というものも趣深い。本来的に早く読み進めようと思う性質であるが、自ずとゆっくりと読めるというのはいいものだ。

 部下の評価にあたっては、自分自身に用いたのと同じように、動機の誠実さで判断しました。尊徳からみて、最良の働き者は、もっとも多くの仕事をする者でなく、もっとも高い動機で働く者でした。(88~89頁)

 前回読んだ時もこの部分が印象に残ったようである。人を評価することの是非、もっと言えば、それに時間をかけることの是非が、昨今の企業人事における大きなトピックスになっている。私の立ち位置としては、ざっくりと言えば、評価は必要悪であるのだから、それをもとにして人材の成長を促すようにできればいいのではないか、という考えである。では何に基づいて評価するかとなると、著者が尊徳を評して述べているように、その行動の背景にある動機の誠実さであるという。これは、私たち人事が心したい至言ではなかろうか。モティベーションについては、高低ばかりが論点に上がるが、その内容、特に誠実かどうかに意識を傾けたいものだ。

 わが先生は、近づきやすい人ではありませんでした。はじめて会う人はその身分にかかわりなく、例の東洋流の弁明「仕事が忙しくて」と言われ、きまって門前払いにあいました。それに根負けしない人だけが、話を聞いてもらうことができました。来訪者の忍耐がきれると、いつも「私が助ける時期には、まだいたっていないようだ」とわが先生は語りました。(98頁)


 この部分、私の師匠をご存知の方は同意してくださると思うのであるが、実感をもってよくわかるのである。何度、煮え湯を飲まされたことか、、、という表現を用いる時点で、先生に助けて頂く時期には「まだいたっていない」状況であったということなのであろう。


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