2017年4月23日日曜日

【第700回】『聖の青春』(大崎善生、講談社、2002年)

 村山聖。将棋をかじったことがある方なら、夭折した悲運の名棋士として記憶しているであろう人物である。そのノンフィクションは、壮絶な彼の人生を物語るものでありながらも、清々しい読後感を与えてくれる。

 将棋を知りそれにのめりこんでいくことによって聖の内面に大きな変化が現れていた。
 聖が将棋という途方もなく深く広がりのある世界を自分なりに覗きこみ、理解しようと努力したことがすべてのはじまりだった。自由に体を動かせないことからくる苛立ちや、身近にある友達の死という絶望感すらも自分自身の内に抑えこむことができるようになっていた。風を切って走り回る緑の草原よりも、春先の山よりも澄みきった川よりも、将棋は聖にとって限りない広がりを感じさせるものだった。(48頁)

 幼くしてネフローゼを罹患し、病院で過ごすことの多かった少年は、その言い知れぬ不安と死への恐怖をうまくコントロールできなかったという。大人でも病というものはストレスを伴うものであるのだから、幼い頃に病を受け容れられないことは想像に難くない。しかし、それを救ったのが将棋であり、将棋を通じて自分が見聞きする世界を拡げていった村山のその後の人生を示しているようだ。

 だが勝ちたいという勝負に負け、何度も挫折した。
 その度に立ち上がり、上を目指した。
 来期最下位、挑戦は難しく降級争いになった時に順位は響いてくるだろう。
 だがたとえB1に落ちようとも何度でも昇るだろう。A級へ。(283頁)

 読んでいて胸が熱くなり、心が震える文章というものにはなかなか出会えるものではない。私の場合、漫画を読んでいた時には、いわゆるスポ根もので出会うことがあったし、個人的にはそうした邂逅は好きであった。この箇所を読んで、「あしたのジョー」や「MAJOR」といった作品で得た感動を思い出した。実際、村山は、病の中でA級からB1へ落ちたその年にA級復帰を果たしている。但し、その復帰を決めた直後に癌の再発が告知され、結局A級で再度戦うことはできなかったのであるが、その執念に感じ入りってしまう。

 同世代の若手棋士や生涯の目標とする谷川には激しい闘志を燃やし、その闘志を隠そうともしない村山だったが、なぜか羽生だけは違った。
 常に自分の上をいき、奇跡のような偉業を次々と成し遂げていく羽生を村山は心から尊敬していた。どんなに疲れていても弱音を吐かず、悔しくても飄々とし、そしていっさい偉そうなことを言わず、そんなそぶりも見せない羽生が村山は好きでしかたなかった。誰とでも同じ目線で話し合い、会話を楽しめる羽生は村山にとっての理想像であった。(359頁)

 羽生の人物像が垣間見えるような一節であり、羽生ファンにとっては堪らない部分である。「常に自分の上をいき」と書かれてはいるが、実際に対戦して全く歯が立たなかったわけではない。村山がもっと長く生きていたら、二人のどのような対戦がその後にあったのかと思ってしまう。そのような「たられば」を期待するのではなく、実際に時代を共にした羽生が、村山の追悼集会で語った言葉がいいなと思う。

「村山さんと同時代でともに戦えたことを私は心から光栄に思います」(385頁)



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