2017年11月19日日曜日

【第778回】『龍馬史』(磯田道史、文藝春秋、2010年)

 龍馬の生涯を語れば、そのまま幕末史の生きた教科書となります。幕末史は複雑ですが、龍馬を主人公にしてみてゆけば、それが何であったのか、はっきりした像が見えてくるはずです。(7頁)

 近世史を専門とする著者が本書を著した目的はここによく表れている。土佐藩を脱藩し、江戸や京都といった時代の中心を為した地域に精通し、薩長をはじめとした雄藩の人物との接点になった坂本龍馬。だからこそ、彼をつぶさに見ていけば、幕末史が見えてくるのであろう。

 龍馬を生んだ時代背景から著者は論を進めている。

 江戸時代は、教科書的には既に兵農分離が済んだ時代だとされています。しかし、実際は兵農分離が進んでいる地域とそうでない地域との差が大きかったのです。(中略)
 土佐や長州は郷士が非常に多く、学校教科書が教える兵農分離の社会とはほど遠い。また、南九州も郷士が多く、熊本藩、人吉藩、薩摩藩、佐賀藩などは郷士だらけといってもいい状態です。(中略)
 後に明治維新の原動力となったような西南雄藩は、郷士が多く兵農分離が進んでいなかったという傾向が明らかです。(中略)そして、戊辰戦争において、新政府軍に抵抗した東北諸藩も郷士が多い。さらに言えば、維新以後に、いわゆる士族の反乱が起こった地域も、そこに重なってくるのです。(13~14頁)

 郷士に対する著者の分析が興味深い。郷士が多かった地域におけるエネルギーの大きさとまとめれば良いだろうか。維新を起こした側も維新に抵抗した側も、郷士が多かった藩でであるいうのだから面白いではないか。固定された身分制度ではなく、流動性があることが、社会にエネルギーをもたらし、変化をもたらす動因となるのであろう。

 大政奉還と武力倒幕は、一般的には対立する概念と思われていますが、そうではありません。いきなり幕府を軍事力で倒すとなると、土佐藩のような親幕府的な心情を抱いている藩はなかなか踏み切れません。大政奉還を経ての新政権構想を掲げることで、土佐藩のみならず各藩を次々と巻き込み、事実上、幕府を無きものとしてしまう、それが、薩土盟約を実現した段階での、龍馬の構想だったのではないでしょうか。(98頁)

 これこそが戦略的思考というものであろう。正直に言えば、なぜ江戸末期において、大政奉還を経てから武力倒幕がなされたのか、もっと言えば、大政奉還の意義はなんだったのか、がよくわからなかった。結果が分かっている現代の視点から見れば、大政奉還は無駄であり、戊辰戦争だけでよかったのではと思えたのである。

 しかし、大政奉還によって徳川家を全大名と同じ地位にした上で、薩長土が天皇を担いで官軍となれば、他の諸藩が天皇の名の下に味方になりやすくなるのである。反対に言えば、徳川幕府が続いていればいくら弱体化していても、変化によって既存の大名勢力がどうなるかわからないような権力主体の変更運動に協力することは難しかったのかもしれない。だからこそ、大政奉還を慶喜にさせた上で、クーデターのように徳川討伐を官軍として敢行するという二つのステップを踏んだのである。


 たしかに龍馬を眺めることで、江戸末期から明治に向けた変化を理解することができるようだ。


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