2017年11月25日土曜日

【第780回】『武士の家計簿』(磯田道史、新潮社、2003年)

 家計簿とは生活の有り様を数値で表したものである。したがって、ある時代の人々の生活を理解するためには、その時代の家計簿を見ると良いのだろう。本書では、江戸時代末期の武士の家族における明治維新以降までの家計簿をもとに、当時の武士の生活、および時代の大きな転換前後で生活がどのように変わったのかが詳らかにされている。新鮮な発見に満ちた書籍であり、古本屋でこの家計簿が含まれた文書を見つけた著者の興奮の様子が伝わったくるようである。

 武士と百姓町人の家計簿を比べたとき、最も違いがあらわれるのは交際費である。武士家計では交際費の比率がずば抜けて高い。猪山家の場合、祝儀交際費が消費支出の一一・八%になる。生活必需品以外の支出としては家族配分銀についで多い。(74頁)

 支出の中で交際費の占める比率が高いと聞くと「武士は食わねど爪楊枝」という言葉が頭に浮かぶ。しかし、自分自身のプライドや娯楽で交際費が高かったわけではないと著者は述べる。

 現代人からみれば無駄のように思えるが、この費用を支出しないと、江戸時代の武家社会からは、確実にはじきだされ、生きていけなくなる。つまり、その身分であることにより不可避的に生じる費用であり、私はこれを「身分費用」という概念でとらえている。逆に、その身分にあることにより得られる収入や利益もある。これを「身分利益」とよびたい。つまり、身分利益=身分収入マイナス身分費用という構造式を考えることができる。(75~76頁)

 武士同士の社会における交際にコミットしなければ、武家社会から排出されてしまうから、交際費がかかるというのである。この指摘は、戦乱の絶えなかった室町後期や戦国時代と比較すれば分かりやすいだろう。つまり、戦乱が多かった時代であれば、他者との付き合いよりも戦場で手柄を立てることによって立身出世ができたのに対して、平和状態が長く続いた江戸時代では手柄を戦場で立てる機会がほとんどなかったのである。そうなると、武士同士での安定的な社会の中で認められることが必要だったのである。

 この身分利益という概念を用いれば、なぜ明治維新後に士族の反乱がマイノリティーで、多くの士族が唯々諾々と武士階級の解体に応じたかがわかる。

 今日、明治維新によって、武士が身分的特権(身分収入)を失ったことばかりが強調される。しかし、同時に、明治維新は武士を身分的義務(身分費用)から解放する意味をもっていたことを忘れてはならない。幕末段階になると、多くの武士にとっては身分利益よりも身分費用の圧迫のほうが深刻であった。明治維新は、武士の特権を剥奪した。これに抵抗したものもいたが、ほとんどはおとなしく従っている。その秘密には、この「身分費用」の問題がかかわっているように思えてならない。(77頁)


 江戸末期においては、身分費用が増加したことに伴って身分利益が圧迫していたという。だからこそ、身分費用の負担に耐えられなくなっていた多くの武士にとって、わずかな身分収入にしがみつく理由は、少なくとも生活面では弱かったのであろう。


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