2017年12月3日日曜日

【第783回】『哲学の使い方』(鷲田清一、岩波書店、2014年)

 哲学とは問いだ。ともすると、哲学は難解な思想や考え方が述べられたものであり、私たち「普通」の人々には理解しがたいもののように思えてしまう。実際に、いわゆる哲学書を一冊通して読み通すことは難しく、特に著名な過去の偉大な哲学者に手になる書籍はおよそ解読不能とまで思えてしまう。

 まずは問いのなかに飛び込むこと。以降のプロセスを歩み抜く知的耐性は、問いを問いつづけるなかではじめてついてくる。(iv頁)
 哲学はむしろすすんで初心者であろうとする。「なぜ?」という問いを連発する子どもたちと連帯しようとする……。なんとも不思議な知的いとなみである。(23頁)

 単に学問領域として哲学を捉えるのではなく、問いを発する際のヒントとして哲学を用いてみる。こうしたカジュアルな発想であれば、哲学を生活の中で活かし、ゆたかに生きるためのきっかけにできそうな気がしてくる。

 ほんとうのプロというのは他のプロとうまく共同作業できる人のことであり、彼/彼女らにじぶんがやろうとしていることの大事さを、そしておもしろさを、きちんと伝えられる人であり、そのために他のプロの発言にもきちんと耳を傾けることのできる人だということになる。(123頁)
 哲学とは知の「すべてに気をくばる」べきものとしていた。中井が右で指摘していたようなたがいに異質な複数の知をつないでゆく、そういう機能が哲学にはもとめられている。広範な知識をもって社会を、そして時代を、上空から眺める高踏的な「教養」ではなく、むしろ何がひとの生において真に重要であるかをよくよく考えながら、その実現に向けてさまざまな知を配置し、繕い、まとめ上げてゆく技としての哲学である。(125~126頁)


 生活に活きるだけではなく、哲学は、他者との協働、プロフェッショナル同士の協働に活きる。社会が多様化しているという。「他者性」の強い多様なステイクホルダーと関わる現代において、他者に問いを投げることができ、また他者からの問いに対してオープンに率直に回答できることが、私たちに求められている。現代において、哲学を使うことの効用は高まっているのではないだろうか。


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