論語を好む者として、ともすると論語やその解説本にばかり目が向きがちになってしまう。老子は好きだが論語ほどではないし、荘子は正直に言ってまだよくわかっていない。否、老荘を「分かろう」とすること自体が間違ったアプローチなのかもしれない。
いずれにしろ、老荘をもっと腑に落としたいと感じ、近々荘子を扱う読書会を設けることとしたため、いいテクストを探し求めている。碩学が簡潔にまとめている本書は、入門書としてさすがの感がある。
人皆、有用の用を知りて、無用の用を知るなきなり。(67頁(荘子 人間世篇))
「有用の用」は、現時点において求められるものであるために誰もがわかりやすいものである。だからこそ、多くの人がそこで求められる能力を身につけようとするが、過当競争になるか、身につけた時には時を逸していているかになりがちだ。
反対に荘子では「無用の用」を発見することの重要性が説かれる。一見して無用に思える内容は、単に暗黙的であるがために客観的に捉えられないだけなのかもしれない。視野を広げて、また時間軸を拡げて、無用の用を意識してみたい。
人に順いて己を失わず。(197頁(荘子 外物篇))
この節のタイトルである「柔らかさのなかに主体性がほしい」という著者の要約が素晴らしい。柔軟すぎて日和見主義的になるのではなく、柔軟でありながらも芯を持った対応ということを心がけたいものだ。
【第668回】『ビギナーズ・クラシックス 老子・荘子』(野村茂夫、角川学芸出版、2004年)
【第377回】『荘子 第一冊』(金谷治訳注、岩波書店、1971年)
【第749回】『老子』(金谷治、講談社、1997年)
【第841回】『求めない』(加島祥造、小学館、2007年)
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