2019年7月6日土曜日

【第965回】『残業学』(中原淳+パーソル総合研究所、光文社、2018年)


 2016年に当時の安倍内閣が打ち出した働き方改革。その目的や方針は、多くの日本の大企業で受け入れられているものの、導入に際した各論では賛否の議論が喧しい。企業の中では、経営や人事が導入を大々的に喧伝しながらも、現場ではやらされ感がいっぱいということも多いようだ。

 働き方改革の主要な施策の一つが残業への対応策であることは容易に想像がつくだろう。残業時間を抑制しようとすると、「それでは仕事が終わらない」「ハードワークによって人は成長する。現場の人財育成を否定するのか」などという反論が起こる。それぞれの反論には傾聴の余地があるものの、本当にそのようなケースなのかという峻別が必要だろう。

 本書では、月間の超過勤務時間が60時間以上の層を「残業麻痺」と定義づけている。著者らの調査によれば、「残業麻痺」層は、そもそも仕事上の高い負荷を自覚していないタイプだけではなく、高負荷を自覚しながらも幸せを感じているタイプが含まれているようだ。初期キャリアの最初の少なくとも二年間は、この後者のタイプに該当していた私自身、そこで成長感や達成感のようなものを感じていたことは実感がある。

 仕事を通じて幸せを感じ、自ら超長時間残業を受け容れる「残業麻痺」層に対して、どのように対応すれば良いのか。リスクを伝えるとともに、仕事を通じた幸福感の背景を伝える必要があるだろう。

 仕事を通じて「フロー」や「幸福感」を持つことができるのは、それ自体悪いことではありません。しかし、この「フロー」に近しい幸福感が、超・長時間労働において感じられているのであれば、話は別です。心身の健康を犠牲にしても仕事の手を止めず、依存症的に「いつまでも働き続ける」ことになりかねません。私には超・長時間労働とは一種の依存症に近いもののように思えます。(121頁)

 著者らは、こうした「残業麻痺」層が生じる組織には特徴があると明らかにしている。「組織の一体感」と「終身雇用への期待」という組織の要因と、「個人の有能感」「出世見込み」というキャリアの要因とが、職場における長時間労働における幸福感へ影響を与えているようだ。これらをまとめると、以下の引用箇所となる。

 「定年」という明確なゴールに向かって、一体感を持ってがむしゃらに目標に向かって行くような凝集性の高い組織において、「出世見込み」を感じながら自信を持って働いている人が、「幸福感」を抱きながら超・長時間労働をしている。(123頁)

 「残業麻痺」層が、いわば依存症のように残業を行い幸福感を得ようとすることには、心身上のリスクがあるだけではない。個人の成長にも問題があるのである。

 残念ながら、人は「経験」を積み重ねるだけでは成長できません。「経験」したことについてのフィードバックを受け、振り返りを行って、次の行動に活かしていくことが「未来」に向けた学びとなります。このことを踏まえると、長時間の残業は、むしろ仕事経験を通した成長を阻害していると言えます。(130頁)

 人は経験から学ぶのではなく、経験を振り返ることで学ぶと喝破したのはデューイである。超・長時間労働が奪うものは、経験のあとで振り返る機会である。

 かつての日本企業では、超・長時間労働を伴う仕事の中に、ストレッチのある職務でPDCAを回す要素がふんだんにあったので超過勤務によって成長できたのではないか。翻って、成長機会の乏しい経済環境と組織環境である現代の日本企業ではそのような質の意味でストレッチできる手応え感のある業務は少ないのではないか。

 そうした業務を超・長時間行っても、達成感があるだけで成長は乏しく、それに気づくのは後になってから、しかも心身の不調を感じるようになってから、では悲劇である。残業に健全に対応することは、組織で働く全ての人々にとって真摯な課題である。

【第929回】『女性の視点で見直す人材育成』(中原淳/トーマツイノベーション、ダイヤモンド社、2018年)
【第901回】『組織開発の探究』(中原淳・中村和彦、ダイヤモンド社、2018年)
【第862回】『研修開発入門「研修転移」の理論と実践』(中原淳・島村公俊・鈴木英智佳・関根雅泰、ダイヤモンド社、2018年)
【第727回】『人材開発研究大全』<第1部 組織参入前の人材開発>(中原淳編著、東京大学出版会、2017年)

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