2019年8月17日土曜日

【第977回】『日本社会のしくみ』(小熊英二、講談社、2019年)


 読んだことがある方にはよくお分かりの通り、著者の書籍は嫌というほど分厚いです。今回はkindleで読んだのであまり厚さは感じなかったのですが、新書にしては相当なボリュームでした。じっくり読むという意味では盆休みは適切なタイミングであったなと。

 ナショナリズム研究をはじめとした著者の歴史社会学の書籍を愛読して来た身としては、雇用を扱う本書には一見して意外な感がありました。しかしながら、過去の書籍を読んで来たためか、結論的には著者の書籍だなぁという実感を得ながら読み進めることとなりました。

 長期雇用と配置転換は、いわばバーター関係になった。それを制度的に可能にしたのが、職能資格制度だった。日経連の一九六〇年の報告書でも、「日本のような生涯雇用的なもので、職務転換を予め予想された形で就いている場合」には「資格制度」が必要だという主張が見られた。(kindle ver. No. 5601)

 本書の中でも取り上げられているアベグレンが日本企業の三種の神器として挙げたものの一つである終身雇用は、ジョブローテーションとの相互依存関係にありました。そうした関係性を可能にしたものが、日本独自の職能資格制度だとされています。

 言い方を換えれば、日本企業とその社員は、雇用の安定性を選択したと言えましょう。企業側が社内における雇用の流動性を担保することで、社員側は雇用されることをコミットし、企業側は雇用し続けることをコミットしたという相互依存関係が生じます。

 この関係性は、日本とアメリカとで同じ背景であったにも関わらず異なる解決策を志向したことが以下の箇所によく現れてます。

 日本もアメリカも、二〇世紀前半までは、雇用主や職長の気まぐれで賃金や仕事内容が決められ、簡単に解雇される「野蛮な自由労働市場」だった。職員が身分的な特権を享受していた点も、身分の構成要因が違っていたとはいえ、あるていど共通していた。
 それに対しアメリカの労働運動は、職務を記述書によって明確化し、同一の職務には同一の賃金を払うという「職務の平等」を志向した。一方で日本の労働運動は、職員の特権だった長期雇用と年功賃金を労働者にまで拡張させ、職員に昇進しうる可能性を開くという「社員の平等」を志向した。(kindle ver. No. 6623)

 では、職能資格制度を基とした日本的雇用はどのようにでき上がったのでしょうか。

 一九六〇年代に、一連の日本的雇用の特徴が定着した。それは明治期いらいの慣行が、総力戦と民主化、労働運動と高学歴化などの作用によって、三層構造をこえて拡張することによって成立したのである。(kindle ver. No. 5658)

 ここで私たちは、著者の一連の著作を思い起こすことになります。『<民主>と<愛国>』で著者は、日本の近代化を巡るナショナリズムと民主化との相互の関係性を明らかにしました。日中戦争から太平洋戦争にかけての総力戦の経験が、日本軍における身分の差異のデメリットをもたらし、そこからの教訓として身分という存在への強烈なアンチテーゼが生まれます。

 その結果として、「勉強に励んで高い学歴を目指す」という学歴主義が生じます。さらに欧米諸国と比べて興味深いことに、「学歴」というよりも高い「学校歴」を志向するという日本独自のアプローチが生まれます。

 これは、旧帝大および早慶の卒業生のみを学校推薦枠として採用対象とした日経大手企業の採用戦略が大元となっていたようです。こうした内規がなくなった今であっても、高学校歴志向は厳然として存在します。

 そのため、高学校歴を担保できる限られた枠への進学を目指す受験戦争は今でも存在し、違う側面からいえば学士から後の勉強へのインセンティヴは生じません。その結果として、欧米と比較すると日本人のビジネスパーソンの「低学歴」化が生じているというやや意外なデータも提示されています。

 この現象は、グローバル企業にいて海外のカウンターパートと話していると実感します。日本の有名な大学であっても海外ではそれほど有名ではなく、どれほど「高学校歴」があるかはアピールになりません。むしろ、MBAや人事であれば組織行動論や心理学で修士を持っていることが共通の土台に立てる免許のような存在となります。

 こうしてでき上がった職能資格制度は、なぜ合理的に適応できたのでしょうか。

 当時の四〇~五〇代の男性たちは、戦争と兵役を経験し、軍隊の制度になじんでいた。職能資格制度がこの時期に急速に普及したのは、総力戦の経験によって、各企業の中堅幹部層がこうしたシステムに親しんでいたことが一因だったかもしれない。
 だが彼らは、重要な点を見落としていた。彼らが軍隊にいた時期は、戦争で軍の組織が急膨張し、そのうえ将校や士官が大量に戦死していた。そのためポストの空きが多く、有能と認められた者は昇進が早かった。(kindle ver. No. 5682)

 職能資格制度が当初機能したのは軍隊組織の組織論と近かったからであり、総力戦を経験して企業に戻った社員にとって馴染みのあるシステムだったからです。戦争における組織という空きポジションが常に生じ、かつそれを速やかに充足しなければならない環境では、人財を能力によってプールしておくことが合理的でした。

 しかし、マネジメント・ポジションが増えず、人財が滞留状態では、能力があるとされる人が無用に増えます。管理職比率が上がれば、人件費が上がり、固定費が上昇します。アングロサクソンの企業のように管理職の人財をPIP等で適正化するしくみがない中では、フリーライダーが増えてしまいかねません。

 だからと言って制度を改定すれば良いというわけではありません。制度は、複数の要因で絡み合ってそれがいわば文化を生み出すからです。

 運動は制度を作る。だが、他の諸勢力との妥協や交渉を経てどんな制度ができるか、その制度がどんな効果を生むかまでは、必ずしも当事者たちは予測できない。「職務の平等」を志向したアメリカの労働運動は、意図せざる結果として横断的労働市場を作り出したが、同時に細分化された単調な職務による疎外感を生み、学位による競争や格差をもひきおこした。「社員の平等」を志向した日本の労働運動は、意図せざる結果として勤労意欲と技能蓄積の高い企業を作り出したが、同時に従業員どうしの過当競争を生み、「正規」と「非正規」の二重構造をもひきおこしたのである。(中略)
 これはいわば、戦後日本の社会契約というべきものだった。「一億総中流」といった言葉は、実態はどうあれ、この社会契約を象徴的に表したものだった。この社会契約を犯すもの、たとえば不正受験や地方間格差は、批判の対象となった。(kindle ver. No. 6653)

 多様な要素が複雑に絡み合うことで、何を是とするかが決まり、人々はそれを実現するためのプロセスを合理的に進めようとします。そうした日が当たる場所が生み出されれば、日が当たらない影を生み出すことになり、また不誠実な方法で日なたを目指すことを弾劾することになります。何を是とし、何を非とするかは、しくみが生み出すわけですね。

【第765回】『<日本人>の境界』(小熊英二、新曜社、1998年)
【第181回】『インド日記』(小熊英二、新曜社、2000年)
【第79回】『私たちはいまどこにいるのか 小熊英二時評集』(小熊英二、毎日新聞社、2011年)

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