2019年8月18日日曜日

【第978回】『石川啄木』(ドナルド・キーン、各地幸雄訳、新潮社、2016年)


 私にとって詩を理解するのは難しく、石川啄木の詩も『一握の砂』のごく一部を高校の教科書で習った遠い記憶がある程度だ。正直、全く覚えていない。いくつかの書籍を読んでいると好きな詩を持つことの有効性や、俳句を好むことの効用をよく目にするようになった。本書も、そうした一環で何かで推奨されていて読むことになった。結論としては、石川啄木の伝記であり、彼の人となりを物語として読めて興味深く、改めて詩集を読みたいと思った。

 啄木は徐々にではあるが、美よりも真実が大事であると考えるようになった。(11頁)

 石川啄木以前の詩では、美的な世界を詩という形式で表現することに重きが置かれていたようだ。それに対して、啄木は真実をいかに伝えるかという手段として詩を位置付けたという。

 啄木は、すでに「詩」のロマンティシズムに興味を失っていた。「空想」文学は、啄木をうんざりさせるに到っていた。啄木が経験してきた「現実」の数々の困難は、新しい運動の精神に共感を抱かせた。啄木が運動の仲間たちから知ったのは、詩歌は必ずしも美や愛を語るものではないということだった。貧困の悲惨さや、ごく日常的な出来事もまた詩歌の題材にふさわしい、と。(277頁)

 ここでは、以前の詩が持つロマンティシズムに対する批判までが込められている。日常を切り取り、現実を表現することが詩歌の持つ意義と提示したのが啄木であり、それ以降の詩歌なのである。

 啄木の絶大な人気が復活する機会があるとしたら、それは人間が変化を求めるときである。(中略)啄木の詩歌は時に難解だが、啄木の歌、啄木の批評、そして啄木の日記を読むことは、単なる暇つぶしとは違う。これらの作品が我々の前に描き出して見せるのは一人の非凡な人物で、時に破廉恥ではあっても常に我々を夢中にさせ、ついには我々にとって忘れ難い人物となる。(330頁)

 啄木の詩が醸し出す現実と自由の感性は、太平洋戦争の終戦後に大きな注目を集め流行したそうだ。そこから判断すると、私たちが変化を求め自由を求める時に啄木の詩歌が影響を与えることになるのかもしれない。

【第516回】『百代の過客』(ドナルド・キーン、金関寿夫訳、講談社、2011年)

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