2014年3月30日日曜日

【第269回】『研修開発入門』(中原淳、ダイヤモンド社、2014年)

 ページを捲りながら、うれしい気持ちで「やられた」と呟きたくなる感覚。共感と爽快感と少しの悔しさとが入り交じる心地よい感覚は、『はじめての課長の教科書』(『はじめての課長の教科書』(酒井穣、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2008年))を最初に読んだとき以来である。人材育成を担当される方々には改善・刷新を目的として、部下を持ったり後輩を指導する立場に立つ方々にとっては最初の導入を目的として、読者に応じて活用できるチェックリストだ。また、研修というと企業を想起し易いだろうが、学校や塾といった教育機関、公的機関、NPOといったあらゆる組織における教育を目的とした活動において、充分に適用可能だろう。

 基本的にはノウハウ本でありながら、随所に読者を考えさせる深みを持たせている点には脱帽だ。「「アカデミックなサイエンス」を言わば「縦糸」として、そして「現場のアート(技術)」を「横糸」として、本書のテクストを編み上げていきたい」(5~6頁)という実践的研究者としての著者の為せる業であろう。

 網羅的に内容を理解するためには、ぜひ本書を読み解いていただきたい。ここでは、研修企画、研修デザイン、研修講師選定、研修実施、という四つのプロセスにおいて、とりわけ印象的であった部分について、私の観点で咀嚼しながら以下に紹介する。

 第一に、研修企画について見ていこう。人材育成とは、人事や経営の一部の機能を担うものであり、ために、人材育成施策は人事施策や経営施策とのアラインメントを取る必要がある。このような考え方は一見すると自明であるが、業務に携わっているとともすると見失いがちである。したがって、研修開発のプロフェッショナルとして著者が定義している以下の部分を、私たちは充分に肝に銘じる必要があるだろう。

 研修開発のプロフェッショナルとは、「どんな問題でも、研修に落とし込むことのできる人」ではありません。むしろ、採用ー育成ー配置ー処遇等のさまざまなプロセスに目配りを持ち、「研修でこそ解決できるもの」を選択的に選び取り、研修に落とし込むこと、あるいは、研修と他の人材マネジメント施策とを組み合わせて解決できる人のことをいいます。(59頁)

 育成という観点を俯瞰して、人事や経営視点を持つということは、経営のニーズと現場のニーズを統合させるということであろう。その上で、どの部分を育成施策として企画・実現させるのか、という発想が次に必要となる。このような発想のもとに、新しく求められている施策を企画することはたのしいことであるし、比較的行ない易いものである。一方で、既存の育成施策をどのように扱うのか。時にやめるという厳しい決断を下すこともまた、ニーズを把握した上での施策として重要であるとする著者の指摘は重たい。

 ニーズを見定めるとは、「新しいニーズを追加すること」だけを意味するのではなく、「もうニーズが失われたものをやめること」も意味するということです。とかく研修開発には「惰性」があります。一度やり始めた研修は、どこかで見直さない限り、同じ内容で毎年繰り返されていくことになり、研修の数は延々と増え続けていってしまいます。(55頁)

 人材育成担当者にとっては厳しい指摘であるとともに、本質を衝いた至言である。惰性が生じる最大の理由は、予算との関連であろう。本質的な解決を志向するためには、経営・人事上のニーズを見極め、その上での人材育成が担うべきニーズを合意し、必要なものを追加しながら、不要なものを除く勇気が求められる。

 第二に、研修デザインについて。研修自体は特別な環境におけるアクティビティーであるため、職場への適用をどのように促すかがここでの肝になる。理解することと、行動できることとの間には「Knowing - Doing Gap」(85頁)と呼ばれる大きな差異が通常は存在する。ために、研修をデザインするためには行動目標を設定し、職場での行動を念頭に置いた設計にする必要があるだろう。著者が指摘するような「「ソリューション営業の知識について理解している」とは「行動目標」ではない」(83頁)という誤りを私たちは忙しい日常の中では犯しがちだ。では、行動目標を設定する際に留意するべきことは何か。

 いくつかの課題に分割し、その分割された課題ごとに行動目標を立てるのです。最終的に目指したい行動をイメージし、その行動を達成するための学習者に獲得してほしいものを、ナレッジ(Knowledge)・プラクティス(Practice)・バリュー(Value)の3点で分割し、それぞれに行動目標を設定します。(83頁)

 具体的な例示を見たい方は88頁にある具体例をご覧いただきたい。分かり易く、具体的に書かれているため、大いに参考になることだろう。ここで重要な点は、三つの観点に切り分けること自体にあるのではなく、三つの観点をもとに多角的に行動目標を設定するようにするということであろう。私たちはともすると、「○○ができない」というニーズに対して、「○○ができるようになること」というニーズの裏返しを行動目標として安易に設定しがちだ。しかし、それだけでは、知識が足りないからなのか、日々の活動に落とし込むのか、マインドセットや優先順位を変えるのか、が混在してしまう。様々な観点から求められる行動目標を設定してみることが、研修を現場に即したものにデザインする上では肝要なのである。

 求められる行動を参加者ができるようになるためには、なにも参加者を個人として捉える必要はない。換言すれば、一人ひとりが新たな行動を行なえるようになり、不要な行動を減らすためには、学習者共同体という捉え方をすることが有効である。ともに学ぶ学習者という観点を用いることで、一人ひとりが変わるということではなく、全員で変わるという意識を持たせるのである。「学習というのは他者の中にある」(107頁)という学習研究の領域における考え方を用いることは、研修をより有益なものとしてデザインする上で参考となるだろう。

 第三の研修講師選定については、社内で講師を新たに選定し、育成する際のポイントについて触れてみたい。著者は、教える経験があまりない人が陥りがちな三つの罠を指摘した上で、それぞれが実は同じ発想の誤りにあることを以下のように主張している。

 「詰め込み」で「バラバラ」「一方向」この3つは独立なようでいて、実は、相互に密接に関連しています。最大の問題は、「限られた時間の中で、私はあなたに何を伝えなければならないのか?」この問いに対する答えが、見出し切れていないことです。(142頁)

 学習内容を「詰め込み」過ぎてしまうことで、要素を整理しきれずに学習内容が「バラバラ」になってしまい、結果的に教える側から教わる側への「一方向」のコミュニケーションになってしまう。教育会社で行なわれるTTT(Train The Trainer)のコースを受けた方であれば、その初期に陥る三つの罠は苦い経験とともにイメージし易いだろう。著者も指摘しているように、研修の目的はなにか、モジュールにおけるポイントはなにか、スライドにおけるメインメッセージはなにか、というように要約することが重要だ。要約した状態で準備しておかなければ、現場における柔軟な対応ができず、急な変化に応じることができないのである。その結果、少しでも変化が起きた場合に、パニック状態に陥ってしまい、参加者の学びに貢献できなくなってしまう。

 第四の研修実施については、とりわけ研修を終える際、つまりクロージングにおける工夫が興味深い。研修を終える際には、現場での職務へのアラインメントを取るために行動計画を立ててもらうことがよくある。その際には、アクションプランではなく、アクションストーリーを考えて記してもらうことが適しているという。

 アクションプランは多くの場合「箇条書きの行動リスト」ですが、アクションストーリーは、「自らの行動とそれによる場の変革を具体的なストーリー」にして描きます。このように具体的な場や文脈を思い浮かばせることで、アクションの実効性を高めます。(300頁)

 アクションプランでは、ある時点からの演繹的な落とし込みとなり、単線的にきれいな作文として書かれてしまいがちだ。それでは、周囲の同僚との関係性や業務との関連性が考慮されないために、実行されることなく、忘れ去られてしまう。そうではなく、ストーリーとして描くことによって、時間と空間の関連性に思いが至らざるを得なくなる。さらには、ストーリーとして用意することは、同僚や上司に対して伝えられる可能性が高まり、周囲の力を活かしながら実行へと繋げることも可能であろう。早速、取り入れたいポイントの一つである。

 研修に関わるこうしたポイント以外にも、実務家を唸らせる細かなTIPSに満ちているのも本書の特徴である。

 一般に、研修の実施/持続/中断を決めるステークホルダーが、研修の現場に居合わせることはありません。彼らに研修のイメージを持ってもらうためには、その研修場面が、どのような場であったのかをイメージしやすいように写真・動画を残しておくことが必要になります。(73頁)

 研修を記録するのは文書やデータ分析だけではない。研修のイメージを残すという観点は、現場で対応しながら実施しているとつい逃しがちな点である。しかし、著者が指摘するように、研修実施を決定する各ステークホルダーはその場面に居合わせないことも多い。そうした人々にイメージを持ってもらうためには、文字情報やデータだけではなく、右脳への刺激を目的として画像や動画を残しておくこともまた重要である。

労働政策研究・研修機構「特集 人材育成とキャリア開発」『日本労働研究雑誌』Oct. 2013 No. 639
『「自分ごと」だと人は育つ』(博報堂大学編著、日本経済新聞出版社、2014年)
『組織内専門人材のキャリアと学習ー組織を越境する新しい人材像ー』(石山恒貴、日本生産性本部、2013年)
『経営学習論』(中原淳、東京大学出版会、2012年)
『成長する管理職』(松尾睦、東洋経済新報社、2013年)『知識労働者のキャリア発達 キャリア志向・自律的学習・組織間移動』(三輪卓己、中央経済社、2011年)

【第268回】『世界史(上)』(ウィリアム・H・マクニール、中央公論新社、2008年)

 上下巻にかけて約千頁にわたる大著。違う見方をすれば、たった千頁で世界における歴史を紡ぎ出すにはポイントを絞り込むことが必要だ。ポイントを絞るのは、著者の歴史に対する思想である。

 本書をまとめる基本的な考え方は簡単である。いついかなる時代にあっても、世界の諸文化間の均衡は、人間が他にぬきんでて魅力的で強力な文明を作りあげるのに成功したとき、その文明の中心から発する力によって攪乱される傾向がある、ということだ。(36頁)

 ハンチントンは『文明の衝突』で現代における文明間の衝突を明らかにしたのに対して、著者は、本書で文明間の均衡と攪乱の歴史の流れを明らかにしている。中心と辺境という言説構造も見え隠れするようではあるが、一つの歴史の一面を明らかにしようとする著者の意欲が伝わってくるようだ。

 まずは、普遍的な宗教ができあがるまでの道程を見ていこう。

 同じ場所の土がくりかえしくりかえし犂で耕されるようになったため、中東全般にわたって、小さい、長方形の畑が出現しはじめた。この変化が進行するにつれて、中東の農民たちは、川の沈泥で肥沃にされたり灌漑用水でうるおされたりしない土地からも、かなりの量の剰余食糧が得られることにしばしば気がついた。そのような社会においては、人間の筋肉にだけ頼る労働力が家畜の力の補いをうけて効力を著しく増したため、少数ではあるが、ある人々が自給自足の直接労働から解放され、その結果、灌漑のおよばぬ土地にすら文明が波及するようになった。そこで、すぐあとに述べるように、その後まもなくして、天水により水分を与えられる土地に、文明化した型の社会を作り出しかつ維持する新しい可能性が、文明社会の発生地に適当な近さを持った地方で実現されたのである。(75頁)

 日々の食糧に困る状況から脱却することが私たち人類に深い思索を可能とし、思索が文明を創り出した。文明の成り立ちについて、エジブト文明を例にとって、シュメルとの比較から見て行く。

 広い目で見れば、エジプトとシュメルの社会構造の間の抜きがたい差異は、初期エジプト文明の表現を、完成度が高く、かつより脆弱なものにしている、といえる。エジプトにおけるいっさいのものは、神である王、すなわちファラオの宮廷に集中された。シュメルにおいては、神々は目に見えないものと信じられていた。ただし、神々の欲求や性格、行動の特徴は人間に似ているとされた。しかし、エジプト人は、自分たちの王が神であると断定したのである。王は不死の存在であったから、他の人間たちにも魂の不滅を許し与える力を持つことができた。(78~79頁)

 多神教の色彩の強いシュメルとの比較から、一神教の萌芽としてのファラオの神というものが創造された。しかし、そうした文明の基底を為す根幹が、辺境へと広がる過程において、ファラオの意志の力が弱体化することに繋がる。

 エジプトの軍隊と外交官たちがアジア、シリア、パレスティナなどを、時には成功し時には失敗しながら通過したとき、神聖なファラオの意志が、神の意志と同じように、時と場所を問わず常に至高のものだ、と信ずることがむずかしくなってきた。そして、政治的な力と経済的な富がティグリス=ユーフラテス流域をさかのぼって、まず最初にバビロン、次にニネヴェへと攻め入り、かつては繁栄していたシュメルの諸都市を完全な荒廃と衰亡の極に追いやったとき、シュメルを世界の中心、神の寵児として扱っていた宗教的聖歌や儀礼は、もはや無条件で自動的には受け入れられなくなってしまった。現在的な事実と過去から継承した信仰との間のそのような矛盾は、エジプトとメソポタミアの中間地方に住んでいる弱小民族にとっては、さらに鋭く感ぜられた。なぜなら、彼らは自分たちの地域の聖職者があがめる神や儀礼や神話に関して無知無関心な、外国の支配者や軍隊に徐々に圧迫される運命にあったからである。(130頁)

 ファラオの神聖な意志と現実との差異が、その思想の有効性について人々に疑念を抱かせた。こうした混乱状況において、多様な民族を束ねる民族を超えた思想の誕生が求められたのである。そうした宗教を創り出したのはユダヤ人だ。

 古代オリエント社会の知的、宗教的発達は、倫理的、超絶的一神論への傾きを持っていた。しかし、ユダヤ人だけが、この傾向を論理的で明確な結論にまで一貫して推しすすめる力を持っていた。他の民族は、たとえひとつの新体を他のものより高くかかげ、ある特定神の力を拡大して全宇宙に及ぼしめたとしても、結局伝統的な多神論を完全には捨て切れないでいた。(131頁)

 伝統的な社会においては、アニミズムに基づく多神論的な世界解釈が自然と為されるのであろう。世界解釈と民族の多様性とがないまぜになった現実を一つの一神教へと結びつけたのがユダヤ人であり、その結果がユダヤ教である。

 宗教が一地域のものでなくなった。ユダヤ人たちは、外見上はまわりの民族とほとんど同じようにふるまい、さまざまな言語を話し、衣装や行為の点でも一律でなかったが、それでいてヤハウェには忠実でありつづけた。要するに、宗教が、人間文化の他の側面から切りはなされたのである。イェルサレムの神殿での豪華な礼拝式に執着したり、信者に対して同一地区に住んでほぼ統一的な習慣に従うよう構成するのではなく、ユダヤ人の信仰は、少数の信者が集まって聖書を研究し思索する場所でなら、どこでも栄えることができるようになったのである。(139~140頁)

 宗教は文化や文明を創り出す主要な要素の一つであり、私たちに影響を与える存在である。しかし、ユダヤ教においては、そうした要素を保有しながら、宗教と現実との差異をも明快にする論理を提示したのである。ユダヤ教という一神教の誕生は、さらに多様な地域に広まる上で、キリスト教へと受け継がれる。

 救世主を待ち望んではいるが、ユダヤ教の祭式の掟にはどうしてもついていけない人々には、キリスト教のお告げは完全に納得いくものだった。こういう帰依者はユダヤの戒律に従う必要はないということが早くから決められた。キリスト(中略)を信仰し、キリスト信者の共同体の一員として新しい生活に入ることだけで充分とされた。その結果、紀元六六ー七〇年のユダヤ人の反乱に際して、イェルサレムにいたユダヤ人のキリスト教徒が各地に離散した時以来、東部地中海地方のギリシャ語を離す諸都市のキリスト教徒の共同体は完全にユダヤ教と縁を切った。(中略)ギリシャの思想的、宗教的伝統は、ユダヤのそれとは全然ちがっているのに、異教からの帰依者たちは必然的に、彼らの以前からの物の考え方をキリスト教の中にもちこんで来たのである。(260頁)

 ユダヤ教から派生した異教の一つにすぎなかったキリスト教が広く伝播したのは、その受容性にあったという点は非常に興味深い。現代社会においては、キリスト教の保守派による他宗教や他文明への非寛容性が目立つことがあるが、本来のキリスト教は寛容性を有しているのである。

 イスラムが急速にひとつの一貫した、そして法的に規制された生活の様式となったので、近隣の諸国は、イスラム教を受け入れるか、全面的に拒絶するかのふたつにひとつを選ばなければならなかった。このことは、文明世界を、ほとんど蟻のはい込む隙もないほど境界のはっきりしたいくつかの部分に分けたが、それは教義のしっかりした宗教が、文明生活の中心を占めていなかった過去の時代には見られなかったことである。だが文化的境界線を越えたこの相互の刺戟は、否定的な意味で重要である。つまり、イスラムに抵抗するために、ヒンズー教世界とキリスト教は、それぞれ自己のはっきりした特性を今まで以上に強めることになったのである。(344頁)

 こうして諸文化における対立的な均衡状態が生み出される。600年頃からのイスラム文化圏の誕生と拡大が、翻って、その文化圏と領土を接するヒンズー教やキリスト教世界とが強まる端緒となったのである。


2014年3月29日土曜日

【第267回】『40歳からの会社に頼らない働き方』(柳川範之、筑摩書房、2013年)

 四〇歳定年制を主張していることで有名な著者。その著者の四〇歳定年制の本意はどこにあるのか。

 四〇歳定年とだけ聞くと、四〇歳以降の働き手を切り捨てるような提言だと思われがちですが、決してそうではありません。むしろ逆で、四〇歳以降の人が雇用の不安におびえることなく積極的に働けるようにする雇用システムを提言したものでした。(14頁)

 変化が激しい社会環境や企業において、企業に頼らず、変化を受け容れ、たのしみながら、どのように働き、どのように生きるか。著者は、将来を切り拓いてチャンスをつかむために、五つのステップを提示している。

(1)将来に備えてシミュレーションをする

 重要な点は、将来を静的に捉えてそこから逆算するようなリバース・エンジニアリング型の目標設定・計画策定というアプローチではないということである。あり得るべき将来として考えられる多様な状況をシミュレーションして、たのしみながらトライしてみる、という態度である。シミュレーションして行動変容を試行錯誤することによって、変化への対応に慣れるという作用がある。

(2)状況に応じた発想力を養う

 変化が激しく将来が見えないから成り行きに任せるという態度では、いざキャリアや行動を変えようとするときに準備ができておらずに動けなくなる。したがって、様々な可能性を想像することが重要であるとともに、自身の予想に固執せずにしなやかに対応することもまた重要である。そのためにも、新しいテクノロジーに興味を持ち、試しに用いてみることを著者は指摘している。

(3)目標を組み立てる

 著者によれば、目標を創る際には長期的なものと短期的なものという二つを設けることが望ましいようだ。長期的なものだけでは具体的なアクションに繋がらないが、短期的なものだけではその場に応じた対応に汲々としてしまう。両者をバランスよく持ち統合させることが重要なのであろう。

(4)少しずつ、踏み出してみよう

 三つのことが重要であると著者は述べる。第一に、決める癖をつけるということである。リスクを気にして他者に判断を委ねるのではなく、自分自身で決めるということを習慣にするということである。第二に、完璧を求めないという点である。ある程度の自信を持てる状態になったらまずは試してみるという姿勢が重要だ。第三に、大きく踏み出さないということに留意するべきだろう。背水の陣で何かに臨むということは美徳になりがちであるが、変化が激しい状況においてはコンティンジェンシープランを持つためにも小さなステップが重要である。

(5)引き返す

 (1)~(4)は新たなチャンスをつかむためのチャレンジに関わるものであり、そのためには新しい行動を取ることになる。新たな行動を取った後には、その選択が失敗やミスであったということが分かることは多い。そうした際にはすみやかに引き返すこともまた重要な意思決定である。

 こうしたステップを踏む上では、自身に求められる能力の現在地を棚卸しし、スキルを磨くことが必要であると著者はしている。スキルを磨くためには、ともすると私たちは、新しい知識や情報を得ることを考えてしまうが、自身の経験を学問によって体系付けすることが強調されている点が非常に興味深い。

2014年3月23日日曜日

【第266回】『川端康成 三島由紀夫 往復書簡』(川端康成・三島由紀夫、新潮社、1997年)

 師弟関係におけるやり取りというものには、緊張感もある一方で、どこかほほえましい一面がある。それが、川端と三島という偉大な二人の作家であれば、なおさら、その両者を感じる。

 芸術はやはり体験から生れるものではありますまいか、それは日常的生活体験より一段高次の体験であり、醸造作用を経て象徴化せられた体験です。いはゆる生の体験が「時」(精神的時間)の醸造作用によって象徴に変化します。醸造(陶〔ママ〕汰と選択と化学変化)は全く無意志的に本能的に行はれます。即ち芸術上の体験とは先験的なものによつて淘汰せられた特殊体験です。従つて芸術の形成に当つては、第一段階の特殊体験(一種の緩慢な霊感)に却つて超歴史的契機が潜在し、第二段階の無意思的醸造作用に、歴史的契機が伏在します。摸倣なるかにみえるものは、この歴史的契機の過剰に他なりません。即ち作家は摸倣を避けつつ本質的摸倣を容認するでせう。(20~21頁)

 学生時代の三島が、川端宛の書簡で当時の評論家への痛烈な批判を述べる上で、述べている芸術論である。まず、ここまで若々しく瑞々しいストレートな意見が書かれている点が非常に興味深い。また、ここでの歴史に関する著述は、後の『豊饒の海』の特に第一部(『豊饒の海(一)春の雪』(三島由紀夫、新潮社、1969年))での三島の論旨を彷彿とさせる。仏教の影響が非常に濃い同作品ではあるのであろうが、彼の歴史観および芸術観は、この頃から一つの形を為していたように思える。

 この夏ごろより仏教が面白くなり、いろいろ本を読みましたが、いよいよ面白くなりました。こんなに、インテリには哲学的たのしみを、民衆には恐怖と陶酔を、同時に与へてきたものはありませぬ。小説(近代小説)は一度でも、仏教の如き、さういふ両面作用を与へることに成功したか、甚だ疑問であります。何とか仏教にあやかりたいものだと思ひます。(152頁)

 一般化するのは拙いのかもしれないが、宗教の面白さはこうしたところにあるように思える。つまり、教養ある人間にとっては考察の対象や思索の手段として興味深いものであり、一般大衆にとっては恐れるべき存在であると同時にともすると固着する存在にもなる。小説全般がこうした文脈での宗教としての存在になれているかは怪しいと思うが、個別の小説はそうした存在になり得ているのではないだろうか。とりわけ三島が仏教の輪廻転生を題材にした『豊饒の海』はそうした存在の一つであると言えるだろう。

 ますますバカなことを言ふとお笑ひでせうが、小生が怖れるのは死ではなくて、死後の家族の名誉です。小生にもしものことがあつたら、早速そのことで世間は牙をむき出し、小生のアラをひろひ出し、不名誉でメチヤクチヤにしてしまふやうに思はれるのです。生きている自分が笑はれるのは平気ですが、死後、子供たちが笑はれるのは耐へられません。それを護つて下さるのは川端さんだけだと、今からひたすら便り〔ママ〕にさせていただいてをります。(184頁)

 この手紙を書いた約一年後に三島は自決を遂げる。私には三島が死を賭してまで貫きなかった思想を理解できないし、今後、理解することができる時が来るようには到底思えない。しかし、人間として、彼が死を怖れているのではなく、子供や家族が嘲笑されることを怖れているという部分には共感ができる。この一節を読むと、彼の死を理解できずとも、彼が死に趣く上での感情は理解できそうだと思えてくる。

 さらに、川端をノーベル賞に推薦する文書が非常に人間的で感動をおぼえる。三島の、川端に対する敬愛に溢れた文章の一部を最後に引用する。

I feel honoured to recommend him, who more than any other Japanese writer, is truly qualified for the Nobel Prize for Literature.(223頁)

2014年3月22日土曜日

【第265回】『ヘーゲルとその時代』(権佐武志、岩波書店、2013年)

 ある思想家の是非について問うためには、その思想家が生きた時代背景や歴史という文脈を捉まえる必要がある。そうしたものを括弧に入れた上で批評を行なうということは、昨今のマスメディアが意図的に文脈を削ぎ落して発現者を貶める行為と変わらないと言わざるを得ないだろう。

 われわれは、自分が時代に制約されていることを自覚し、現在をより良く知るためにこそ、過去の時代を知り、歴史から学ぶ必要があるのだ。(ⅳ頁)

 さらには、思想家の生きた時代を知ることは、その思想と歴史そのものから学ぶことで、現在をより深く理解するということに繋がる。無から将来を想像するよりも、過去を振り返った上で将来を想像する方が、時間軸も空間軸も広がるという心理学の知見を援用するまでもなく、歴史を学ぶということは今と将来を考える視座を与えてくれるのである。

 こうしたスタンスに基づいて書かれた本書では、ヘーゲルが時代ごとに自分自身の思想をどのように変遷・発展させてきたのかを丹念に述べている。まずは、最初期の彼の思想について見ていこう。

 こうしてヘーゲルは、対立を取り入れた再合一を要求し、生を「結合と非結合の結合」として捉える。つまり、合一か分離かという合一哲学に特有な二者択一を取らず、分離を取り入れた再合一、すなわち「合一と分離の合一」が生の本質をなすと考える。しかも、ヘーゲルは、反省された形式が愛の本質に反するとは考えず、むしろ反省により感情を補完するように要求する。感情と反省を総合するこの考え方も、根源的存在は知的直観により直接に把握できるという合一哲学とは異なっていた。こうした矛盾し対立するものを結合する思考様式こそ、ヘルダーリンに見られないヘーゲル独自の思想の始まりを示しており、やがてヘーゲルがロマン主義から脱却する根本要因となるのだ。(37~38頁)

 「根源的存在は知的直観により直接に把握できる」とする従来の思想潮流に対して、ヘーゲルは「対立を取り入れた再合一」というアプローチを志向する。ここでは、合一か分離かという二者択一的な捉え方ではなく、対立構造を包み込んだ上での再合一という思想的展開という挑戦が垣間見える。では、相互に矛盾するものをヘーゲルはどのように合一させようとしたのか。

 ヘーゲルは、三位一体説を、神性と人性が併存するというカルケドン信条から解釈し直し、最後の「聖霊」(Geist)を、神性と人性、父と子を統一する神人イエスの理念に従い、理解しようとする。神人イエス説により再解釈された三位一体説こそ、地上と天上、理性と信仰の二元的対立を克服する手がかりをヘーゲルに与えることになる。だが、神人イエス説と三位一体説を統一的に把握するためには、ヘーゲルは、他者において自己へ還帰する「精神」(Geist)の概念を手に入れる必要があった。この精神の概念こそ、ヘーゲル哲学の中心理念をなすのである。(66頁)

 ヘーゲルは、二元的対立という相矛盾する概念同士を再解釈するために、三位一体説を用いることでその相克を克服しようとしたのである。彼の三位一体説を理解するためには精神という概念を捉える必要がある。もう少し深掘りしてみよう。

 ヘーゲルは、精神を自然から分かつ決定的差異、すなわち自己自身に冷静な距離を保つ反省能力を固く守り、これを自己二重化する精神という形で体系原理にまで高める。(中略) ヘーゲルにとり、神は、認識できない彼岸の「他者」でなく、「自己自身」の意識として、すなわち「精神」として認識可能な理念である。こうしてヘーゲルは、自己意識のモデルを三位一体説と結合することで、自己二重化する反省活動により、絶対者を「自己自身の他者」として内面化できたのであり、この結果として、ロマン主義から最終的に訣別したのである。(80~81頁)

 反省活動を促す精神と、その主体たる絶対的な自己自身により認識可能な神を包含させる三位一体説との結合が、ヘーゲルの思想の根幹であると著者はしている。ここから、彼の最も有名な概念である正反合という弁証法が生み出される。

 法の理念は、自由意志に始まる概念の規定を対立物へ移行させ、対立し合う両規定の自己否定と統一から肯定的成果を産出して、内在的に発展させる方法に従い展開される。このヘーゲル独自の方法が、ここで初めて「概念の弁証法」と呼ばれる。(111頁)

 精神と三位一体説との融合による正反合に基づいた弁証法から、自由意志という近代の自由主義社会の根幹を為すテーマが生み出された、という点に着目するべきだろう。彼が自由主義社会の理論的バックボーンを提供していたということはよくよく覚えておく必要がある。というのも、次に述べるようにヘーゲルの思想はともすると、ドイツのナショナリズムに援用されたために誤解を生じることが多いからである。

 ヘーゲル自身は、ドイツ統一の要求には否定的であり、フリースらのナショナリズム運動には敵対的態度を表明していた。だが、彼が説いた「理性の狡知」説は、国民国家の原理や戦争による紛争解決の思想と相まって、宗教的使命感に支えられたナショナリズムを正当化し、普遍主義と権力政策が結合するビスマルク帝国の世界政策を追認する機能を果たすことになる。(189頁)

 統一ドイツというナショナリズム運動へのヘーゲルの思想的態度とは反対に、彼の理論が「宗教的使命感にさせられたナショナリズムを正当化」する理論を提供したという点は皮肉である。さらに、そうした運動の背景となったヘーゲル思想という事象だけを捉えて、ヘーゲルがナショナリズムを煽ったと時に言われることは、彼にとって苦痛であろう。こうしたドイツのナショナリズム運動への援用という本意でないものも含めて、ヘーゲルの思想は後代の思想家に大きな影響を与えている。最後に、丸山眞男への影響について引用して本稿を終えることとしたい。

 日本思想の原型を古代日本の記紀神話に探った一九六〇年代の講義で、丸山は、ヘーゲルと同じ「歴史における理性」の立場から、日本の歴史意識の特徴を取り出している。丸山によれば、歴史意識は「永遠と時間との交わり」によって初めて自覚される、つまり永遠という縦軸と時間という横軸が、十字を切って交わると考える時に初めて、歴史の自覚が生まれる。これに対し、究極目的を欠き、「なりゆく」現在を絶対化する現在中心主義や、時勢の「いきほひ」が歴史の推進力をなす歴史主義が、日本人の「歴史意識の古層」をなすという(丸山、一九七二)。(205~206頁)


2014年3月21日金曜日

【第264回】『ノットワーキング 結び合う人間活動の創造へ』(山住勝広/ユーリア・エンゲストローム編著、新曜社、2008年)

 法政大学の石山氏による意欲的な新著(『組織内専門人材のキャリアと学習ー組織を越境する新しい人材像ー』(石山恒貴、日本生産性本部、2013年))で端的に指摘されているように、企業における専門人材には新しい学びが求められている。そうした学びにおいて求められる要素の一つである越境学習を検討する上では、ノットワーキングという鍵概念を理解することが重要だ。

 では、ノットワーキングとはなにか。

 ノットワーキング(knotworking)は、多くの行為者が活動の対象を部分的に共有しながら影響を与え合っている分かち合われた場において、互いにその活動を協調させる必要のあるとき、生産的な活動を組織し遂行するためのひとつのやり方をいう。(ⅰ頁)

 ある場において、多くの行為者が、対象を共有して、活動を行なう。動的に変化する環境の中で、求められる職務要件が変化を遂げる状況において、一人の個人として変化を行ない、他者と共に変化しながら対応を行なう。こうした動きを取る上で、個人がいかに多様な網の目の中の結節点として機能できるか、ということがノットワーキングの重要な要素ということになる。

 活動理論が概念化する「活動」とは、環境の中の「対象(object)」、いわば目的や動機に向かっていく諸行為が連鎖し連関する構造のことである。「活動」とは文化的・歴史的・社会的・制度的に構築される、人間の行為と実践の形態のことなのである。「活動」は、私たちの生活を組織化する。(4頁)

 ここで述べられている活動とは、アクティビティの訳語として用いられる活動とは少し意味合いが異なるようだ。本書における活動とは、様々な文脈における多様な行為を束ねるような結節点であり、方向性を意味するようだ。多様性と統合性とを内包した概念である活動は、私たちの行為の積み重ねによって形成される一方で、翻って私たちの職務や生活における対象を組織化することにもなる。

 エンゲストロームが「アメーバ状」や「野火」と表現しているような拡張的学習の新たな形態は、先に述べた第三世代活動理論が焦点化する「多重化する活動システム」に関わっている。「学び」「遊び」「交流」「仕事」といった活動がハイブリッドに融合し、活動の対象がオーバーラップしていく中で、学習が網の目状につながっていくこと。すなわち、越境する拡張的学習が、そこに生起してくるのである。(38頁)

 従来の学習では、静的な目標や対象が存在し、そこに向けてのプロセスが演繹的に導き出され、各ステップを一つずつこなしていくという単線的なアプローチが適していた。しかし、対象の変容や動的な変容が生じる現状においては、対象自体が多岐にわたり、多様な行為が綯い交ぜになるという複層的でありネットワーク型の学習が求められる。そうした学びにおいては、自分自身がそれまで持っていた学習スタイルをアンラーニングすることによる拡張性や越境するマインドセットが重要なのである。

 本書は、活動システムにおける適応的・流動的・自発的なコラボレーションの創発を促すために、「ノットワーキング(knotworking)」、すなわち「結び目づくり」と名づけることのできる活動の新たな形態やパターンに焦点化し、人やリソースをつねに変化させながら結び合わせ、人と人との新たなつながりを創発していくような活動の水平的なリズム、協働的な生成を考えたものである。「結び目づくり」を意味するノットワーキングという比喩的概念は、集合的活動の創発的構造そのものである。(39頁)

 多様な対象をターゲットにして多様な活動を行なえば、越境や拡張性が自ずと生じるわけではない。いかにして、そうした多様な活動・対象による結節点をデザインするという主体性が重要なのである。さらには、自分自身に閉じた学習からオープンな学習へと自分を開くためにも、人との関係性自体を拡げていくという人間関係の拡張性をも仕掛けることが重要であろう。したがって、個人に閉じた知の蓄積ということではなく、自分が参画する場における知の創発的形成と共有ということがキーになるのである。

 ここで「ノット(knot; 結び目)」という言葉が指し示すのは、次のことだ。それは、行為者や活動システムの間が弱くにしか結びついていないにもかかわらず、それらの協働のパフォーマンスが、急遽、脈打ち始め、分散・共有される、というものである。そのとき、それは、行為者や活動システムが即興的に響き合うようなつながりを創発するのだ。ノットワーキングは、活動の「糸」を結び合わせ、ほどき、ふたたび結び合わせるというように、変化に富んだ「旋律」によって特徴づけられるのである。(40頁)

 紐における結び目は、接着剤によって固着するような強さと固定性とは異なり、弱いけれどもしなやかな連結である。したがって、一方の端が動けば、振動を伴いながら次第にもう一方の端に影響が与えられる。時にはほどけることもあるが、また結び合わせることもでき、変化に富んだ結節点である。こうした柔軟性や変化への対応性という点が、ノットというアナロジーによく表れている。

 ノットワーキングは、実践の現場であたかも「即興を交響させる(improvised orchestration)」かのような協働のパフォーマンスである。それは、実践の現場において瞬時に相互行為の「ノット」(結び目)を紡ぎ出し、ほどき、ふたたび紡ぎ出していくといった協働の微細な律動なのである。(中略)ノットワーキングは人々の現場での差し迫った必要から生成される。それゆえ、人々が越境のパフォーマンスへ動いていく現実的な力の即興と持続をそこに見い出すことができるはずである。ノットワーキングという水平的運動は、人々の拡張的なつながり合いを脈打たせるのだ。(49~50頁)

 ここで注目したいのは、ノットワーキングは学び自体を目的にしたものではなく、新しい学びや働き方が求められる状況において即興的に発揮されるものであるという著者の指摘である。したがって、その場に参画する各主体が、相手の動きに合わせ、また相手の動きを促すというインプロヴィゼーションのような動きが生まれる。そうした生み出される多様な結節点がノットワーキングの要諦であり、その結果として一対一ではなく多対多という動的な拡張性が生み出されるのである。

 それは活動をコントロールする単一の中心が不在であることによっても特徴づけられる。(中略)ノットワーキングは、生活活動の現場に分散している人々の多様な「声」(ものの見方や立場、生活様式)に応答し、互いの経験を共有していくような協働の語り合いを通して、ボトムアップの集合的な意味生成を実行していくことなのである。(50頁)

 多対多という動的な拡張性が生み出される関係性においては、ボトムアップでの場における知の蓄積と生成が為されることとなる。したがって、そうした動的な知識創造が為されるためには、多様なメンバー間における信頼構築や、相手に委ねられるという度量が求められることになるのであろう。


2014年3月16日日曜日

【第263回】『どうやって社員が会社を変えたのか』(柴田昌治・金井壽宏、日本経済新聞社、2013年)

 本書の元となっている『なぜ会社は変われないのか』を読んだのは学部生の頃であった。当時は「プロジェクトX」が流行っていたり、私自身が企業変革やコンサルティングに関する書籍を読むのが好きだったりして読んだように記憶している。柴田氏の書籍は、コンサルタントや企業トップが書くような書籍という印象よりも、「プロジェクトX」で社員発の企画がヒットするといった愚直な活動のプロセスを扱っているような印象を抱いた。

 本書では、以前は匿名化され、かつ他社の事例もミックスさせていたものが、いすゞ自動車という現実の社名が記載され、その中で奮闘する方々も実名で出ている。その事実に興味を抱いていたのと同時に、なぜ、いま実名化する必要があるのか、について強い関心と若干の疑問を持っていた。その疑問は、序章における金井氏の解説で納得させられた。

 今から二〇年余り舞え、一九九〇年当時のいすゞ自動車には、今という時代の日本に起こっている病理現象が、まさに時代を先取りする形で起こっていた。当時のいすゞをふり返れば、今では至る所で当たり前のように起こっている「経営と社員の一体感、つまりチームワークが決定的に失われる」という問題が、他の企業に先駆けて発生していたのだ。(35頁)

 当時のいすゞの問題は、現代の多くの日本企業の問題、というわけである。したがって、いすゞが抱えていた問題をどのように解決していったのか、というアプローチは、改めて現代の処方箋となり得るものなのである。では、いすゞのアプローチはどのようなものであったのか。

 改善・合理化としてのTQC全盛の時代に、日本の企業変革の歴史上、初めて「指示命令でやらせる改革」から「やらせない改革」への挑戦が始められた、ということだ。一九九〇年、いすゞ自動車を部隊に「改革の方法論自体の転換」の試みが展開されたのだ。(37頁)

 いすゞのアプローチの画期的な点は、トップが社員に「やらせる改革」から「やらせない改革」へのパラダイムシフトであったと金井氏は端的に指摘する。この点が本書の書名にもなっている「社員が会社を変え」るという部分の含意である。ウェルチがGEを、ガースナーがIBMを、そしてジョブズがAppleを、それぞれ変えたというように言われる。内実については詳らかではないが、私たちはとかく企業のトップが企業を変えたという文脈でのみ理解しがちである。しかし、そうした態様では、社員の創意による社員の手になる改革行動という点を無視しがちだ。本書は、社員発の改革、もしくは企業トップがやらせない改革について焦点を当てた希有な書籍であると言えるだろう。

 そのポイントとして、私がとりわけ興味深いと感じた三点について、以下から見ていくこととしたい。

 多くの人は不平不満を出し切るステップを踏んで当事者になっていくのだ。そのことを、私たちはいすゞでの経験を通じて改めて体感した。(66頁)

 共著者の一人である柴田氏の述懐である。何もないところから、改革というポジティヴなエネルギーが充満し、改革行動に繋がるのではない。こうした不平不満というネガティヴなエネルギーの鬱積を解放することで、「いつまでも不平不満ばかり言っていても意味がない。では、どうするか?」というポジティヴな案が出てくるのである。いわゆる「ガス抜き」としての食事や飲み会という設定も、このような出口まで含めたトータルな解決策としては機能するのである。

 改革を全社で一斉に始めるという発想は私にはありませんでした。そうするのではなく、開発部門で先行して始めることで、社内に温度差をつくっていこうとしたのです。 組織の一部で何か新たな動きが起こり、そこの人々が活気づき始めると、組織内に温度差ができます。そうすると、それ以外の場所の人々もざわざわしだし、自分たちも何かをやってみたいという気運が生じます。そこで少し背中を押してあげれば、その人たちも自ら動きを起こします。そのように改革の火種が飛び火して、組織全体にじわじわと広がって行く流れをつくっていこうとしたのです。(112頁)

 人事や人材育成という立場から改革を仕掛けていった北村氏の言葉である。全社一斉という発想は、上からのトップダウンでの改革というパラダイムにおけるものなのであろう。ボトムアップでの改革においては自発性を重視するのであるから、個が先行して動いていくことになる。そうした部門ごとの独自の動きにより生じる凸凹が、全く動いていなかったり動きの遅い他の部門に対して刺激を次第に与える、という仕掛けと覚悟とに唸らさせられる。

 100人委員会の特徴は、「出入り自由」ということです。あくまでも個人の自由意志を尊重し、加わるのも自由、やめるのも自由、メンバーはそれぞれ仕事の都合に合わせて参加していました。その意味では、公式の組織であるとはいえ、インフォーマル性がかなり強く、会社公認のインフォーマル活動だったと言うべきかもしれません。 したがって、100人委員会には事務局もなく、運営はそれぞれの委員会の自主性に任されていました。あるテーマについて100人委員会を開催したいと思った人たちがいれば、自ら世話人となり、企画をつくり、参加を呼びかけ、運営も行なっていたのです。(121~122頁)

 社員発ということは、当然、活動への参加不参加は自由であり、参加していてもその後やめたり休んだりということも自由である。さらに、こうしたインフォーマルな活動に対して、企業が金銭的にも人的にもサポートをしていたというフォーマルなアプローチの一部を取り入れていた点が興味深い。こうした動きは、北村氏をはじめとしたメンバーの根回しによる部分も大きいのであろうが、そうした動き自体を認める度量の効果は大きいだろう。付け加えれば、事務局という存在を置いてしまうと、どうしても事務局への依存が生じ、また事務局の負担が大きくなり運動が停滞しがちになる。したがって、こうした事務局という存在を持たなかったことも、本改革運動にポジティヴな結果をもたらした一因と言えるのではないだろうか。

2014年3月15日土曜日

【第262回】『風姿花伝』(世阿弥著、野上豊一郎・西尾実校訂、岩波文庫、1958年)

 世阿弥は本書の冒頭で年齢に応じて稽古に対する心構えを述べている。室町時代と現代とでは時代背景があまりに異なるため、同じ年齢であっても状況は異なるだろう。そうであっても、自分と近い年齢に対して世阿弥が何を記したかについては興味があるものだ。彼は「三十四、五」歳に対して以下のように述べている。

 この比の能、盛りの極めなり。ここにて、この條々を極め覚りて、堪能になれば、定めて、天下に許され、名望を得つべし。もし、この時分に、天下の許されも不足に、名望も思ふほどもなくば、いかなる上手なりとも、未だ、誠の花を極めぬ為手と知るべし。もし極めずば、四十より能は下るべし。(18頁)

 大変厳しい指摘である。この頃がベストの状況であり、芸を極めて覚ることができれば、他者からも評価される、としている。翻って、他者から評価されないという状況であれば、悟れていないということであり、芸を極めてられていないということである。こうした状態で年齢を重ねてしまうことがあれば、四十歳を過ぎると技能は落ちてしまう。

 上手の、目利かずの心に合はぬ事、これは、目利かずの眼の及ばぬ所なれども、得たる上手にて、工夫あらん為手ならば、また、目利かずの眼にも面白しと見るやうに、能をすべし。この工夫と達者とを極めたらん為手をば、花を極めたるとや申すべき。(73頁)

 自分を理解されない、言っていることを分かってもらえない、と思うような時に、私たちはともすると受け手の問題に帰してしまうことがある。しかし世阿弥は、芸を理解しない人々に対しても面白さを感受してもらうことが、芸を極めることであるとしている。つまり、受け手に因らず理解させることが一流なのである。

 初心よりの以来の、芸能の品々を忘れずして、その時々、用々に従ひて取り出だすべし。(101頁)

 年齢や状況に応じて、取り出すべき初心の心得は異なるという。つまり、いつでも最初の志を思い返せば良いということではない。心得というものは、状況により、人により、異なるものなのである。したがって、自分自身にとって、いつの、誰に対する、初心であるのかを自覚しながら、それを思い起こすことが有効なのであろう。

 時の間にも、男時・女時とあるべし。いかにすれども、能にも、よき時あれば、必ず、また、わろき事あり。これ、力なき因果なり。(106頁)

 調子の良いときもあれば、悪いときもある。環境要因が優れないときに対応をしすぎようとすることはあまり意味がないようだ。だからといって、そうした状況のときはただ不調が通り過ぎるということもよくない。そうではなく、いつかは訪れる調子の良い状態を想定した上で、そのための準備を丹念に行なう。そうすることで、調子の良い時に訪れるチャンスをつかむことができる可能性が高まるのではないだろうか。


2014年3月9日日曜日

【第261回】『プレイフル・ラーニング ワークショップの源流と学びの未来』(上田信行×中原淳、三省堂、2013年)

 いま、改めて、ワークショップとはなにか。厳密な定義づけじたいにあまり意味はないだろうが、その歴史的な変遷と、発展してきた背景を眺めることに意義がある。ワークショップを日本に導入して草の根の活動を続けてきた上田氏の研究と変遷の歴史を振り返る形式で、ワークショップのあり方や可能性が垣間見える。

 僕の考えでは、ラーニングサイエンスと、ラーニングアートは、同じ目的を共有している活動のように見えます。ラーニングサイエンスは、学習に対して科学的なアプローチをすることで隠されている学習の性質を明らかにし、そのことをもって人々の学習観に揺さぶりをかけます。一方、上田先生が提唱したラーニングアートは、「こんなコンセプトどうでしょう?」と、アートとして表現することによって従来の学習観に裂け目を入れる、揺さぶりをかける、というアプローチだったのではないかと思います。両者はいずれにしても“揺さぶり”をかける。(116頁)

 アートとサイエンス。この二つは相反するものとして、時に対立的な構図のもとで描かれることがある。しかし中原氏は、両者の共通項として「揺さぶりをかける」という作用を指摘している。揺さぶられるということは、それまでの自身の世界を見る見方が変わること、新しい認識の有り様を自覚すること、自身の中にある新たな可能性や価値観を認識することである。こうした作用が起こる上では、左脳と右脳とを共に活用すること、つまりサイエンスとアートとを状況に応じて使い分けることが大事なのであろう。

 教育を時間軸で考えるのではなく、空間軸で考えようということで浮かんだのが、L、LL、LLLでした。L(learning)が「学び」、LL(learning learning)が「学びについて学ぶ=リフレクション(省察)」、LLL(learning (learning learning))が「学びについて学んだことをもう一度学ぶ=意味づけ」、というメタ認知的空間を創出しようと考えたのです。(119~120頁)

 上田氏が企画した展覧会の建物や空間のデザインにおいて、Learningについて三つの空間軸で考えたという。リフレクションまでは思いつきやすいものとも言えるが、それを意味づけへと繋げるという点が極めて興味深い。Learningという事象について、三つの概念を意識的に捉えて空間をデザインすることによって、Learningに満ちた経験が導かれるのであろう。

 初対面の100人が一同に会しても、その日のうちに全員を認識することは大変困難です。せめて参加者同士の名前と顔とわずかな情報がわかれば、話してみようと思うきっかけになるというのがポートレイトを送ってもらった理由の1つ。もう1つの狙いは、ポートレイトをわざわざ撮影するという行為が自分というものを見つめ直すきっかけになる、ということです。しかもそのポートレイトは普段の自分ではなく、当日のドレスコードで一度鏡の前に立って撮影したものとお願いしました。当日のドレスコードは「自分をラッピング」して来てくださいという不可思議なお願いです。キャリアデザインにおいて一番大切なのは自分自身のプロデュースです。ラッピングとは、商品をよりよく見せるプレゼンテーションであり、手にする人の期待感を煽るものです。自分をラッピングするとは、自分を商品として客観視すること。傍観者ではなく、自分は見られる存在であると自覚することにつながります。(168頁)

 著者二人による「Un-conference」というラーニング・イベントにおいて、事前のアクティビティとして「自分をラッピング」したもののセルフポートレイトを撮影して送付してもらうというものがあった。その意図について、しかけを考案した三宅由莉氏が解説を加えた部分である。前者の狙いは、初対面の人々との話題作りを行ない、対人関係上の緊張感を緩和するというそれほど目新しいものではないが、後者が素晴らしい。自分自身を客観視しながら振り返ることを狙ったアクティビティは、狙いすぎると参加者は醒めてしまう。狙うことと一歩引いた目線とをバランスさせた興味深い取り組みであると言えるだろう。

 よく聞くのは、ワークショップ行ったら盛り上がるけれども、またテンションがだんだん下がってしまい、それでまたもう1回ワークショップ行く。そうすると、結局リピートして行くしかなく、無限ループにはまってしまう、という話です。これは、参加者が、参加者のマインドのままで終わっているから起こる問題なのではないかと思います。マインドが参加者側から、主催者側に変わってくると、すべてのことが「次、自分でやる時どうしようか」ということになり、帰っても「よし次はああしよう、こうしよう」と熱が冷めないし、自分でやってみたくなります。(中略)ワークショップの中で「自分で何かを企画して、人を巻き込んでやる経験」を参加者自身が持つことなんですよ。ワークショップでも、自分で何かを企画して、巻き込んでやってみた。だから、日常でも、同じようにやってみよう。そういうかたちで、ワークショップと日常の連続性をつくればいいのではないでしょうか。(178~179頁)

 主体性を持たず、参加者という安全領域からワークショップに関与するだけでは、ワークショップというハレの場から職場や日常というケの場に戻ると意識が戻ってしまう。そうではなく、主体者という意識、つまり、自分が行なうとしたら、職場でどのように自分だったらワークショップを行なうかというマインドでワークショップに参加すること。こうした主体性を持つことが、ワークショップと日常とを連動させることになる。さらに、参加者がこうしたマインドセットを持てるように、ワークショップをデザインする必要があるとも言えるだろう。つまり、ワークショップは、その設計者と参加者との相互作用のなせるわざなのである。


2014年3月8日土曜日

【第260回】『「自分ごと」だと人は育つ』(博報堂大学編著、日本経済新聞出版社、2014年)

 現代の日本企業においては十数年前まで主流を為していたものとは異なる新しいOJTが必要だと著者たちは述べている。OJTとはあくまで手法であり、そうした新しい手法が必要とされる背景には、仕事の変化と人の変化が挙げられる。著者たちは端的にその変化を以下の三つ(45頁)にまとめている。

論点① 職場の効率化が進み便利になった結果として、今ある(残っている)仕事の複雑さや難易度が上がった。さらに育成のスピードが早くなった時代に求められる新入社員OJT
論点② 新人(若手世代)の意識が変化した。長い時間を前提として「まずは経験してから慣れて習得する」という意識から、「全体像を先に理解したうえで経験に入る」ことを志向する時代に求められる新入社員OJT
論点③ 新しい業務領域が全社員に同時に降ってきて変化に対応する時代。分かりやすいひとつのロールモデルは存在せず、成長イメージは自己責任で見出す。そのような環境の中で「0から1を生み出す力」が求められる時代の新入社員OJT

 論点①では、アウトソーシングにより定型化された業務が外に出された結果として、企画色が強く、仕事の外郭が分からない新入社員には難易度の高い業務が残りがちという職務の特色の変化が挙げられる。そうした職場に入ってくる新入社員は、情報テクノロジーを駆使する世代であり、検索したりSNSでの集合知を活用することで正解を素早く導き出せるという意識の変容について論点②で述べられる。さらに論点③からは、職務の複雑化に伴って求められる職務要件も複雑化し、断片化した要件に応じたパーツごとのロールモデルを自分から見出すことが求められることが分かる。職務も、人も、求められる要件も、それぞれが変化する。変化し固定しない、というのが時代においては静的で演繹的なOJTから動的で帰納的なOJTが求められるのである。

 新しいOJTの像においては、OJT期間を「任せて・見る」という前半と「任せ・きる」という後半に分けて考えるという主張が本書の要諦である。

 「任せて・見る」では「小さいことからバッターボックスに立つ経験を与える」(71頁)という発想が求められる。そのためには教えるというインプットの比率が高まるが、事前に仕事の全体像を伝え、事後に本人の言動についてフィードバックするという点が重要だ。こうした前半における終了イメージは、仕事の意味を自ら把握し、自分自身の課題に自ら気づこうとする意識を持ち、自身の成長ゴールを設定し課題を強く認識する意識を持っている状態である(99頁)。

 次に、「任せ・きる」では「フリーハンドでやり遂げさせる」経験や「一皮むける経験を用意して与える」という上司や先輩側の職務デザインが重要となる(71頁)。したがって、新入社員に仕事を任せるということが求められるため、新入社員にいたずらに介入せず任せきる「胆力」をも問われることになる(71頁)。

 ここで大事なのは、前半における「任せて・見る」における業務も、後半における「任せ・きる」もそれぞれの時点におけるマジョリティの職務ではないということだ。その目安としては、「任せて・見る」は前半期間の1~2割であり、後半における「任せ・きる」業務は一回の体験であると著者たちは指摘している(75頁)。人材開発の新しい取り組みを現場に導入する際に、ルーティン業務にもそうした要素をすべからく活用すべきと安易に述べるビジネス書が多い中で、このようなバランス感覚に富んだ示唆は貴重だ。

 「任せて・見る」から「任せ・きる」の間にあるギャップを埋めるためには、トレーナー側の意識の変容が重要であると著者たちは述べる。つまり、新入社員が直面する問題を表面的に捉えるのではなく、「目に見えていない原因や陥っている悪循環まで掘り下げる」ことが重要なのである(218頁)。

 新入社員を指導する側に立つトレーナーは、指導すると共に自分自身の業務をも持つ立場であり、ともすると教え上手なトレーナーは優秀な先輩であり業務を多く抱えているという状況は多い。そうした状況においてトレーナーは、つい後輩である新入社員の問題を表面的に捉え、できないことを「〇〇が足りないから」と捉えて「〇〇をするように」という問題の裏返しをアドバイスしてしまう。そうではなく、新入社員が陥っているルートコーズをいかに提示し、腹落ちしてもらうか。変わるのは新入社員であり、トレーナーが変えられると思ってしまうマインドセットをいかに変容させるかが肝要であり、自らが成長するトレーナーと接することで、新入社員も自ずから変容しようとするのである。


2014年3月2日日曜日

【第259回】『荀子(下)』(金谷治訳注、岩波書店、1961年)

 まずは荀子の根幹を為す性悪説について見てみよう。

 人間の本性を考えてみると、目はものを見、耳はものを聞くことができるが、そもそもそのものを見る視力は目から離れず、ものを聞く聴力は耳から離れず、そこで耳目の聡明が得られているのである。学習によってそうなのでないことは明瞭である。孟子は「いま考えてみるのに、人間の本性は〔元来〕善いものであるが、すべてその善い本性を失うために悪くなるのだ。」というが、そのような説は間違っているといいたい。もし人間の本性を生まれつきの自然に放任しておけば、〔孟子が善だと考えている〕その素朴さやもちまえから離れていって、きっとそれを失い亡ぼしてしまうに違いないからである。以上のことによって観察するなら、人間の本性が悪いものだということは明瞭である。【巻第十七性悪篇第二十三・一】(193~194頁)

 もともと有している本性が優れていて、それが失われることで悪くなるという性善説は、ここでは孟子の思想を例として提示されている。それに対して、もともとの本性が悪いものである性悪説として人間の本質を捉える見方を荀子は提示している。ではなぜ、性悪説というものの見方が存在するのか。

 およそ人々が善いことをしたいと思うのは、その生まれつきの本性が悪いためである。(中略)その善さというのは偽すなわち後天的なしわざの結果である。【巻第十七性悪篇第二十三・三】(198~199頁)

 ここまで読み進めれば、もともとの悪い本性を、後天的な努力と経験によって善へと向かうというベクトルを荀子が述べていることが分かるだろう。最初の本性は悪いものであっても、一人ひとりが努力し工夫をしていくことで善い人間へとなることができる、という肯定的な考え方である。ではどのようにして善へ向かうことができるのか。道という概念を用いながら以下のように述べている。

 人間は何によって道を認識するのか。それは心によるのである。では心はどうして〔道を〕認識するのか。それは虚と壱と静によるのである。【巻第十五解蔽篇第二十一・七】(146頁)

 道を認識し、すすんでいくためには、心が大事であるとしている。加えて、心を認識していくためには、虚と壱と静という三つが必要であると荀子では述べられている。三つそれぞれについて見ていこう。

 人間は生まれると知覚があり、ものごとを知ると記憶が生ずるが、記憶というものは心の所蔵物である。それにもかかわらずいわゆる虚の状態があるというのは、前に所蔵している記憶によって新しく受けようとする知識をさまたげないという、それが虚の状態なのである。【巻第十五解蔽篇第二十一・七】(146頁)

 虚とはなにもないという状態を指すのではない。そうではなく、心に既存の記憶が存在する状態において、新しい記憶や知識を受け容れる態度が整っている状態をして虚と呼ぶというのである。私たちはともすると、自分たちが既に持っている知識や認識と整合していないものを受け容れないことがある。しかし、そうした既存知識に拘泥する態度は虚ではなく、道を進む上での障害となってしまうのである。

 心が生まれると認識能力があり、ものごとを認識すると区分が起るが、区分というものは同時に多くのことを兼ね合わせて知ることで、同時に兼ね合わせて知るのは心を分けていることである。それにもかかわらずいわゆる壱の状態があるいう(原文ママ)のは、あちらの一事の認識によってこちらの一事の認識をさまたげないという、それが壱の状態なのである。【巻第十五解蔽篇第二十一・七】(146頁)

 様々な認識を受け容れるという虚の状態を保つことは、いわば心を分けて同時に保有するようなことである。こうした態度は拡散的な知識保有と度量の深さになるであろうが、ともすると分裂してしまう危険性もある。こうした発散を収束させる統合性のようなものを、荀子では壱の状態として形容されているのである。

 心は眠っているときには夢を見、ぼんやりしているときには放縦に走り、それを使役するときには考え謀る。だから心はいつも動いているものである。それにもかかわらずいわゆる静の状態があるというのは、夢想や頻繁な想念によって認識能力を乱さないという、それが静の状態なのである。【巻第十五解蔽篇第二十一・七】(146頁)

 虚の状態で新しい知識や認識を受け容れる一方で、壱の状態によって統合を図ろうとする。いずれにしろダイナミックな動きが心の中に訪れている状態において、いかにしてそれを落ち着けるかという点が静の状態である。こうして、虚と壱と静というトリレンマを止揚する努力を重ねることによって、私たちは道を認識するプロセスをすすめていけるのであろう。

2014年3月1日土曜日

【第258回】『荀子(上)』(金谷治訳注、岩波書店、1961年)

 性悪説を唱えたと言われる荀子の思想はいかなるものなのか。

 学は何から始まって何に終るか?答え。その手段からすれば詩・書の経典を暗誦することに始まって礼を読むことに終り、その意義からすれば士たるの道に始まって聖人としての道に終る。真に久しく積習努力したならば聖域に入るであろう。学は死ぬまでつづけるべきである。だから学の手段には終りがあるがその意義からすればほんのしばらくでさえ離れられないのである。【巻第一 勧学篇第一・五】(16頁)

 学問に終りはない。学問の手段には終りがあるが、学問の目的や意義に終りはない、と説かれている。終りがないからとあきらめて断念すると、学問の探究は最初に戻ってしまう。そうであるからこそ、学びの有限な手段を組み合わせることで、無限で終りのない学びを続ける原動力となり、新たな学びを生み出すことができるのではないだろうか。このように捉えれば、学問に終りはないという考え方を咀嚼して生きることができるように私には思える。

 好悪取捨についての謀。好ましいものをみれば〔それを取る前に〕必ず前後をふりかえって反対の憎むべきものを熟慮し、利益あることを見れば〔それを得る前に〕必ず前後をふりかえって反対の害すべきことを熟慮し、その両方をよくよく考えたうえでその好悪取捨を定める。そのようにしたなら、いつも失敗することはない。一体人々の悪いことは〔何事につけても〕一方にかたよってそれを損傷することである。好ましいことを見たなら〔それに偏して〕憎むべきものを考えず、利益のあることを見たなら害あることをかえりみない。そのために動作は必ず失敗、仕事は必ず恥をこうむる。これはかたよって損傷することの害である。【巻第二 栄辱篇第四・十三】(50頁)

 ものごとの一つの側面が気になると、ついそちら側ばかりを見てしまう。それが執着心を生み出し、視野が自ずと狭くなってしまいがちだ。その結果として、客観視することができなくなってしまい、簡単な落とし穴にはまって失敗してしまう。荀子は、こうした一般的に起こりやすいことをイメージしやすく指摘した上で、ものごとの両面をバランスよく眺めることを主張しているのである。

 法というのは国家治平の端緒であるが、君子という者はその法の源泉である。従って君子がいれば法令は簡単でも万事よくゆきとどくが、君子がいなければ法令は完備していても施行の前後をとり違え自体の変遷に対応することもできなくて、国家を混乱させるに十分である。法令の意味精神を知らないで法令の条項だけを正しく守っている者は、たとい知識が該博でも実際の事件に対処して必ず混乱するものである。そこで明君は然るべき人物を求めることに努力するのであるが闇君は勢力を得ようと努力する。然るべき人物を求めることに努力すればわが身は安楽で国家もよく治まり功績は大きく名誉もすばらしく、うまくいけば王者、そうでなくとも覇者にはなれる。しかし然るべき人物を得ることにつとめないで勢力を得ようと努力していれば、わが身はつかれ国家は乱れ功績は亡んで恥辱をこうむりついには国運もきっと危うくなる。【巻第八 君道篇第十二・一】(252頁)

 国家を企業に、法を制度に、人物を社員に、それぞれ置き換えてみれば、現代の私たちにもイメージできるものであることが分かるだろう。制度の運用と改善だけに注力するのではなく、その背景や目的を理解し、場合によっては創出することに力を注ぐこと。さらに、そうした背景や目的を踏まえた上で、そこに合致した人材要件を導出して社員を採用・育成すること。こうした地道な努力の積み重ねによって、繁栄する企業を創り上げ、メンテナンスすることができるのであろう。

 他人に仕えてその満足を得られないのは勉励しないからである。勉励しているのに満足されないのは尊敬しないからである。尊敬しているのに満足されないのは忠節でないからである。忠節にしているのに満足されないのは功績がないからである。功績があるのになお満足されないのは徳がないからである。だから〔徳を養うことが根本で、〕徳を持たないもののやり方では、せっかくの勉励も功績も苦労もすっかり水泡に帰する。だから君子はそういうやり方はしないのである。【巻第九 臣道篇第十三・五】(291頁)

 会社に、上司に、他者に評価されない。そうした状況では愚痴を言いたくなることはあるだろうし、他者に責めを帰せるような物言いを私たちはしがちだ。しかし、どれほど努力しても、その源泉に徳がなければ他者から評価されない、とここでは断言されている。徳は一朝一夕で磨くことはできない。日頃の言動の積み重ねが徳を耕すことにつながり、そうしたプロセスを他者から見られることが翻って、他者からの評価に繋がるのかもしれない。