ページを捲りながら、うれしい気持ちで「やられた」と呟きたくなる感覚。共感と爽快感と少しの悔しさとが入り交じる心地よい感覚は、『はじめての課長の教科書』(『はじめての課長の教科書』(酒井穣、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2008年))を最初に読んだとき以来である。人材育成を担当される方々には改善・刷新を目的として、部下を持ったり後輩を指導する立場に立つ方々にとっては最初の導入を目的として、読者に応じて活用できるチェックリストだ。また、研修というと企業を想起し易いだろうが、学校や塾といった教育機関、公的機関、NPOといったあらゆる組織における教育を目的とした活動において、充分に適用可能だろう。
基本的にはノウハウ本でありながら、随所に読者を考えさせる深みを持たせている点には脱帽だ。「「アカデミックなサイエンス」を言わば「縦糸」として、そして「現場のアート(技術)」を「横糸」として、本書のテクストを編み上げていきたい」(5~6頁)という実践的研究者としての著者の為せる業であろう。
網羅的に内容を理解するためには、ぜひ本書を読み解いていただきたい。ここでは、研修企画、研修デザイン、研修講師選定、研修実施、という四つのプロセスにおいて、とりわけ印象的であった部分について、私の観点で咀嚼しながら以下に紹介する。
第一に、研修企画について見ていこう。人材育成とは、人事や経営の一部の機能を担うものであり、ために、人材育成施策は人事施策や経営施策とのアラインメントを取る必要がある。このような考え方は一見すると自明であるが、業務に携わっているとともすると見失いがちである。したがって、研修開発のプロフェッショナルとして著者が定義している以下の部分を、私たちは充分に肝に銘じる必要があるだろう。
研修開発のプロフェッショナルとは、「どんな問題でも、研修に落とし込むことのできる人」ではありません。むしろ、採用ー育成ー配置ー処遇等のさまざまなプロセスに目配りを持ち、「研修でこそ解決できるもの」を選択的に選び取り、研修に落とし込むこと、あるいは、研修と他の人材マネジメント施策とを組み合わせて解決できる人のことをいいます。(59頁)
育成という観点を俯瞰して、人事や経営視点を持つということは、経営のニーズと現場のニーズを統合させるということであろう。その上で、どの部分を育成施策として企画・実現させるのか、という発想が次に必要となる。このような発想のもとに、新しく求められている施策を企画することはたのしいことであるし、比較的行ない易いものである。一方で、既存の育成施策をどのように扱うのか。時にやめるという厳しい決断を下すこともまた、ニーズを把握した上での施策として重要であるとする著者の指摘は重たい。
ニーズを見定めるとは、「新しいニーズを追加すること」だけを意味するのではなく、「もうニーズが失われたものをやめること」も意味するということです。とかく研修開発には「惰性」があります。一度やり始めた研修は、どこかで見直さない限り、同じ内容で毎年繰り返されていくことになり、研修の数は延々と増え続けていってしまいます。(55頁)
人材育成担当者にとっては厳しい指摘であるとともに、本質を衝いた至言である。惰性が生じる最大の理由は、予算との関連であろう。本質的な解決を志向するためには、経営・人事上のニーズを見極め、その上での人材育成が担うべきニーズを合意し、必要なものを追加しながら、不要なものを除く勇気が求められる。
第二に、研修デザインについて。研修自体は特別な環境におけるアクティビティーであるため、職場への適用をどのように促すかがここでの肝になる。理解することと、行動できることとの間には「Knowing - Doing Gap」(85頁)と呼ばれる大きな差異が通常は存在する。ために、研修をデザインするためには行動目標を設定し、職場での行動を念頭に置いた設計にする必要があるだろう。著者が指摘するような「「ソリューション営業の知識について理解している」とは「行動目標」ではない」(83頁)という誤りを私たちは忙しい日常の中では犯しがちだ。では、行動目標を設定する際に留意するべきことは何か。
いくつかの課題に分割し、その分割された課題ごとに行動目標を立てるのです。最終的に目指したい行動をイメージし、その行動を達成するための学習者に獲得してほしいものを、ナレッジ(Knowledge)・プラクティス(Practice)・バリュー(Value)の3点で分割し、それぞれに行動目標を設定します。(83頁)
具体的な例示を見たい方は88頁にある具体例をご覧いただきたい。分かり易く、具体的に書かれているため、大いに参考になることだろう。ここで重要な点は、三つの観点に切り分けること自体にあるのではなく、三つの観点をもとに多角的に行動目標を設定するようにするということであろう。私たちはともすると、「○○ができない」というニーズに対して、「○○ができるようになること」というニーズの裏返しを行動目標として安易に設定しがちだ。しかし、それだけでは、知識が足りないからなのか、日々の活動に落とし込むのか、マインドセットや優先順位を変えるのか、が混在してしまう。様々な観点から求められる行動目標を設定してみることが、研修を現場に即したものにデザインする上では肝要なのである。
求められる行動を参加者ができるようになるためには、なにも参加者を個人として捉える必要はない。換言すれば、一人ひとりが新たな行動を行なえるようになり、不要な行動を減らすためには、学習者共同体という捉え方をすることが有効である。ともに学ぶ学習者という観点を用いることで、一人ひとりが変わるということではなく、全員で変わるという意識を持たせるのである。「学習というのは他者の中にある」(107頁)という学習研究の領域における考え方を用いることは、研修をより有益なものとしてデザインする上で参考となるだろう。
第三の研修講師選定については、社内で講師を新たに選定し、育成する際のポイントについて触れてみたい。著者は、教える経験があまりない人が陥りがちな三つの罠を指摘した上で、それぞれが実は同じ発想の誤りにあることを以下のように主張している。
「詰め込み」で「バラバラ」「一方向」この3つは独立なようでいて、実は、相互に密接に関連しています。最大の問題は、「限られた時間の中で、私はあなたに何を伝えなければならないのか?」この問いに対する答えが、見出し切れていないことです。(142頁)
学習内容を「詰め込み」過ぎてしまうことで、要素を整理しきれずに学習内容が「バラバラ」になってしまい、結果的に教える側から教わる側への「一方向」のコミュニケーションになってしまう。教育会社で行なわれるTTT(Train The Trainer)のコースを受けた方であれば、その初期に陥る三つの罠は苦い経験とともにイメージし易いだろう。著者も指摘しているように、研修の目的はなにか、モジュールにおけるポイントはなにか、スライドにおけるメインメッセージはなにか、というように要約することが重要だ。要約した状態で準備しておかなければ、現場における柔軟な対応ができず、急な変化に応じることができないのである。その結果、少しでも変化が起きた場合に、パニック状態に陥ってしまい、参加者の学びに貢献できなくなってしまう。
第四の研修実施については、とりわけ研修を終える際、つまりクロージングにおける工夫が興味深い。研修を終える際には、現場での職務へのアラインメントを取るために行動計画を立ててもらうことがよくある。その際には、アクションプランではなく、アクションストーリーを考えて記してもらうことが適しているという。
アクションプランは多くの場合「箇条書きの行動リスト」ですが、アクションストーリーは、「自らの行動とそれによる場の変革を具体的なストーリー」にして描きます。このように具体的な場や文脈を思い浮かばせることで、アクションの実効性を高めます。(300頁)
アクションプランでは、ある時点からの演繹的な落とし込みとなり、単線的にきれいな作文として書かれてしまいがちだ。それでは、周囲の同僚との関係性や業務との関連性が考慮されないために、実行されることなく、忘れ去られてしまう。そうではなく、ストーリーとして描くことによって、時間と空間の関連性に思いが至らざるを得なくなる。さらには、ストーリーとして用意することは、同僚や上司に対して伝えられる可能性が高まり、周囲の力を活かしながら実行へと繋げることも可能であろう。早速、取り入れたいポイントの一つである。
研修に関わるこうしたポイント以外にも、実務家を唸らせる細かなTIPSに満ちているのも本書の特徴である。
一般に、研修の実施/持続/中断を決めるステークホルダーが、研修の現場に居合わせることはありません。彼らに研修のイメージを持ってもらうためには、その研修場面が、どのような場であったのかをイメージしやすいように写真・動画を残しておくことが必要になります。(73頁)
研修を記録するのは文書やデータ分析だけではない。研修のイメージを残すという観点は、現場で対応しながら実施しているとつい逃しがちな点である。しかし、著者が指摘するように、研修実施を決定する各ステークホルダーはその場面に居合わせないことも多い。そうした人々にイメージを持ってもらうためには、文字情報やデータだけではなく、右脳への刺激を目的として画像や動画を残しておくこともまた重要である。
『「自分ごと」だと人は育つ』(博報堂大学編著、日本経済新聞出版社、2014年)
『組織内専門人材のキャリアと学習ー組織を越境する新しい人材像ー』(石山恒貴、日本生産性本部、2013年)
『経営学習論』(中原淳、東京大学出版会、2012年)
『成長する管理職』(松尾睦、東洋経済新報社、2013年)『知識労働者のキャリア発達 キャリア志向・自律的学習・組織間移動』(三輪卓己、中央経済社、2011年)