2014年3月16日日曜日

【第263回】『どうやって社員が会社を変えたのか』(柴田昌治・金井壽宏、日本経済新聞社、2013年)

 本書の元となっている『なぜ会社は変われないのか』を読んだのは学部生の頃であった。当時は「プロジェクトX」が流行っていたり、私自身が企業変革やコンサルティングに関する書籍を読むのが好きだったりして読んだように記憶している。柴田氏の書籍は、コンサルタントや企業トップが書くような書籍という印象よりも、「プロジェクトX」で社員発の企画がヒットするといった愚直な活動のプロセスを扱っているような印象を抱いた。

 本書では、以前は匿名化され、かつ他社の事例もミックスさせていたものが、いすゞ自動車という現実の社名が記載され、その中で奮闘する方々も実名で出ている。その事実に興味を抱いていたのと同時に、なぜ、いま実名化する必要があるのか、について強い関心と若干の疑問を持っていた。その疑問は、序章における金井氏の解説で納得させられた。

 今から二〇年余り舞え、一九九〇年当時のいすゞ自動車には、今という時代の日本に起こっている病理現象が、まさに時代を先取りする形で起こっていた。当時のいすゞをふり返れば、今では至る所で当たり前のように起こっている「経営と社員の一体感、つまりチームワークが決定的に失われる」という問題が、他の企業に先駆けて発生していたのだ。(35頁)

 当時のいすゞの問題は、現代の多くの日本企業の問題、というわけである。したがって、いすゞが抱えていた問題をどのように解決していったのか、というアプローチは、改めて現代の処方箋となり得るものなのである。では、いすゞのアプローチはどのようなものであったのか。

 改善・合理化としてのTQC全盛の時代に、日本の企業変革の歴史上、初めて「指示命令でやらせる改革」から「やらせない改革」への挑戦が始められた、ということだ。一九九〇年、いすゞ自動車を部隊に「改革の方法論自体の転換」の試みが展開されたのだ。(37頁)

 いすゞのアプローチの画期的な点は、トップが社員に「やらせる改革」から「やらせない改革」へのパラダイムシフトであったと金井氏は端的に指摘する。この点が本書の書名にもなっている「社員が会社を変え」るという部分の含意である。ウェルチがGEを、ガースナーがIBMを、そしてジョブズがAppleを、それぞれ変えたというように言われる。内実については詳らかではないが、私たちはとかく企業のトップが企業を変えたという文脈でのみ理解しがちである。しかし、そうした態様では、社員の創意による社員の手になる改革行動という点を無視しがちだ。本書は、社員発の改革、もしくは企業トップがやらせない改革について焦点を当てた希有な書籍であると言えるだろう。

 そのポイントとして、私がとりわけ興味深いと感じた三点について、以下から見ていくこととしたい。

 多くの人は不平不満を出し切るステップを踏んで当事者になっていくのだ。そのことを、私たちはいすゞでの経験を通じて改めて体感した。(66頁)

 共著者の一人である柴田氏の述懐である。何もないところから、改革というポジティヴなエネルギーが充満し、改革行動に繋がるのではない。こうした不平不満というネガティヴなエネルギーの鬱積を解放することで、「いつまでも不平不満ばかり言っていても意味がない。では、どうするか?」というポジティヴな案が出てくるのである。いわゆる「ガス抜き」としての食事や飲み会という設定も、このような出口まで含めたトータルな解決策としては機能するのである。

 改革を全社で一斉に始めるという発想は私にはありませんでした。そうするのではなく、開発部門で先行して始めることで、社内に温度差をつくっていこうとしたのです。 組織の一部で何か新たな動きが起こり、そこの人々が活気づき始めると、組織内に温度差ができます。そうすると、それ以外の場所の人々もざわざわしだし、自分たちも何かをやってみたいという気運が生じます。そこで少し背中を押してあげれば、その人たちも自ら動きを起こします。そのように改革の火種が飛び火して、組織全体にじわじわと広がって行く流れをつくっていこうとしたのです。(112頁)

 人事や人材育成という立場から改革を仕掛けていった北村氏の言葉である。全社一斉という発想は、上からのトップダウンでの改革というパラダイムにおけるものなのであろう。ボトムアップでの改革においては自発性を重視するのであるから、個が先行して動いていくことになる。そうした部門ごとの独自の動きにより生じる凸凹が、全く動いていなかったり動きの遅い他の部門に対して刺激を次第に与える、という仕掛けと覚悟とに唸らさせられる。

 100人委員会の特徴は、「出入り自由」ということです。あくまでも個人の自由意志を尊重し、加わるのも自由、やめるのも自由、メンバーはそれぞれ仕事の都合に合わせて参加していました。その意味では、公式の組織であるとはいえ、インフォーマル性がかなり強く、会社公認のインフォーマル活動だったと言うべきかもしれません。 したがって、100人委員会には事務局もなく、運営はそれぞれの委員会の自主性に任されていました。あるテーマについて100人委員会を開催したいと思った人たちがいれば、自ら世話人となり、企画をつくり、参加を呼びかけ、運営も行なっていたのです。(121~122頁)

 社員発ということは、当然、活動への参加不参加は自由であり、参加していてもその後やめたり休んだりということも自由である。さらに、こうしたインフォーマルな活動に対して、企業が金銭的にも人的にもサポートをしていたというフォーマルなアプローチの一部を取り入れていた点が興味深い。こうした動きは、北村氏をはじめとしたメンバーの根回しによる部分も大きいのであろうが、そうした動き自体を認める度量の効果は大きいだろう。付け加えれば、事務局という存在を置いてしまうと、どうしても事務局への依存が生じ、また事務局の負担が大きくなり運動が停滞しがちになる。したがって、こうした事務局という存在を持たなかったことも、本改革運動にポジティヴな結果をもたらした一因と言えるのではないだろうか。

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