2014年3月23日日曜日

【第266回】『川端康成 三島由紀夫 往復書簡』(川端康成・三島由紀夫、新潮社、1997年)

 師弟関係におけるやり取りというものには、緊張感もある一方で、どこかほほえましい一面がある。それが、川端と三島という偉大な二人の作家であれば、なおさら、その両者を感じる。

 芸術はやはり体験から生れるものではありますまいか、それは日常的生活体験より一段高次の体験であり、醸造作用を経て象徴化せられた体験です。いはゆる生の体験が「時」(精神的時間)の醸造作用によって象徴に変化します。醸造(陶〔ママ〕汰と選択と化学変化)は全く無意志的に本能的に行はれます。即ち芸術上の体験とは先験的なものによつて淘汰せられた特殊体験です。従つて芸術の形成に当つては、第一段階の特殊体験(一種の緩慢な霊感)に却つて超歴史的契機が潜在し、第二段階の無意思的醸造作用に、歴史的契機が伏在します。摸倣なるかにみえるものは、この歴史的契機の過剰に他なりません。即ち作家は摸倣を避けつつ本質的摸倣を容認するでせう。(20~21頁)

 学生時代の三島が、川端宛の書簡で当時の評論家への痛烈な批判を述べる上で、述べている芸術論である。まず、ここまで若々しく瑞々しいストレートな意見が書かれている点が非常に興味深い。また、ここでの歴史に関する著述は、後の『豊饒の海』の特に第一部(『豊饒の海(一)春の雪』(三島由紀夫、新潮社、1969年))での三島の論旨を彷彿とさせる。仏教の影響が非常に濃い同作品ではあるのであろうが、彼の歴史観および芸術観は、この頃から一つの形を為していたように思える。

 この夏ごろより仏教が面白くなり、いろいろ本を読みましたが、いよいよ面白くなりました。こんなに、インテリには哲学的たのしみを、民衆には恐怖と陶酔を、同時に与へてきたものはありませぬ。小説(近代小説)は一度でも、仏教の如き、さういふ両面作用を与へることに成功したか、甚だ疑問であります。何とか仏教にあやかりたいものだと思ひます。(152頁)

 一般化するのは拙いのかもしれないが、宗教の面白さはこうしたところにあるように思える。つまり、教養ある人間にとっては考察の対象や思索の手段として興味深いものであり、一般大衆にとっては恐れるべき存在であると同時にともすると固着する存在にもなる。小説全般がこうした文脈での宗教としての存在になれているかは怪しいと思うが、個別の小説はそうした存在になり得ているのではないだろうか。とりわけ三島が仏教の輪廻転生を題材にした『豊饒の海』はそうした存在の一つであると言えるだろう。

 ますますバカなことを言ふとお笑ひでせうが、小生が怖れるのは死ではなくて、死後の家族の名誉です。小生にもしものことがあつたら、早速そのことで世間は牙をむき出し、小生のアラをひろひ出し、不名誉でメチヤクチヤにしてしまふやうに思はれるのです。生きている自分が笑はれるのは平気ですが、死後、子供たちが笑はれるのは耐へられません。それを護つて下さるのは川端さんだけだと、今からひたすら便り〔ママ〕にさせていただいてをります。(184頁)

 この手紙を書いた約一年後に三島は自決を遂げる。私には三島が死を賭してまで貫きなかった思想を理解できないし、今後、理解することができる時が来るようには到底思えない。しかし、人間として、彼が死を怖れているのではなく、子供や家族が嘲笑されることを怖れているという部分には共感ができる。この一節を読むと、彼の死を理解できずとも、彼が死に趣く上での感情は理解できそうだと思えてくる。

 さらに、川端をノーベル賞に推薦する文書が非常に人間的で感動をおぼえる。三島の、川端に対する敬愛に溢れた文章の一部を最後に引用する。

I feel honoured to recommend him, who more than any other Japanese writer, is truly qualified for the Nobel Prize for Literature.(223頁)

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