2015年11月14日土曜日

【第514回】『心』(姜尚中、集英社、2013年)

 著者と学生とのメールのやり取りという形式で展開される物語。お互いが、真摯に自分の心情と対話し、丁寧に文章に紡ぎ出されていて、読んでいて清々しい心持ちがする。

 与次郎がなんで死んだのかわからないと思いはじめたら、与次郎がなんで生まれてきたのかもわからなくなりました。となると、僕がこの世に生まれてきて、こうして生きている意味もわからなくなりました。(18~19頁)

 与次郎君はただ無意味な死を迎えたわけではない。無意味な死ではなかったのですから、彼の人生も無意味ではなかったのです。彼は、絶望的な状況の中でその都度彼にしかできないやり方で人生が彼に課した問いに答えようとしたのです。(27頁)

 親友の死に戸惑い、その意味を問い続ける中で、自分自身の生についても疑問を持つ学生。若い時分には一つのことを考え続けると、次から次へと問いが生まれてきて、自問自答によって自分を苦しめるということがよくあるだろう。それに対して、著者は、限られた人生の中に意味があったと断言をする。生きる意味について、何らかのシンプルなメッセージで表すのではなく、自分で課した自分への問いに答え続けるプロセスとして捉えているところが考えさせられる。

 世界との関係を断ってはいけないけれども、また、自分の殻にこもってはいけないけれども、だからといって孤独を恐れてはいけない、と。キャラや自分が何であるかは、そうした孤独であることの中から初めて自分なりに発見されるものですから。(66頁)

 自分とはなにかという問いに対する著者の返信である。他者との関係性や、表面的な特徴ということではなく、孤独の中で自分の内側と向き合うことによって自分自身を知ることができるとしている。まじめに自分自身に向き合うことで近代的な自我を見出すというように捉えれば、著者の『悩む力』でも述べられた印象的な点とも繋がっている。

 君がやったことは生にとって意味のないことではけっしてありません。そんなはずがありません。そうではなく、君は人が「生きた」という人生の証をはっきりさせるための“ピリオド”を打つ仕事をしたのです。君は人の魂の“看取り”をする仕事に取り組んだのですよ。君がそれをやったからこそ、君が見つけた遺骸は単なる物体でなくなったのです。単なる死者でなくなったのです。生き生きとした、輝くような過去を持った永遠の人になったのです。
 君の取り組みを見て、わたしは改めて死は生の中にくるまれて存在していることを実感しました。死と隣り合わせ、死と表裏一体でつながっているからこそ、生は輝き、意味のあるものになる。そのことを改めて感じました。
 死の中に生が含まれている。
 生の中に死がくるみこまれている。
 それは矛盾ではありません。それが人間というものの尊厳を形成しているのです。(167頁)

 3・11後に、津波で流された方々の遺骸を海中から探し出すボランティアを行なってきた学生は、変わり果てた遺体と遭遇して探し出したことへの恨みの言葉を吐く遺族と接してショックを受ける。死を受け容れることの意義を見出せずに悩む若者に、著者は、死と生とが表裏一体であるという考え方を提示する。さらに、生と死とが相互依存関係にあることによって、そこから人間としての尊厳が形成されるという考え方が、趣き深い。


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