2015年11月1日日曜日

【第508回】『動的平衡』(福岡伸一、木楽舎、2009年)

 ここで私たちは改めて「生命とは何か?」という問いに答えることができる。「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」という回答である。
 そして、ここにはもう一つの重要な啓示がある。それは可変的でサスティナブルを特徴とする生命というシステムは、その物質的構造基盤、つまり構成分子そのものに依存しているのではなく、その流れがもたらす「効果」であるということだ。生命現象とは構造ではなく「効果」なのである。
 サスティナブルであることを考えるとき、これは多くのことを示唆してくれる。サスティナブルなものは常に動いている。その動きは「流れ」、もしくは環境との大循環の輪の中にある。サスティナブルは流れながらも、環境との間に一定の平衡状態を保っている。(中略)
 サスティナブルなものは、一見、不変のように見えて、実は常に動きながら平衡を保ち、かつわずかながら変化し続けている。その軌跡と運動のあり方を、ずっと後になって「進化」と呼べることに、私たちは気づくのだ。(232~233頁)

 動き続けることによって、自分という存在の身体や人格における安定を保つ。私たちの細胞が常に更新し続けて、少し前の身体的な自分と現在の自分とが全く異なるのであるから、動的に平衡を保つということは私たちの使命となる。見かけの上では、変っている様子が分からないためにイメージしづらいことを、著者は分かりやすく解説してくれている。

 人間の記憶とは、脳のどこかにビデオテープのようなものが古い順に並んでいるのではなく、「想起した瞬間に作り出されている何ものか」なのである。
 つまり過去とは現在のことであり、懐かしいものがあるとすれば、それは過去が懐かしいのではなく、今、懐かしいという状態にあるにすぎない。(中略)
 細胞の中身は、絶え間のない流転にさらされているわけだから、そこに記憶を物質的に保持しておくことは不可能である。それはこれまで見てきたとおりだ。ならば記憶はどこにあるのか。
 それはおそらく細胞の外側にある。正確にいえば、細胞と細胞とのあいだに。神経の細胞(ニューロン)はシナプスという連繋を作って互いに結合している。結合して神経回路を作っている。
 神経回路は、経験、条件づけ、学習、その他さまざまな刺激と応答の結果として形成される。回路のどこかに刺激が入ってくると、その回路に電気的・化学的な信号が伝わる。信号が繰り返し、回路を流れると、回路はその都度強化される。(36~37頁)

 記憶に関しても「動的平衡」はもちろん適用される。私のような、自然科学に疎い人間としては、記憶が頭の中のどこかに引き出しのように存在していて、それを探し出す作業を行っているように思ってしまうが、そうではない。細胞が入れ替わることを考えれば、新しい細胞同士を結合する作用こそが、記憶というメカニズムを解き明かす鍵となる。このような構造となっているからこそ、何かを記憶しようとするときに、私たちはそれを既存の知識と結びつけてエピソードとして関連づけることを行なうのである。

 自然界は渦巻きの意匠に溢れている。巻貝、蛇、蝶の口吻、植物のつる、水流、海潮、気流、台風の目。そして私たちが住むこの銀河系自体も大きな渦を形成している。
 私たちは人類の文化的遺産の多くに渦巻きの文様を見る。それは、人類史の中にあって、私たちの幾代もの祖先が渦巻きの意匠に不可思議さと興味、そして畏怖の念を持っていたからに違いない。
 渦巻きは、おそらく生命と自然の循環性をシンボライズする意匠そのものなのだ。
 そのように考えるとき、私たちが線形性から非線形性に回帰し、「流れ」の中に回帰していく存在であることを自覚せずにはいられない。(251頁)

 私たちは、仕事においてもプライベートにおいても、過去からの連続で物事を考えたり、目標から落とし込んで計画を立てるなど、線形的な思考の慣れ過ぎているのではないか。しかし、自然界や伝統的な文化といった過去からの遺産に目を向けると、そこには非線形性の叡智が溢れている。


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