2016年9月26日月曜日

【第625回】『銃・病原菌・鉄(上)』(J・ダイアモンド、倉骨彰訳、草思社、2012年)

 学部時代、生理学者であり、進化生物学者でもある生物地理学者の著者が著した本書を読んで、学際研究の素晴らしさに感銘を受けた。改めて紐解いてみて、研究する方の問いの立て方の鋭さに目が向いた。

 なぜ、ヨーロッパ人は、遺伝的に不利な立場にあったにもかかわらず、そして(現代では)知的発育にダメージをあたえうる悪影響のもとで育っているにもかかわらず、より多くの「Cargo(積み荷)」を手にするようになったのか。私がヨーロッパ人よりもずっと優れた知性を持っていると信じるニューギニア人は、なぜ、いまでも原始的な技術で生活しているのだろうか。(38頁)

 現地でのフィールドワークを続けてきた著者ならではの問いではないだろうか。ヨーロッパ人はヨーロッパ人の目線から、アメリカ人はアメリカ人の目線から、そして日本人は日本人の目線から、自分たちの文明・文化の優位性を論じがちだ。とりわけ、先進国と呼ばれる一部の国家の人々以外を対象にした際にそうした傾向は顕著になるだろう。意識的ではなく無意識の言説構造においてそうした態度が出てくるものである。

 しかし、客観的に事実を積み上げていった上で、比較劣位にあるかもしくはほとんど変わらないヨーロッパ人がニューギニア人よりも優位と呼ばれる文明を持っているという事実に著者は驚く。その原因を探りだすのが本書の目的だ。だからこそ、「歴史は、異なる人びとによって異なる経路をたどったが、それは、人びとのおかれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない」(45頁)という本書の要約は納得的である。こうした環境の際の一つが家畜である。

 家畜化できている動物はどれも似たものだが、家畜化できていない動物は何もそれぞれに家畜化できないものである。(289頁)

 トルストイを意識した美しい対比の文章において、家畜化に関する差異が文化にもたらした影響を表している。多大な考察を踏まえて、さらに踏み込んだ分析の結果として現れた病原菌というアクターに読者の対象は移る。上巻における段階での以下の結論部分に注目しながら、下巻へと興味を誘われる。

 病原菌が人類史上で果たした役割について考慮しながら、本書のはじめでとりあげたヤリの問いかけに答えると、どうなるのだろうか。非ヨーロッパ人を征服したヨーロッパ人が、より優れた武器を持っていたことは事実である。より進歩した技術や、より発達した政治機構を持っていたことも間違いない。しかし、このことだけでは、少数のヨーロッパ人が、圧倒的な数の先住民が暮らしていた南北アメリカ大陸やその他の地域に進出していき、彼らにとってかわった事実は説明できない。そのような結果になったのは、ヨーロッパ人が、家畜との長い親交から免疫を持つようになった病原菌を、とんでもない贈り物として、進出地域の先住民に渡したからだったのである。(394~395頁)


2016年9月25日日曜日

【第624回】『ざっくり分かるファイナンス』(石野雄一、光文社、2007年)

 経営層に近い人々と仕事で一緒になるケースが増えてきたからか、企業を数値で表す話題が増えてきた。学部でも大学院でも会計やファイナンスを学んできたため、どこかで「数字を扱うのは得意」という意識があった。

 しかし、そうした意識が、会計や財務を学び直す必要はないという頑なな態度につながってしまっていたことに、遅ればせながら気づいた。なんのことはない、パッと数字を見てみても、その含意が分からないのである。これはまずいと思い、しばらくは改めて初歩から学び直す機会にしようと思った。

 その第一弾が本書である。基本に忠実に、薄い新書から選んでみた。基礎から学ぶという観点ではベストな一冊であった。

 会計とファイナンスとの違いについて、端的に二つを挙げている。一つ目は、会計は「利益」を扱い、ファイナンスは「キャッシュ」を扱う(14頁)という対象の相違である。二つ目は、会計が企業の過去の業績を扱うのに対して、ファイナンスは企業が将来において生み出すキャッシュフローという未来の数字を扱う(17頁)という時間軸の相違である。細かな内容について学ぶ前に、こうした大枠での内容を説明してくれる書籍というものは、入門書として大変ありがたい。

 貸借対照表における借方と貸方を整理した図3(22頁)も、極めて初歩的な内容ではあるが、だからこそ改めて質問しづらい部分であり、重宝しそうだ。

資金の運用

【資産】
流動資産
固定資産
【負債】
流動負債
固定負債

資金の調達
【資本】
資本金
剰余金


2016年9月24日土曜日

【第623回】『ビジョナリーカンパニー』(J・C・コリンズ J・I・ポラス、山岡洋一訳、日経BP出版センター、1995年)

 学生時代、企業組織に興味を持った理由にはいくつかあるが、本書を読んだこともその一つの重要なものであった。その後も何度か読み、久しぶりに読み直してみて、改めてそこに書かれているメッセージに呻らさせられた。

 重要な問題は、企業が「正しい」基本理念や「好ましい」基本理念を持っているかどうかではなく、企業が、好ましいにせよ、好ましくないにせよ、基本理念を持っており、社員の指針となり、活力を与えているかどうかである。(115頁)

 多くの日本企業において理念浸透が課題となってから約十年は経過している。そうした取り組みの中では、正しい企業理念や価値観といった観点で参加者から疑問や質問が出ることが多いようだ。しかし、「正しい」や「好ましい」といった発想ではなく、なんであれそれが実際的に働く上での指針となっているかどうか、という軸こそが重要なのであろう。多少の自己流の解釈やアレンジを許容しながら、社員が理念や価値観に親近感がわき、自分事として捉えて日常の仕事の中に活かしている、という状態をいかに創り出すか。ゼロから何かを生み出すというよりも、日常業務をデザインするという発想が私たちに求められているのであろう。

 企業が意図を持つのは、とてもよいことだ。しかし、その意図を具体的な行動に移せるかどうか、アメとムチを組み合わせた仕組みをつくれるかどうかが、ビジョナリー・カンパニーになれるか、永遠になれないままで終わるのかの分かれ道になる。(143頁)

 ではどのように日常の業務に落としこむかとなると、理念の唱和といったレベルの話では済まない。理念を活かすために、制度やガイドラインといったしくみをいかに創り込むことが重要である。さらには、そうしたしくみを華々しく導入するだけではなく、トップからいかなるレベルの社員に至るまで、日頃の地道な行動を促すものになっていることも必要だ。そのような地道な活動も含めたデザインとメンテナンスを担うのは企業におけるサポート部門の役割となるだろう。ただし、そうした役割を担うという自負とともに、自制心を持って部門の事象は部門で対応できるようにサポート役に徹することもまた求められる。

 管理職の仕事のなかでは、部下に配慮することがもっとも重要な部分だ。……人事部門はどんな理由があっても、各部門の人事上の問題を扱ってはならない。まともな管理職になるためには、人事に対する責任を受け入れ、人事の問題を自分で処理しなければならない。(358頁)

 HPの人事部門におけるポリシーについて述べた箇所である。各企業によって程度の差はあるだろうが、人時部門が全ての人事事象を担うべきではないのは間違いないし、だからといって部門に全てを委ねるということも現実的ではない。どのように部門のニーズを捉えて、どのように部門の管理者のサポートを行い、どのように経営に対してフィードバックするか。人事部門に求められる役割を今一度考えさせられる。


2016年9月23日金曜日

【第622回】『木に学べ』(西岡常一、小学館、2003年)

 法隆寺および薬師寺の宮大工棟梁を務めてきた著者による語りおろし。伝統を守り、そして伝統から学ぶプロフェッショナルの至言に満ちた、示唆的な一冊である。法隆寺と薬師寺を改めて訪れてみたくなった。

 道具というものもそんなもんでっせ。機械やないんや。人間の体の一部だとおもって使わなくてはなりませんな。
 ノコギリはその代表的なもんです。
 使ったら、ていねいに目を立ててやって、木の柔らかい堅いに合わせて、目の立て方を変えてやるんです。
 鉄と木だってそうです。木にぴったり合う鉄を使ってこそ、いい道具と言えるんです。(50~51頁)

 道具とは手段であり、何かの目標を達成するために対象物を思いのままに形作ろうとして道具を用いると考えがちだ。しかし著者は、対象に合わせて道具の使い方を柔軟に変え、あたかも私たちの身体の一部と思って大事に扱うことを述べる。イチロー選手が、グラブやバットを丁寧に扱い、自分自身の身体感覚を拡張するかのように扱っていることを想起させられる。

 わたしと一緒に法隆寺で仕事をした大工は六〇人ほどおりましたが、宮大工で残ったのは、わたし一人だけでした。みんな気張ってやっているんですけど、学ぼうという心がないと、ただ仕事をするだけになってしまうんです。「仏を崇めず神を敬わざる者は、伽藍、社頭を口にすべからず」という口伝があり、神道というもの、仏法というものを理解せねば、宮大工の資格がないということですな。(185頁)

 働くということを思い返させられる。忙しい時には仕事に没頭し、目の間にある業務をいかに効率的に遂行し、顧客に対してより良い品質のものを提供できるかに集中する。そうした時には、そこから何かを学ぼうという意志が欠落しがちになってしまう。しかし、そうしてしまうと目の前の業務をただこなすだけになってしまい、そこに存在する価値や学びに気がつかなくなってしまう。忙しい時ほど、立ち止まって、その価値や背景や学びについて考えてみたいものだ。


2016年9月22日木曜日

【第621回】『一般意志2.0【2回目】』(東浩紀、講談社、2011年)

 日本人は「空気を読む」ことに長けている。そして情報技術の扱いにも長けている。それならば、わたしたちはもはや、自分たちに向かない熟議の理想を追い求めるのをやめて、むしろ「空気」を技術的に可視化し、合意形成の基礎に据えるような新しい民主主義を構想したほうがいいのではないか。(7頁)

 日本文化を称揚するばかりの書物にも辟易とするが、自らの文化を徒らに否定する言説構造も考えものだ。上記で描かれる著者の意思には、今の日本のリアリティを踏まえながら、清々しさを感じさせられる。

 特殊意志は方向をもっている。つまりベクトルである。しかし全体意志はスカラーの和にすぎない。(中略)ルソーは、一般意志を、そのような方向の差異をきちんと相殺した、別種の和として捉えようとした。「差異の和」とは、スカラーの和ではなくベクトルの和を意味するのだと理解すれば、ルソーの記述にはなにも曖昧で神秘的なところはない。(44~45頁)

 タイトルにもなっている一般意志について述べられた部分である。スカラーの和とは、つまりは多数決で現れる社会の意識である。他方、ベクトルの和とは、差異を顕在化させた上での総和を表したものであり、人々の意志の違いが大きな流れを生み出している。

 Googleにおける検索による社会的意識の顕在化では、記録されたものが集約されることによって効率化が進む。FacebookやTwitterといったソーシャルメディアでは、梅田望夫が喝破した「志向の共同体」が進み、意識しなければ価値が同一化された社会への閉じこもりが生じる。

 しかし、意識して自らをオープンにし、他者からのノイズを受け容れようとすれば、そうしたツールは私たちの社会をゆたかにすることも可能だろう。本書は、私たちに希望を与える書と言えるだろう。


2016年9月19日月曜日

【第620回】『定本 柄谷行人集 第2巻 隠喩としての建築』(柄谷行人、岩波書店、2004年)

 著者の書籍は難しいが、示唆的である。はっとさせられる言葉に出会った時の、心地よさを得られることができる。建築や言語にまつわる論評は読み手に様々なイメージを想起させる。

 建築は、イデアとしてのデザインが実現されたものだという考えほど、建築の実際からほど遠いものはない。それは、顧客との対話であり説得であり、他のスタッフとの共同作業なのだ。かりにデザインが最初にあったとしても、それは実現の過程で変えられていく。それは、ウィトゲンシュタインの言葉でいえば、やりながら規則を変えでっち上げていくようなゲームに似ている。(167頁)

 デザインという概念について考えさせられる。デザインとは、予め創作者が決めているものを形にしていくという文脈で語られることが多い概念である。しかし、ウィトゲンシュタインの言語ゲームを例示しながら、著者はそれを否定する。顧客や同僚といった多様な他者との相互交渉によって、デザインは磨き上げられるとしている。

 決まったものを粛々と形にするのではなく、ダイナミックに変化をたのしみながら形を作っていく。ジョブをデザインする際にも、キャリアをデザインする際にも、こうしたデザイン観で捉えていきたいものだ。


2016年9月18日日曜日

【第619回】『小説家の休暇』(三島由紀夫、新潮社、1982年)

 ものを書くことを職業とするプロフェッショナルが日記を書く場合、それは純然たる私的なものとなるのだろうか。私にはそうは思えない。どこかで他者の眼差しを意識したものになるのではないだろうか。他者を意識した日記であれば、それは芸術作品と呼ぶことができるだろう。それも一流の作家であれば、なおさらである。

 夏という観念は、二つの相反した観念へ私をみちびく。一つは生であり活力であり、健康であり、一つは頽廃であり、死である。そしてこの二つのものは奇妙な具合に結びつき、腐敗はきらびやかな心象をともない、活力は血みどろの傷の印象を惹き起す。戦後の一時期は正にそうであった。だから私には、一九四五年から四七、八年にかけて、いつも夏がつづいていたような錯覚がある。(8頁)

 学校の宿題以外で日記をつけたことがある人にはわかるだろうが、日記をつけるタイミングには何かがある。したがって、日記を書き始めた日の記述には、書き手の何らかの心的状況や想念が現れるのではないだろうか。上記引用は、著者の日記のはじめの日の前半部分である。夏という季節に対するイメージとして書かれたものは、彼の内面にある激烈な、そしてアンビバレントな感情を吐露しているようだ。生きることと、死ぬこと。決起によって熱く生きることを問いかけながら、それが受け入れられずに自死を選んだ彼の想念の萌芽が、ここに現れているというのは考えすぎであろうか。

 太宰のもっていた性格的欠陥は、少くともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった。生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない。(18頁)

 本作の中では何度か太宰批判が登場する。不勉強にも、そうした関係性を知らなかった身としては、この記述自体が面白い。美しい日本語を書き出す作者として、漱石と三島を好みながら、太宰もそれに準じて好んで読むのだが、その三島が太宰を嫌っているのだから、興味深いものだ。

 われわれはあと何十年かのあいだ、模索を重ねて生きるだろうが、とにかくわれわれは、断乎として相対主義に踏み止まらねばならぬ。宗教および政治における、唯一神教的命題を警戒せねばならぬ。幸福な狂信を戒めなければならぬ。現代の不可思議な特徴は、感受性よりも、むしろ理性のほうが、(誤った理性であろうが)、人を狂信へみちびきやすいことである。(116頁)

 日記の最後の記述である。なぜこのような考え方を持っていた人物が、あのような最期を遂げることになったのか。全くもって解せず、寂しい感じを持ってしまう。


2016年9月17日土曜日

【第618回】『文章読本』(三島由紀夫、中央公論新社、2004年)

 偉大な作家が、小説・評論・戯曲・翻訳などの日本語の文章について論じた本書。贅沢な解説に思わず唸らせられる。

 われわれが漢訳の外国語によって得たものは、概念の厳密さよりも、その概念を自由に使いこなす日本的な柔軟性をわれわれのものにしたというにすぎません。ここから概念の混乱が起り、日本人の思考の独特な観念的混乱が生じたのであります。(37頁)

 著者をして、日本語は厳密な概念定義に基づく言語ではないとしている。厳密さの代わりに、外国語を受け容れ、自分たちの文化に根ざしたものへと柔軟に取り込むということを私たちは行なえたのである。それが故に、概念的な混乱が生じたという側面もあるが、他者や他文化を受け容れるしなやかさを磨き上げてきたと捉えることも可能なのではないだろうか。

 結局、文章を味わうということは、長い言葉の伝統を味わうということになるのであります。そうして文章のあらゆる現代的な未来的な相貌のなかにも、言葉の深い由緒を探すことになるのであります。それによって文章を味わうことは、われわれの歴史を認識することになるのであります。(48頁)

 こうして、文章を味わうという行為は、ある言語の歴史、すなわち民族の歴史を味わうということと同じことを意味すると著者は述べる。新しい言葉は常に生み出されるが、それはこれまでの言語体系の中で生み出されるものであり、あまりにこれまでのものとかけ離れたものは廃れてしまう。過去から連綿と紡ぎ出されてきた言語を知ることは、その民族や国家の歴史を知ることと同じなのであろう。

 もしかりに「彼女は眼が二つあって鼻が一つあって、口が一つあった」という外貌描写があったとしたら、ユーモア小説でないかぎり、あなたは吹き出してしまうでしょう。そこで小説家のごく普通のやり方としては「彼女の眼は美しかった。鼻は形がよく、小鼻がすぼんでいるのが貧しそうな感じを与えたが、それがえも言われぬ清らかな、つつましさを感じさせた。小さめな口からは子供っぽい小さく並んだ形のよい健康な歯がのぞいていた」という具合に書きます。これを読む読者は彼女の顔がわかったような気になりますが、実は少しもわかっていないのであります。ためしにその顔を絵に描いてみたら、どんな顔になるか見当もつきません。大体、目の美しさなどというものは主観のちがいもあり、それをどう描写してみても描写しきれるものではありません。しかし小説の利点は前にも申しましたように、読者の想像力を刺戟していつも想像力の余地をのこして、その余地でもって作者の思うところへ引っぱって行こうという技巧なのであります。(133頁)

 上記の箇所を読んで、目から鱗が落ちる思いであった。たしかに、私たちが描く何らかの理想の姿というものは、私たち個人にとって主観的なものであり、人によって思い描くものは異なる。したがって、理想の姿であることを明示してしまえば、読者はそれぞれ、自分にとっての理想の姿を勝手に描き出してくれる。もし客観的な事実を多様な側面から描き出せば出すほど、読者は、自身の想像との違いによって離れていく。だからこそ、小説を映画化した際に、少なからぬファンが、「このような作品ではなかったはずだ」と幻滅し、否定的な意見を述べるのであろう。


2016年9月11日日曜日

【第617回】『昭和陸軍全史3 太平洋戦争』(川田稔、講談社、2015年)

 シリーズ最終巻では太平洋戦争に至る過程が扱われる。

 武藤らは、イギリスによる支援が、中国側の抗日姿勢を支える有力な要因になっていると判断していた。また、天津英仏租界封鎖にみられるように、華北経済はじめ中国経済の日本によるコントロールをイギリスが阻害してきていると考えられていた。したがって、イギリス勢力を中国本土から駆逐することが、この時点での武藤らの重要な課題の一つだった。
 さらに、天津英仏租界封鎖問題でアメリカが日米通商航海条約破棄に踏み切ったことなどから、対英関係が対米関係に連動することを武藤らが警戒していたことがわかる。(33頁)

 武藤らは、六月中旬の時点では、欧州戦争不介入方針を前提に、欧州情勢に距離を置き、いわば一種のフリーハンドを維持しようとしていたといえる。それが、ここでは、はっきりと独伊にコミットし、対ソ関係の積極的安定化を図ろうとしているのである。明らかに英領植民地および蘭印への攻撃を念頭に置いた、南進のための布石だった。
 大英帝国の崩壊を好機に、南方の英領植民地さらに蘭印を一挙に包摂し、自給自足的「協同経済圏」建設に踏み出す。そのために、イギリス本土を攻略するドイツと密接な関係を結び相互了解をえるとともに、北方対ソ関係の安定を確保しようとしていたのである。日中戦争の解決もこのような戦略方向のなかに位置付けられていた。(42頁)

 「大東亜協同経済圏」は、「大東亜生存圏」と言い換えられているが、これは後に「大東亜共栄圏」となっていく。また、自給自足経済体制の建設に向けて、南方への関心の必要性を強調しており、それが国防国家体制の確立に必須のものと位置づけられている。さらに、日本が独伊とともに現状打破国とされ、米英など現状維持国と、東西において対立いする状態になっているとの見方を示している。(45頁)

 日中戦争に突入した直後における、武藤を中心とした陸軍の考え方についていくつか引用した。ポイントは、(1)日中戦争を早期に終えて中国の資源を確保すること、(2)対中国の戦争を有利に展開するためにはイギリスによる阻害を防ぐことが必要であること、(3)しかしイギリスとの関係を悪くすることはアメリカとの関係を悪くすることにつながるリスクがあること、(4)日本が直接イギリスと戦うのではなくイギリスと戦うドイツを支援するために同盟を検討すること、(5)イギリスの軍隊をヨーロッパに引きつけておくことで東南アジアをも資源供給地にしようとしていること、(6)資源供給地としての中国から東南アジアへ至る地域が大東亜共栄圏という美辞麗句の意味合いとして成立したこと、といったところであろうか。

 この段階においては、武藤も田中も共通して、アメリカとの対立を起こさないように外交交渉の道を是としている。しかし、武藤がアメリカとの戦争回避に傾注したのに対して、田中は一時的な戦争回避であり最終的にはアメリカとの戦争は不可避であるとしていた点が異なる。日独伊による三国同盟締結、ドイツによる欧州での戦争の開始と進展、日ソ中立条約の締結、に至るまではぎりぎりのバランスを保っていた状態が、ドイツがソ連との開戦に至ってついに破綻を来たす。同盟国であるドイツがソ連と戦闘状態に至った以上、日本にとって中国の後ろに控える北方の安全性を担保していたソ連との中立状態は保証を失った。北方へ備えるためには、南方へ展開できる勢力は制限され、資源を十分に確保できなくなった。さらには、ドイツと対立するイギリスを支援するために、同じくドイツと対立するソ連に対しても援助を行うアメリカは、ドイツと同盟を組む日本に対して石油禁輸へと踏み切る。その結果、ギリギリのラインでの交渉を行っていた日本側としては、国力の差があまりにあるアメリカを相手にした乾坤一擲の戦いへと向かわさせられる。その最後のだめ押しの一手が、中国での権益をアメリカから全否定されるハルノートであり、それは外交交渉を終える最後通牒となってしまった。

 中国からの全面撤兵とそれにともなう特殊利権(資源開発権など)の放棄は、これら永田以来の営為の結果が、全て無に帰することを意味した。自らも所属していた一夕会結成以来の昭和陸軍の長い努力が、全く無意味なものとなってしまうのである。(360頁)

 ある時点における最適解を導くのではなく、それ以前に費消したコスト、つまりはサンクコストを考慮に入れることが戦争の怖さなのではないか。というのも、ここでのコストとは、同じ「国民」の生命がかかっているものであり、その亡くなった生命は、自分のものであってもおかしくはなかったという同胞意識にもあるのである。近代国民国家の形成以降における国民の戦争という事象は、永田や武藤が提唱した総力戦を、否応なしに導くものなのかもしれない。このように考えれば、綺麗事のスローガンとしてではなく、いかなる意味での戦争にも正義は存在せず、お互いを文字通り現在だけでなく将来にわたって傷つける愚かな行為に過ぎないのではないだろうか。


2016年9月10日土曜日

【第616回】『U理論(2回目)』(C・オットー・シャーマー、中土井僚・由佐実加子訳、英治出版、2010年)

 組織開発(OD)を学んでいなかった四年前にはじめて本書を読んだ。その状態でも興味深く読めた部分もあったが、腑に落ちない、というよりイメージできない部分もまた多かった。

 その後、縁があって、本書の訳者でもある方をはじめとしたODのプロフェッショナルの方々と仕事をする機会をいただいた。今から振り返ると、贅沢な時間であり、学びが深いプロジェクトであった。リーダーシップ・ディベロップメントと管理職研修においてU理論の要素を取り入れるべく、内容を一緒に企画させていただき、共同でファシリテーションを行った。準備段階でのやり取りや、ファシリテーションの中で参加者の方々も交えたやり取りからフィードバックを得ることは多く、何より、たのしかった。

 HRBPとして働く中ではU理論の世界観を直接的に活用する場面は皆無であった。しかし、一度離れてみたことが良かったのか、いま新たにU理論を活用したいと思える複数のプロジェクトで遭遇している。

 やや前置きが長くなったが、こうした経緯で、四年ぶりに本書を紐解くこととなった。一度どっぷりと経験したために、以前とは読んで印象を受ける部分が全く異なっていた。自分(たち)の活動を振り返りながら、今後に活かしたいと思った大事な部分をまとめていく。

 私にとって最も重要なポイントは、四つの「会話」の領域がまとめられた部分である。305頁にある図15ー3を一部加筆・修正した以下を参照いただきたい。

意識の領域構造
領域
特徴
(1)私の中の私 1.ダウンローディング 「相手が受け容れ易いこと」に基づいて話す
礼儀正しい決まり文句、空疎な言い回し
自閉的システム(自分の考えていることを言わない)
(2)それの中の私 2.討論 「自分が考えていること」に基づいて話す
互いに異なる考え方:私には私の考え方がある
適応的システム(自分の考えを言う)
(3)あなたの中の私 3.対話 「全体の一部としての自分自身を観る」から話す
防衛反応から異なる意見の探究へ
自己内省システム(自分で内省する)
(4)今の中の私 4.プレゼンシング 「自分と他者の境界を超えて流れているもの」から話す
静寂、集合的創造性、流れ
生成的システム(アイデンティティの転換:真正の自己)

 第一のレベルでは、私たちが問題として捉えているものを、他人事として話す。問題を困ったこととして半ば自嘲的に話すことで、他者と表面的な共感を覚えながら快適に話すことができる。

 問題を明確にした上で、問題に対して主体的に取り組もうと主張するのが第二のレベルの会話である。それぞれが自己の主張をするのであるから、異なる主張が多々出てくることになる。必ずしも対立し合う主張にはならず、多様な主張を理解し合うという場面にもなり得るだろう。

 私たちの日常的なビジネス場面においては第一のレベルと第二のレベルに留まることがほとんどである。両者に共通するのは、問題と自分自身を切り分けているということである。つまり、問題だけを話すのが第一レベルであり、問題と自己とを分けてどう関わるかを話すのが第二レベルであり、問題と自己とを切り分けるという意味では同じである。もちろん、第二のレベルで解決できる場面もあり、いわゆる論理的思考に基づく問題解決が有効なケースもあるだろう。しかし、問題が多様な要素によって構成され、その要素が変化する現代社会においては、予定調和を前提とした静的な問題解決で対応できる場面は限られ、その領域は狭くなっているのではないか。こうした状況に対処するためには、第三のレベル以下に深掘りをすることが重要となってくる。

 第三のレベルでは、問題と自分とが一体であり、問題を生み出し構成する自分自身という立ち位置を取る。問題を生み出している自分ということは一見すると認めづらい考え方であろう。しかし、問題を構成しているのが自分であると納得すれば、自分自身のあり方を変えることで、問題のあり方を変えることができるというパラダイムへと変わることができる。塩野七生が『ローマ人の物語』のトロイ戦役で述べたように、システムは外からの攻撃に対して強い一方で、内側からの攻撃には脆いものである。つまり、自分が問題を構成する一つの要素であれば、その問題を自分が中から他の要素と連携しながら変えていくことができるのである。

 こうして問題と自分とが一体であると捉えた時に、自分とは一体なにものなのかという問いが生じてくる。この状態に至ると、過去から積み上げてきた自分と、将来において生じ得る自分自身の多様な可能性という二つから、自分自身が生成するというプレゼンシングに繋がる。この考え方は、以下の部分に目を通していただければ、より理解いただけるだろう。

 我々はみな、一つではなく二つである。個人やコミュニティはそれぞれ一つではなく二つである。一方では、我々は過去から現在への旅を通してできあがった個人やコミュニティ、つまり現在の自己である。他方では、別の私が存在する。眠っている自己、つまり、これからの旅を通して生み出され、命を与えられ、現実になるのを我々の中で待っている自己がある。プレゼンシングはこの二つの自己を結合するプロセスである。未来から我々の真の自己へ近づいていくことだ。(248頁)

 現時点でも、当然ではあるが、この豊かな内容を包含する書籍を全て理解し切ったとは考えていない。近い将来における様々な取り組みを経て、再び読み直した時に私が何を感じるのかに、興味がある。


2016年9月4日日曜日

【第615回】『昭和陸軍全史2 日中戦争』(川田稔、講談社、2014年)

 永田と石原の対外観の相違による対立。永田の暗殺後は、永田を引き継いだ武藤とその上官であった石原の対立となり、石原が政争に敗れた後は田中と武藤との対立へと至る。初期の頃に対外観という考え方があった対立軸が、次第に内部政治の対立へと陥ることは、日本を誰も決めない泥沼の戦争へと貶めることとなる。

 まずは、永田および武藤と石原との対立軸を改めて整理してみよう。少し長いが、永田から武藤に至る系譜を引用する。

 永田の遭難直前、永田ら陸軍中央は、関東軍など現地軍に対して、華北五省を国民政府(南京)から分離させる工作(華北分離工作)を指示した。華北の勢力圏化を目ざすもので、当地の軍需資源獲得のためだった。
 そもそも永田は、次期世界大戦は不可避であり、日本も否応なくそれに巻き込まれると判断していた。その場合、戦争は必ず国家総力戦となり、それに対応するには国家総動員と、戦時自給自足のための不足軍需資源確保が必須だと考えていた。永田は、その不足資源を中国大陸(満州・華北など)に求めようとしていたのである。それが永田にとっての満州事変であり、華北分離工作だった。
 武藤もまた同様に考えていた。華北分離工作方針は、永田軍務局長の指示で武藤自身が起案したものであり、武藤にとっては永田の意志でもあった。(12~13頁)

 前巻で扱ったように、永田は国家総動員を前提にして世界大戦へ参戦することが不可避であるという考え方であった。さらに、世界大戦はドイツを中心に近い将来において起きるものと考えており、そこに至るまでに時間的な猶予がそれほどないと考えていた。こうした考え方を否定したのが石原である。

 その華北分離工作を、石原は独自の判断から中止させていた。石原は、極東ソ連軍の増強に強い危機感をもっており、対ソ戦備充実を最優先課題とする観点から中国との紛争を避けようとしていたからである。
 そもそも石原は、二〇世紀後半期に日米間で世界最終戦争がおこなわれることになるとの強い信念をもっていた。そして、その世界最終戦争に向けて日本はアジア全体の指導権を掌握する必要があり、そのためには、まず中国に対する政治的指導権を確立しなければならないと考えていた。その足がかりとして、満蒙の完全な政治的掌握を必須とするとの判断から、満州事変に着手したのである。
 その後、参謀本部作戦課長となった石原は、極東ソ連軍の大幅な増強と、それによる大陸での日ソ軍事バランスの崩壊に直面し、自らの戦略プランの再考を迫られる。そして、対ソ軍備強化のための生産力拡充の観点から、少なくとも五年間の絶対不戦方針を打ち出した。また、対ソ警戒感から背後の安全確保を重視し、対中紛争を回避すべく、華北の勢力圏化の中止、対中不介入の姿勢となった。(13頁)

 満州事変に至るまで、永田と石原とが中枢と現地とで同じ想いで動けたことがよくわかるだろう。満州事変に対する考え方は両者で相違がほとんどない。しかし、それが必要となる理由付けが全く異なる。その差異が、満州事変の後に、永田から武藤へ、石原から田中へと引き継がれていくこととなった。さらには、そうした対立構造だけに焦点が向けられるようになり、思想の対立は政治的対立へと変化するのだから、組織というものは恐ろしい。読んでいて暗澹とする物語であるが、私たちがかつて歩んだ歴史的事実に基づいた著述であり、学ぶべき題材である。


2016年9月3日土曜日

【第614回】『中空構造日本の深層』(河合隼雄、中央公論新社、1999年)

 学部時代に読んで感銘を受けた本書。改めて、日本における権力構造の有り様を示唆的に論じる好著であると感じた。

 ユングの特徴は現在の一部の人たちのように、西洋の代りに東洋を、科学の知の代りに神話の知を中心に据えようとしたりはしないことである。彼はむしろ、今まで明らかにしてきたような種々の対称性を認め、それらの間の均衡をこそ大切とするのである。一見対立するかのように見える二つのものが、むしろ相補的にはたらいて均衡を保ち、そこにひとつの全体性が存在することをよしとしたのである。(24頁)

 ユングのこの考え方には納得できる部分が大きい。西洋と東洋とを二項対立で捉えるのではなく、相補関係として捉えることによって、部分の差異ではなく全体を意識することができるようになる。こうした対立構造から逃れた関係性を、二者間から三者間に広げることで、真ん中の存在に考察を進める。

 それぞれの三神は日本神話体系のなかで画期的な時点に出現しており、その中心に無為の神をもつという、一貫した構造をもっていることが解る(中略)。これを筆者は『古事記』神話における中空性と呼び、日本神話の構造の最も基本的事実であると考えるのである。日本神話の中心は、空であり無である。このことは、それ以後発展してきた日本人の思想、宗教、社会構造などのプロトタイプとなっていると考えられる。(40~41頁)

 『古事記』における三神の組み合わせをもとに、一番上と一番下が注目を集める一方で、ほとんど注目を集めない真ん中の神という存在に焦点を当てる。日本社会においては、こうした真ん中にいる存在に権力がなく、注目を浴びないという特徴があると著者はする。

 中心が空であることは、善悪、正邪の判断を相対化する。統合を行うためには、統合に必要な原理や力を必要とし、絶対化された中心は、相容れぬものを周辺部に追いやってしまうのである。空を中心とするとき、統合するものを決定すべき、決定的な戦いを避けることができる。それは対立するものの共存を許すモデルである。(47~48頁)

 中心が空である構造においては、どのような存在でも受容することができることが可能となる。その結果、善悪や正邪といった客観的な判断をせずに、対象をそのまま把捉し、全存在を受け入れることが可能となる。

 日本の天皇制をこのような存在として見ると、その在り方を、日本人の心性と結びつけてよく理解することができるように思う。歴史をふりかえってみると、天皇は第一人者であはあるが、権力者ではない、という不思議な在り様が、日本全体の平和の維持にうまく作用してきていることが認められるのである。天皇は中心に存在するものとして、権力者であるように錯覚されたり、権力者であるべきだと考えられたりしたこともあるが、それは多くの場合、日本の平和を乱すか、乱れた平和を回復するための止むを得ざる措置としてとられたことが多い。(68~69頁)

 中空の政治システムの象徴的存在が天皇である。そうした意味では、象徴天皇制というのは日本の歴史的風土に合った優れた政治システムなのではないかとも思えてくるが、いかがなものであろうか。