学部時代に読んで感銘を受けた本書。改めて、日本における権力構造の有り様を示唆的に論じる好著であると感じた。
ユングの特徴は現在の一部の人たちのように、西洋の代りに東洋を、科学の知の代りに神話の知を中心に据えようとしたりはしないことである。彼はむしろ、今まで明らかにしてきたような種々の対称性を認め、それらの間の均衡をこそ大切とするのである。一見対立するかのように見える二つのものが、むしろ相補的にはたらいて均衡を保ち、そこにひとつの全体性が存在することをよしとしたのである。(24頁)
ユングのこの考え方には納得できる部分が大きい。西洋と東洋とを二項対立で捉えるのではなく、相補関係として捉えることによって、部分の差異ではなく全体を意識することができるようになる。こうした対立構造から逃れた関係性を、二者間から三者間に広げることで、真ん中の存在に考察を進める。
それぞれの三神は日本神話体系のなかで画期的な時点に出現しており、その中心に無為の神をもつという、一貫した構造をもっていることが解る(中略)。これを筆者は『古事記』神話における中空性と呼び、日本神話の構造の最も基本的事実であると考えるのである。日本神話の中心は、空であり無である。このことは、それ以後発展してきた日本人の思想、宗教、社会構造などのプロトタイプとなっていると考えられる。(40~41頁)
『古事記』における三神の組み合わせをもとに、一番上と一番下が注目を集める一方で、ほとんど注目を集めない真ん中の神という存在に焦点を当てる。日本社会においては、こうした真ん中にいる存在に権力がなく、注目を浴びないという特徴があると著者はする。
中心が空であることは、善悪、正邪の判断を相対化する。統合を行うためには、統合に必要な原理や力を必要とし、絶対化された中心は、相容れぬものを周辺部に追いやってしまうのである。空を中心とするとき、統合するものを決定すべき、決定的な戦いを避けることができる。それは対立するものの共存を許すモデルである。(47~48頁)
中心が空である構造においては、どのような存在でも受容することができることが可能となる。その結果、善悪や正邪といった客観的な判断をせずに、対象をそのまま把捉し、全存在を受け入れることが可能となる。
日本の天皇制をこのような存在として見ると、その在り方を、日本人の心性と結びつけてよく理解することができるように思う。歴史をふりかえってみると、天皇は第一人者であはあるが、権力者ではない、という不思議な在り様が、日本全体の平和の維持にうまく作用してきていることが認められるのである。天皇は中心に存在するものとして、権力者であるように錯覚されたり、権力者であるべきだと考えられたりしたこともあるが、それは多くの場合、日本の平和を乱すか、乱れた平和を回復するための止むを得ざる措置としてとられたことが多い。(68~69頁)
中空の政治システムの象徴的存在が天皇である。そうした意味では、象徴天皇制というのは日本の歴史的風土に合った優れた政治システムなのではないかとも思えてくるが、いかがなものであろうか。
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