2016年9月22日木曜日

【第621回】『一般意志2.0【2回目】』(東浩紀、講談社、2011年)

 日本人は「空気を読む」ことに長けている。そして情報技術の扱いにも長けている。それならば、わたしたちはもはや、自分たちに向かない熟議の理想を追い求めるのをやめて、むしろ「空気」を技術的に可視化し、合意形成の基礎に据えるような新しい民主主義を構想したほうがいいのではないか。(7頁)

 日本文化を称揚するばかりの書物にも辟易とするが、自らの文化を徒らに否定する言説構造も考えものだ。上記で描かれる著者の意思には、今の日本のリアリティを踏まえながら、清々しさを感じさせられる。

 特殊意志は方向をもっている。つまりベクトルである。しかし全体意志はスカラーの和にすぎない。(中略)ルソーは、一般意志を、そのような方向の差異をきちんと相殺した、別種の和として捉えようとした。「差異の和」とは、スカラーの和ではなくベクトルの和を意味するのだと理解すれば、ルソーの記述にはなにも曖昧で神秘的なところはない。(44~45頁)

 タイトルにもなっている一般意志について述べられた部分である。スカラーの和とは、つまりは多数決で現れる社会の意識である。他方、ベクトルの和とは、差異を顕在化させた上での総和を表したものであり、人々の意志の違いが大きな流れを生み出している。

 Googleにおける検索による社会的意識の顕在化では、記録されたものが集約されることによって効率化が進む。FacebookやTwitterといったソーシャルメディアでは、梅田望夫が喝破した「志向の共同体」が進み、意識しなければ価値が同一化された社会への閉じこもりが生じる。

 しかし、意識して自らをオープンにし、他者からのノイズを受け容れようとすれば、そうしたツールは私たちの社会をゆたかにすることも可能だろう。本書は、私たちに希望を与える書と言えるだろう。


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