2016年9月11日日曜日

【第617回】『昭和陸軍全史3 太平洋戦争』(川田稔、講談社、2015年)

 シリーズ最終巻では太平洋戦争に至る過程が扱われる。

 武藤らは、イギリスによる支援が、中国側の抗日姿勢を支える有力な要因になっていると判断していた。また、天津英仏租界封鎖にみられるように、華北経済はじめ中国経済の日本によるコントロールをイギリスが阻害してきていると考えられていた。したがって、イギリス勢力を中国本土から駆逐することが、この時点での武藤らの重要な課題の一つだった。
 さらに、天津英仏租界封鎖問題でアメリカが日米通商航海条約破棄に踏み切ったことなどから、対英関係が対米関係に連動することを武藤らが警戒していたことがわかる。(33頁)

 武藤らは、六月中旬の時点では、欧州戦争不介入方針を前提に、欧州情勢に距離を置き、いわば一種のフリーハンドを維持しようとしていたといえる。それが、ここでは、はっきりと独伊にコミットし、対ソ関係の積極的安定化を図ろうとしているのである。明らかに英領植民地および蘭印への攻撃を念頭に置いた、南進のための布石だった。
 大英帝国の崩壊を好機に、南方の英領植民地さらに蘭印を一挙に包摂し、自給自足的「協同経済圏」建設に踏み出す。そのために、イギリス本土を攻略するドイツと密接な関係を結び相互了解をえるとともに、北方対ソ関係の安定を確保しようとしていたのである。日中戦争の解決もこのような戦略方向のなかに位置付けられていた。(42頁)

 「大東亜協同経済圏」は、「大東亜生存圏」と言い換えられているが、これは後に「大東亜共栄圏」となっていく。また、自給自足経済体制の建設に向けて、南方への関心の必要性を強調しており、それが国防国家体制の確立に必須のものと位置づけられている。さらに、日本が独伊とともに現状打破国とされ、米英など現状維持国と、東西において対立いする状態になっているとの見方を示している。(45頁)

 日中戦争に突入した直後における、武藤を中心とした陸軍の考え方についていくつか引用した。ポイントは、(1)日中戦争を早期に終えて中国の資源を確保すること、(2)対中国の戦争を有利に展開するためにはイギリスによる阻害を防ぐことが必要であること、(3)しかしイギリスとの関係を悪くすることはアメリカとの関係を悪くすることにつながるリスクがあること、(4)日本が直接イギリスと戦うのではなくイギリスと戦うドイツを支援するために同盟を検討すること、(5)イギリスの軍隊をヨーロッパに引きつけておくことで東南アジアをも資源供給地にしようとしていること、(6)資源供給地としての中国から東南アジアへ至る地域が大東亜共栄圏という美辞麗句の意味合いとして成立したこと、といったところであろうか。

 この段階においては、武藤も田中も共通して、アメリカとの対立を起こさないように外交交渉の道を是としている。しかし、武藤がアメリカとの戦争回避に傾注したのに対して、田中は一時的な戦争回避であり最終的にはアメリカとの戦争は不可避であるとしていた点が異なる。日独伊による三国同盟締結、ドイツによる欧州での戦争の開始と進展、日ソ中立条約の締結、に至るまではぎりぎりのバランスを保っていた状態が、ドイツがソ連との開戦に至ってついに破綻を来たす。同盟国であるドイツがソ連と戦闘状態に至った以上、日本にとって中国の後ろに控える北方の安全性を担保していたソ連との中立状態は保証を失った。北方へ備えるためには、南方へ展開できる勢力は制限され、資源を十分に確保できなくなった。さらには、ドイツと対立するイギリスを支援するために、同じくドイツと対立するソ連に対しても援助を行うアメリカは、ドイツと同盟を組む日本に対して石油禁輸へと踏み切る。その結果、ギリギリのラインでの交渉を行っていた日本側としては、国力の差があまりにあるアメリカを相手にした乾坤一擲の戦いへと向かわさせられる。その最後のだめ押しの一手が、中国での権益をアメリカから全否定されるハルノートであり、それは外交交渉を終える最後通牒となってしまった。

 中国からの全面撤兵とそれにともなう特殊利権(資源開発権など)の放棄は、これら永田以来の営為の結果が、全て無に帰することを意味した。自らも所属していた一夕会結成以来の昭和陸軍の長い努力が、全く無意味なものとなってしまうのである。(360頁)

 ある時点における最適解を導くのではなく、それ以前に費消したコスト、つまりはサンクコストを考慮に入れることが戦争の怖さなのではないか。というのも、ここでのコストとは、同じ「国民」の生命がかかっているものであり、その亡くなった生命は、自分のものであってもおかしくはなかったという同胞意識にもあるのである。近代国民国家の形成以降における国民の戦争という事象は、永田や武藤が提唱した総力戦を、否応なしに導くものなのかもしれない。このように考えれば、綺麗事のスローガンとしてではなく、いかなる意味での戦争にも正義は存在せず、お互いを文字通り現在だけでなく将来にわたって傷つける愚かな行為に過ぎないのではないだろうか。


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