2016年9月23日金曜日

【第622回】『木に学べ』(西岡常一、小学館、2003年)

 法隆寺および薬師寺の宮大工棟梁を務めてきた著者による語りおろし。伝統を守り、そして伝統から学ぶプロフェッショナルの至言に満ちた、示唆的な一冊である。法隆寺と薬師寺を改めて訪れてみたくなった。

 道具というものもそんなもんでっせ。機械やないんや。人間の体の一部だとおもって使わなくてはなりませんな。
 ノコギリはその代表的なもんです。
 使ったら、ていねいに目を立ててやって、木の柔らかい堅いに合わせて、目の立て方を変えてやるんです。
 鉄と木だってそうです。木にぴったり合う鉄を使ってこそ、いい道具と言えるんです。(50~51頁)

 道具とは手段であり、何かの目標を達成するために対象物を思いのままに形作ろうとして道具を用いると考えがちだ。しかし著者は、対象に合わせて道具の使い方を柔軟に変え、あたかも私たちの身体の一部と思って大事に扱うことを述べる。イチロー選手が、グラブやバットを丁寧に扱い、自分自身の身体感覚を拡張するかのように扱っていることを想起させられる。

 わたしと一緒に法隆寺で仕事をした大工は六〇人ほどおりましたが、宮大工で残ったのは、わたし一人だけでした。みんな気張ってやっているんですけど、学ぼうという心がないと、ただ仕事をするだけになってしまうんです。「仏を崇めず神を敬わざる者は、伽藍、社頭を口にすべからず」という口伝があり、神道というもの、仏法というものを理解せねば、宮大工の資格がないということですな。(185頁)

 働くということを思い返させられる。忙しい時には仕事に没頭し、目の間にある業務をいかに効率的に遂行し、顧客に対してより良い品質のものを提供できるかに集中する。そうした時には、そこから何かを学ぼうという意志が欠落しがちになってしまう。しかし、そうしてしまうと目の前の業務をただこなすだけになってしまい、そこに存在する価値や学びに気がつかなくなってしまう。忙しい時ほど、立ち止まって、その価値や背景や学びについて考えてみたいものだ。


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