2017年5月21日日曜日

【第711回】『「仕事を通じた学び方」を学ぶ本』(田村圭、ロークワットパブリッシング、2017年)

 仕事を通じて学ぶ。

 おそらく、何らかの形で働いている全ての人が、仕事から学んでいる。その学び方は多様であり、学ぶ深さも人によって様々である。企業でサラリーマンとして働いている場合、週に40時間程度を仕事に費やすのだから、その働き方の質によって、学びの深さと幅が異なってくる。

 本書でも指摘されている通り、同じ業務でも、学びの蓄積によって中長期的なスパンで差が大きくなるのは自明であり、入社三年程度で先輩と後輩の逆転が生じるのも納得だ。だからこそ、「仕事を通じた学び方」を学ぶことの意義は大きい。

 本書は誠実な書籍だ。なぜなら、ビッグワードでお茶を濁そうとすることなく、一つ一つの言葉や考え方を、言葉を尽くして説明している。頭で考えながらというよりも、著者のインストラクションを受けているような感覚で読み進めていくことができる。

 特に共感をおぼえたのは、既存の理論やビジネス書をいかに活用するかに言及している点である。私は学術書を好んで(しかし苦闘しながら)読むが、ビジネスパーソンの中には、学術書は具体的でないから日常業務に使えないという考えを持つ方も多いようだ。しかし、抽象化されたものだからこそ、現実に具体化しようと読み手が努力することで得られるものがある。抽象化と具体化を行き来することなく頭で理解するだけでは、自身のビジネスに応用することはできず、仮に応用できるようなものであったとしても状況が変われば適用できなくなる。

 パブリックセオリーはその通りやれば必ず成功するというものではなく、自分のマイセオリーを補強したり、マイセオリーに”改造”したりするための材料だと考えましょう。
 マイセオリーを作ったら、補強材料となるようなパブリックセオリーがあるかどうか探してみましょう。(132頁)

 マイセオリーとは、自分自身で経験した成功例を状況・言動・結果の枠組みで整理し、それを状況・目指す結果・役立つやり方という三点セットに一般化したものである。神戸大の金井先生の考え方を当て嵌めれば、学術的な知見という理論に対して、マイセオリーは持論と形容できるだろう。仕事を通じて持論を創り上げ、それをさらに改善するために理論によって補強する。また、理論をそのまま現実に適用するのではなく、自分も持っている持論を媒介して応用しようとする。こうした理論と持論の関係性がわかりやすく述べられている箇所である。


 このように、本書は個人の学びを整理する上でも活用できるだろう。しかし、私がもっとイメージしたのは、育成担当者と新入社員とが本書を読み、本書の考え方をもとにして先輩が後輩を育成するシーンである。共通言語によって後輩が育成担当者に対して報告し、育成担当者が後輩をコーチする。新入社員は仕事の意義を考えながら一つずつ成長することができ、育成担当者は育成のマインドセットを育んで、将来マネジメントになるための貴重な準備となるだろう。


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