昨年末に、ある方から「なんのために働くのかを考えてみては」という言葉を投げかけられた。年末から年始にかけて真面目に考え続けた。その時の結論の詳細は忘れたが、主には、働く個人に中長期的に貢献することと、それを通じて自分自身が成長すること、の二点であった。
上記の回答に納得するところが大きい一方で、この問い自体を今後も考え続けたいと思ったものである。潜在的に考え続けていたせいか、本書を思い出して再読したくなった。キャリアを変える時も考えたい問いであると同時に、忙しくて仕事の意義や意味から意識がそれがちになっている時にも深呼吸して考え直したいものでもある。
考えているのはむしろ「いま出来ることは何だろう?」ということで、やりたいとか、やってみたいという気持ちはもちろん大切なものだけれど、その「出来ること」を支える小柱の一つにすぎない。変な言い方だけれど、「出来ることしか出来ない」と思っている。(37~38頁)
何かをしたい、目指したい、こうありたい、といった言葉は通常美しいものであり、持つべきものであると思われている。上に引用した通り、それを否定することはないのであろうが、出来ることにフォーカスを置くことも重要だ。これはリアリスティックに物事をとらえるべきだからではないだろう。出来ることを中心に置き、そこから何を加えていくかを考えて行動することで、結果として自分がやりたいことに繋がっていくのではないだろうか。
「大切にしたいと考えている」ことではなくて、実際に「大切にしている」ことは何だろう?思考を介さずに、自然と身体が動くように自分がくり返ししていることは?(58頁)
出来ることにフォーカスを置く延長として、自分自身が自然とずっとやり続けていることに意識を向けると、自分が大切にしていること、理想としていることにたどり着く。このように考えれば、何かを考える時に、将来にばかり思いを馳せるのではなく、過去に行った具体的な行動に着目し、その結果として今自分が大事にしている価値観が現出してくる。
どんな仕事の先にも必ず人間がいる。そして仕事の意味や質は、その人間をどんな存在として見ているかによって決まる。さらに人間がどう見えるかは、自分が自分のことをどう見ているかという目線の質にかかってくる。(250頁)
再読していると、概ね、以前自分が面白かったところがもう一度面白く感じるものだ。しかし稀に、全くマークをしていなかった箇所に惹きつけられることがあり、上記はそのケースである。仕事の先には人間がいる、という表現が心地よく、それによって仕事の意味や質が規定されるという考え方もしっくりくる。さらには、他者の見え方は自分の目線の質に因る問いう部分もドキッとさせられる。
好きなところも、嫌いなところもあります(笑)。でもそれも含んで尊敬しているんです。いろいろな時代を経て生きてきた人たちとつくっているのだから、全部ひっくるめてお付き合いしないと。(182頁)
インタビューの中で出てきた言葉。尊敬する他者に対しては、好きでなければと思い、嫌いな部分があるとそう感じる自分を責めたり、もしくは他者を見る自分の目の誤りに辟易とすることがある。しかし、他者を尊敬することは、その他者を好きになることを意味しないと著者は述べる。この考え方に救われた。尊敬する人物もまた人間であり、多様な側面を持つ。したがって、全人格的にその他者を好きになるということは極めて稀なことであろうし、おそらくは生じないのではないだろうか。
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