2019年1月27日日曜日

【第925回】『渋沢栄一の「論語講義」』(渋沢栄一、守屋淳編訳、2010年)


 『論語と算盤』で有名な日本近代産業の父とも言える著者が、実に八五歳の時に刊行したのが「論語講義」である。それを編訳者が現代語訳に訳し直したものが本書である。渋沢が、西郷・大久保・木戸といった明治維新の英傑を例にしながら論語を紐解いたものを現代語で読めるという贅沢な一冊である。

 論語における主要な概念の一つは仁であるが、論語の中で仁は定義されていない。渋沢は講義の中でいくつかの解釈を記しており、編訳者はそれらをもとに「人のもともと持っている愛情を、他人や社会により広く押し広げていくこと」(30頁)とまとめている。

 渋沢の講義は自身に引き付けて具体的に為されている。たとえば「四十にして惑わず」で有名な為政第二・四では、「わたしのように徳の薄い者は、そうはいかない」(47頁)として、不惑を過ぎても自制を自分自身に言い聞かせてきたようだ。

 また、温故知新で有名な為政第二・十一の解説では以下のように若者に対してメッセージを送っている。

 さて、世の中を見ると、新しい学問を追うと、古典や伝統を忘れて着実さを欠きがちになる。これに反して古典や伝統ばかりにこだわっていると、新しい学問に疎くなって、前例主義に流れ、偏屈になりやすいのが古今万人の通弊である。今日もっぱら欧米の新しい学問にのみ没頭して、東洋二千年の道徳学を忘れ去ってしまうのは、その弊害のもっともはなはだしいことだ。
 若いみなさんは、この間の事情によく心をとめて、新しい学問を追っても古典や歴史を忘れないようにするのと同時に、古典や歴史を学んでも新しいものを取り入れる気持ちを失わず、古典や歴史から新しいものを学びとらなければならないと思う。(50~51頁)

 述而第七・八では、詰め込み型の画一的な教育を否定し、また学ぶ側の主体性を強調して教師による過剰な介入をも否定する。こうした状況を踏まえて理想的な教師と弟子との関係について「ある一面だけを師がひな型として告げたら、それ以外の部分が弟子が自分で考えて、逆に質問しにくるに任せる」(138頁)と端的に述べる。

 孔子の教育に対する思いは他の箇所にも現れており、渋沢の解説もまた奮っている。たとえば先進第十一・二十一で子路と冉有の異口同音の質問に異なる回答をした孔子に同意し、孔子の発言の背景について以下のように解説をしている。

 教育の本当の意義とは、まったくこのようにあるべきだ。その才能の違いに応じて、ふさわしい教育を施すのが、最も意義ある理想的教育である。(187頁)

 付和雷同を戒めた子路第十三・二十三での解説では、春秋時代の政治家である晏嬰が和と同を峻別した解説を渋沢は引用している。

「『和』というのは、煮物のようだ、水と火、酢と醤油、塩、梅を使って魚や肉を煮る。煮るには薪を使い、調理人が味を調える。物足りなければ味を加え、濃すぎれば薄めるといったよう味加減を決めて行く。立派な人間は、これを味わって豊かな気分になるのだ。
 君主と臣下の関係もまったく同じこと。君主が認めた事柄でも、問題点があれば家臣はそれを指摘して払拭されるように取り計らう、逆に君主が却下したものでも、見どころがあれば家臣はそれを指摘して、一面的な見方を取り払う。この結果、政治は安定して衝突もなく、人々から争う心も消えるのだ。
 一方、水に水を加えていっても、誰がその味を喜んで飲み食いするだろう。もし琴の弦がみな同じ音しかでなければ、誰が喜んでその音楽を聞くだろう。『同』に問題があるのは、まさしくこのようなのだ」(211~212頁)

【第57回】『渋沢栄一 Ⅰ算盤篇』『渋沢栄一 Ⅱ論語篇』(鹿島茂、文藝春秋、2011年)
【第340回】『ドラッカーと論語』(安冨歩、東洋経済新報社、2014年)
【第92回】『論語』(金谷治訳注、岩波書店、1963年)

2019年1月26日土曜日

【第924回】『身体感覚で『論語』を読みなおす。』(安田登、新潮社、2018年)


 論語を学びたい方に広くお勧めしたい一冊。著者は、論語で書かれている字に着目して孔子が述べたかったことに迫ろうと丹念に努めている。白川静氏の漢字関連の書籍は興味がありながらも難しく感じていたが、本書では論語に特化してそれぞれの字の背景や意味合いが述べられているので入りやすかった。

 論語は学而編から始まり、その「学而」として略されている「学而時習之」の解説が本書の冒頭で為されていた箇所が衝撃的であった。一字ずつ見ていく。

 まず「学」について。これは、教師が説明する内容を机に向かって淡々と「学ぶ」というイメージを私たちの多くはもつが、論語での「学ぶ」は違うと著者は指摘する。学ぶとは、「机に向かってする勉強ではなく、手取り足取り教わり、そして自分でも手足や全身、五感をフルに使って何かをマネする」という「まねぶ身体」(24頁)を意味するという。学ぶということが「まねぶ」から来ているとはよく言われるが、その背景まで説明されると、いかにそれが主体的かつ身体的な作用であるかがわかるだろう。

 二番目の文字である「而」は、漢文の授業では置き字として分類され、特に意味はないと学校の教師は説明するものである。著者は、そのような理解を取らず、而とは「呪的な身体時間」(26頁)を指していると解釈し、「まねぶ」ことには途方もない時間が掛かるという意味合いを出していると主張する。パッと本を読んだり、研修を受ければ私たちの言動が変わることはないのであり、首肯できる箇所ではないだろうか。

 三つ目は「時」である。而で長い期間が表れている中で、この「時」は「時をつかむ」(28頁)という意味であり、易経における「時中」をイメージすればわかりやすいだろう。より詳細には以下の引用箇所を読めばおわかりいただけるのではないだろうか。

 つらく苦しい「学」が続く。そのつらく苦しい時の果てに輝く「時」がやってくる。それをガッと摑まえる、それが『論語』の「時」なのです。(29頁)

 五番目の「之」は指示代名詞であるから特に解説はなく、実質的な最後の文字は四番目の「習」であり、これは「解き放たれる身体」(29頁)と端的に著者は解説する。長い時間をかけて学びを体得した結果として、身体が軽々と解放されるという感覚をここで示しているようだ。

【第693回】『論語』(金谷治訳注、岩波書店、1963年)【4回目】
【第642回】『すらすら読める論語【2回目】』(加地伸行、講談社、2011年)
【第340回】『ドラッカーと論語』(安冨歩、東洋経済新報社、2014年)

2019年1月20日日曜日

【第923回】『ビジネスエリートの新論語』(司馬遼太郎、文藝春秋社、2016年)


 著者が亡くなられて十数年後に出版されたためか、出版社サイドの付けたタイトルに品位を感じられなずに気になりながら読まず嫌いだった一冊。

 「論語」をタイトルで語っておきながら論語はあまり扱われていない点は差し引くとしても、著者のエッセーとして割り切れば面白い。とりわけ新聞記者時代の若い時分の著者が何を考え、何を論じようとしていたかを勝手に想起しながら読むと興味深かった。

 運命は、神の考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構だ。(139頁)

 出典は残念ながらわからないのだが漱石の言葉らしい。努力をすることは大事だし、目的に向かおうとすることも大事だろう。しかしその結果に固執するのではなく、結果は神に委ね、うまくいったら運命のおかげにし、私たちは自分自身の営為に集中する。考え方として健康的であり、結果に一喜一憂せずに済む。

【第518回】『すらすら読める論語』(加地伸行、講談社、2005年)
【第340回】『ドラッカーと論語』(安冨歩、東洋経済新報社、2014年)
【第92回】『論語』(金谷治訳注、岩波書店、1963年)

2019年1月19日土曜日

【第922回】『タテ社会の人間社会』(中根千枝、講談社、1967年)


 社会学における古典的名著と呼ばれる一冊。出版から半世紀以上が過ぎたいま読んでも新鮮な感じを受けるのだからすごい。たしかに時代を経て日本社会は変化してきおり、明らかに古い印象を受ける箇所はある。しかし、日本社会を通底する「タテ社会」の本質は、今でも読者を魅了するだろう。

 一定の個人からなる社会集団の構成の要因を、きわめて抽象的にとらえると、二つの異なる原理ーー資格と場ーーが設定できる。すなわち、集団構成の第一条件が、それを構成する個人の「資格」の共通性にあるものと、「場」の共有によるものである。(26頁)

 様々な社会を比較した時に、資格と場の二つの要素の捉え方の度合いによって特徴が形成されるという。では日本社会はどうかというと、「日本人の集団意識は非常に場に置かれて」(28頁)いると著者は述べる。これは企業組織を想起すればわかりやすい。

 欧米の企業では職種に対する専門性が求められ、一つの職種でキャリアをすすめるのに対して、日本の企業ではその企業組織に求められる特殊知識が求められジョブローテーションで異なる部門での業務を経験する。その結果として、同じ企業に属する社員同士の精神的結びつきが強くなり、同じ職種でも他社の人々との交流は限定的である。もちろん、時代を経るに従ってその度合いは変わってきているが、今でもこのような特徴は残っていると言えるだろう。

 年功序列制というのは、勤続年数に応じて、地位や賃金体系が設定されている明確な制度であるが、このように制度化されなくとも、日本のどのような分野における社会集団においても、入団してからの年数というものが、その集団内における個人の位置・発言権・権力行使に大きく影響しているのがつねである。いいかえれば、個人の集団成員との実際の接触の長さ自体が個人の社会的資本となっているのである。しかし、その資本は他の集団に転用できないものであるから、集団をAからBに変わるということは、個人にとって非常な損失となる。(55頁)

 場の共有に意識が置かれる帰結として、実質的な年功序列制が組織の原理として導入されると著者は指摘する。つまり、場をいかに共有したかという点に価値があるため、長くその場にいて場における分脈や歴史を理解していることが組織でうまく機能する条件となるのである。

 「ヨコ」の関係は、理論的にカースト、階級的なものに発展し、「タテ」の関係は親分・子分関係、官僚組織によって象徴される。(71頁)

 年功序列制は、序列に従った力関係を導きながらも、組織を構成する人々の間に情緒的な関係が築かれる。「同じ釜の飯を食べる仲」という、苦楽をともにしながら同じ目的に向かって進む強固な組織となる面がある。

 日本人の人間関係のあり方、それによってできる「タテ」の組織は、必然的に、将校とか、大学教授、労働者などという共通の資格というものを基盤としたグループ意識を非常に弱める結果となっている。この内部構造からくる同類意識の薄弱性は、社会集団が枠によってできるため、自己の集団外にある同類とも袂を分かっていることと相まって、いっそう弱体化されている。ここに同類意識に代わって登場するのがいわゆる同族(一族郎党的な)意識である。(93~94頁)

 他方で、「タテ」の組織は親分・子分といった内側の論理に固執し、外に対して閉じた頑なな態度にも繋がりかねない。この傾向は、排外的かつ敵対的なものにすらなる可能性を有していることに留意が必要であろう。

【第829回】『徳川時代の宗教』(R.N.ベラー、池田昭訳、岩波書店、1996年)
【第786回】『断片的なものの社会学』(岸政彦、朝日出版社、2015年)
【第765回】『<日本人>の境界』(小熊英二、新曜社、1998年)
【第403回】『気流の鳴る音(2回目)』(真木悠介、筑摩書房、2003年)

2019年1月13日日曜日

【第921回】『大久保利通』(佐々木克監修、講談社、2004年)


 薩摩時代から維新にかけての盟友であり、最後は「賊軍」にもなった西郷隆盛が人気であるのに対して、後世から大久保利通はあまり肯定的に見られていないようだ。

 しかし、西郷隆盛や高杉晋作らが幕府を倒すエネルギーを発揮したのに対して、倒幕後の統治にエネルギーを注いだのが大久保である。大久保なくして近代日本が形をなしたかはわからない。本書では、大久保を知る多様な人々がその人となりを語っており、大久保利通という人物が立体的に描かれる。

 父はこういう相談には頭から反対したり、いけないと言って止めたりはせず、あまり賛成しない時は、ただもっと考えてみたらよかろうと言うのが常であった。(31頁)

 大久保の次男・牧野伸顕が語った箇所である。子どもの意志を尊重し、放任ではなくオープン質問で子どもに考えさせて責任感を持って人生に取り組めるように関与しているようだ。三男・大久保利武も「子供は大変可愛がった方でした。」(203頁)と述懐しているように、子どもを愛し、子どもから愛された人物であった様子が見受けられる。

 久光公は碁が好きだ。碁をもって近づけば、近づけぬことはあるまい。その時、公はまだお徒目付である。到底お傍へは寄れぬが、碁ならばお慰みの序に、お側へ上がることもできる、お側へ上がってしまえば、いかなるお叱りを蒙っても関わず、思うところを吐露して君公を動かそう、そうして家老なんどに藩政を任さず、新進の鋭才でもって藩政を改革し、勤王の魁をやろう、こういうつもりで万事に思慮周密の大久保公が、これからぼつぼつ碁を習いはじめたのである。(264頁)

 妹や姪が語った箇所であり、大久保の政略的な動きが否定的に後世で捉えられるようになる根拠ともなるようだ。著者は、この談話が得られた後である1921年に発見された大久保自身の日記に久光と打つ約九年前から碁を打っていた箇所から「碁を習いはじめた」という箇所の誤謬を主張する。

 著者の大久保擁護もわからなくはないが、やはり大久保は、島津久光と共有できる場を創るために意図的に碁を利用したのではないだろうか。但し、こうした戦略的な行為は、否定的に捉えられるべきものではなく、むしろ当たり前でありさらには好ましい行為のように私には思える。相手の懐に入ろうと思えば、相手の価値観に触れ、相手の土俵に上がることが重要であり、大久保の行動のどこを否定的に捉えるのか、私にはよくわからない。

 物事を成し遂げるために、自身の想いを共有するステイクホルダーを増やすことは、いつの時代においても重要だと改めて考えさせられた。

【第644回】『「明治」という国家(上)』(司馬遼太郎、日本放送出版協会、1994年)
【第446回】『代表的日本人』(内村鑑三、鈴木範久訳、岩波書店、1995年)
【第846回】『ビギナーズ 日本の思想 新版 南洲翁遺訓』(猪飼隆明訳・解説、KADOKAWA、2017年)

2019年1月12日土曜日

【第920回】『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(古賀史健、星海社、2012年)


 活字離れが進み、出版不況とも言われる。しかし、それは文章を購入して読む機会が減っているだけなのではないか。

 2000年以降、ビジネス場面でのメールのやりとりが普通になった。2000年代中盤からはブログが書かれるようになり、2010年頃からはSNSでの受発信が日常となった。IT革命が叫ばれ始めた頃から、利用するメディアは時代とともに変わりながら、アウトプットする機会は増え続けている。

 では、文章を書くことを私たちは学んできたか。少なくとも私は、小中高大と学んだ記憶はなく、高校3年時に予備校の小論文の講座で学んだことが唯一の機会である。残念ながら、以前の日本における「普通の教育機関」では学生が文章を書くことを授業で扱ってこなかった。そのため、日本のビジネスパーソンが相手に伝わる文章を書くことが不得手であったとしても当たり前なのかもしれない。

 本書では、このような状況を所与のものとして、相手に伝わる文章を書くための考え方やポイントを教えてくれる。

 まず、伝わる文章を書くためには、「「美しい文章」など、目指すべきではない」(74頁)とする。きれいな日本語や美しい文章が書けることは素晴らしいことだが、私たち普通の人間が目指すことは現実的ではないし、決して必要ではない。

 美しい文章ではなく、私たちは、文章の「正しさを意識する」ことで「客観的な目線を意識する」(75頁)べきであると著者は主張する。論理的に正しい文書を目指すためには、自分が書こうとしている内容を充分に把握し、他者が理解し易いように接続詞を用いて論理構成を意識せよというのである。

 その前提の上で、視覚的リズムをつけるために、①句読点の打ち方、②改行のタイミング、③漢字とひらがなのバランス(83頁)の三点を意識することが重要だそうだ。①では一行に一つは句読点を付けること、②については最大5行程度で改行をする、といった歯切れの良いアドバイスがありがたい。

 個人的に反省させられたのが③である。私の文章は漢字が多い。カタカナは意識して減らすようにしているのであるが、漢字をもっと減らそうと思う。但し、ひらがなが多すぎることも読み手にとってストレスになるとのことであるので注意が必要だ。

 もう一つ、興味深かったのは文章のはじめ方である。

 あなたが「プロ野球は最高に面白い!」と主張したいのなら、冒頭は「プロ野球人気の凋落が叫ばれて久しい」と、真逆の一般論で始めなければならない。
 真逆の前提があってこそ、あなたの主張が”転”として機能する。大胆な仮説や疑問を投げかけたように思わせ、読者の興味を引きつけることができるのだ。(197頁)

 起承転結よりも起「転承」結を著者はオススメする。実際、読者が興味を抱きやすい入り方は、引用箇所のプロ野球の例でもわかるように起転承結なのかもしれない。意識して取り組みたいものである。

【第858回】『伝わる・揺さぶる!文章を書く』(山田ズーニー、PHP研究所、2001年)

2019年1月6日日曜日

【第919回】『最後の将軍』(司馬遼太郎、文藝春秋社、1997年)


 薩摩や長州、土佐といった明治新政府側に立った作品でも、幕藩体制を守り抜こうとした会津や新選組を描く書籍を読んでも、徳川慶喜は得体の知れない人物であった。何を考え、何を為そうとして行動したのかが理解できず、言動に筋が通っていないように思えてしまうのである。

 本作では、著者の主張は一貫している。徳川慶喜という人物は、他者からの期待が先行し、本人自身も優れた力量を身につけたためにある程度適合できたが、何かを為したかったわけでは決してなかった、という指摘である。

 人の生涯は、ときに小説に似ている。主題がある。
 徳川十五代将軍慶喜というひとほど、世の期待をうけつづけてその前半生を生きた人物は類がまれであろう。そのことが、かれの主題をなした。(3頁)
 慶喜はいわば百才を持ってうまれたが、ただひとつ、男として欠落している資質があった。それは、物事に野望を感じられぬということであった。慶喜自身、世子や将軍になりたいとおもったことは一瞬もない。(36頁)

 立場が人をつくる、という言い方がある。たしかにその側面はあるだろうし、とりわけ言動に関しては立場に即したものに変容し易いだろう。しかし、人が抱く思想信条までもが立場によって変容するかどうかは難しく、変容するとしても言動より長い時間を要するのではないか。

 慶喜の場合、徳川家を継承し、政治権力の第一人者を担う上での野望を終生持ち合わせることができなかった。しかし、それを誰が否定できるものであろうか。大政奉還を行った時の慶喜は三十路になる直前の青年にすぎない。薩長土の傑物たちも同じ年代ではあるが、政権を守る側と、それを破壊しようとする側とでは、担うものの大きさが異なる。

 ーー多能におわす。
 ということは、自然、そとにも洩れた。この点も神祖(家康)に似ておわす、という評判を、かれの支持者たちはささやいた。(79頁)

 慶喜は、家康の再来という評判によって徳川側からも薩長側からも過大な評価を得ることになったと言われる。その一つの要素が多能であった点のようだ。多能な才能が彼をして英傑な人物として将軍の座にせしめた一方で、三十路を迎えた直後の戊辰戦争以降の長い隠居生活をゆたかにしたようでもある。

 暗殺された坂本龍馬や大久保利通、周りに担がれて賊軍の名で死を迎えた西郷隆盛の生涯と比べて、慶喜の生涯は必ずしも不幸なものとも言えないのかしれない。

【第644回】『「明治」という国家(上)』(司馬遼太郎、日本放送出版協会、1994年)
【第717回】『覇王の家(上)』(司馬遼太郎、新潮社、2002年)
【第718回】『覇王の家(下)』(司馬遼太郎、新潮社、2002年)
【第810回】『西郷南洲遺訓』(山田済斎編、岩波書店、1939年)

2019年1月5日土曜日

【第918回】『約束の海』(山崎豊子、新潮社、2016年)


 未完の遺作として有名な本書。漱石の『明暗』を出すまでもなく、偉大な作家の未完の遺作というものは、読者側に不思議な余韻を残すものである。終盤に向かうに連れて、まだ終わってほしくないという欲求が強まってしまうのはしかたがないものであろう。

 なだしお事件を彷彿とさせる海難事故が、主人公に影響を与える一つの出来事として生じる。個人的には、なだしお事件が起きた当初は小学生であり、なんとなくの記憶しかないが、自衛隊に対して否定的な報道を多く目にしていたように記憶している。その記憶に合致するかのように、自衛隊員である主人公は、思い悩み、自身を責める。

 山崎作品の凄さは、その中で主人公が揺れながらも逞しく生き抜こうとする点である。もちろん、他の作品の中には耐えきれずに自死を選ぶ人物も出てくるが、多くは、苦しみながらも生き抜こうとする。そこに、著者の作品が私たちを魅了する理由があるように思える。

 畏れを抱きながらも、揺るがぬ決断がそこから生まれる気がした。(374頁)

 絶筆となった第一部が完結する文章である。主人公が、海難事故のショックで辞職を半ば決意しながらも、それに叛意を促すような周囲の働きかけに答え、アメリカでの訓練・研修をまずは受けてみようと決意する姿は清々しい。

【第494回】『白い巨塔(一)』(山崎豊子、新潮社、2002年)
【第799回】『華麗なる一族(上)』(山崎豊子、新潮社、1980年)