2014年9月6日土曜日

【第333回】『山本七平の日本の歴史<上>』(山本七平、ビジネス社、2005年)

 結局私は、漱石の意向とは関係なく『こころ』という作品を、「天皇制のパイロット・プラント」として見ていたということである。それは、私が日本の歴史について何か書くとすれば、私の位置は『こころ』を「天皇制のパイロット・プラント」として見た位置であり、その位置でしか対象を見得ない、ということである。そのことの当否は私には関係ない。見えた通りに書くだけである。従って『こころ』は私の日本史の序説である。(137頁)

 著者の書籍は何冊か読んできた。興味深く読んではきたが、本書ほどのインパクトはなかった。本書で著者は、日本人や天皇制について存分に論じ尽くす。その序説として、『こころ』を取りあげている。この解説が非常に面白い。読み応えがある一方で、端的な筆致でまとめあげられている。

 すべては竹林の薄明のごとく一見まことに明晰であり、自由に踏みこむことができ、どこにも障害がなく、すべては静かで、疾風も怒濤も砂嵐も烈日もない。すべてが温和である。それでいて、奥は見えず、道はなく、始点も終点もなく、自分の歩いた跡すら不明になる一つの世界、そういう世界、それが日本であり、その日本の空間を象徴するものが漱石の『こころ』であろう、と私は考えていた。(27~28頁)

 日本における世界観とは、始点も終点も見えず、中が何も見えない、空洞のような世界である、と著者は端的に述べる。では、なぜ空洞のような、無重量状態における人間という存在が日本では現出されるのであろうか。

 無重力状態の無菌人間にしてはじめて正常な感覚をもち得るのであり、そしてそれによってすべてを明確に感じうる明晰さは、これもまた竹林の薄命に似ている。ここには騒々しい「思想」の主張もなければ、空の盃の献酬に等しい議論もない。(33頁)

 無重力状態において、何からも制約されない存在であるからこそ、世界を正常に感覚することができる。こうした人間像が日本における理想の姿であると著者はしている。このような考え方であるからこそ、時間に対する感覚も日本独自のものとなる。

 時間が過去から未来へと流れれば、未来は既知であり、未来を見れば、そこに「過去」が見えるのである。従ってこういう時間に生きる日本人が「こうなれば、必ずこうなる」と言っても不思議でない。「私はこうするであろう」もなければ「あなたはこうするであろう」でもない。「必ずこうなる」のである。確かに日本人にはそういえるはずだ。従って日本語の時制が不明確だという考え方は正しいとはいえまい。その人がその時間に生きているなら、それはその人の時間だからである。(41~42頁)

 まず時間軸については、過去から将来へという方向性になる。これは「最後の審判」という将来のある時点を基にして過去のすべての人間の行為を裁くというキリスト教的な世界観と真逆である。さらに、「なる」であって「する」ではないという点から、人間の意志や主体性といった存在の欠落も日本における特徴として著者は指摘している。こうした意志のない人間の行為の積み重ねが過去から将来へと連綿と繋がって行く様子は、『こころ』におけるK・先生・お嬢さんという三者の関係に現れていると著者はする。少し長い引用にはなるが、以下をお読みいただきたい。

 Kは、確かにその「生涯」の一部を、否おそらく全部を「先生」に遺贈した。それが「お嬢さん」であった。だがこの遺贈は、果して、普通の遺贈であったろうか。「先生」が父の遺産を叔父に横領されたように、Kはその「生涯」を「先生」に横領されたのではないであろうか。先生は、横領された遺産を取り戻そうとはせず、むしろ、叔父に横領されるがままにして故郷を去った。同じようにKは、その生涯を「先生」に横領されるがままにして、この世を去ったのではないか。もしそうなら、「先生」は「お嬢さん」と結婚することによって、Kの「生涯という遺産」を一方的に相続したことになる。そして一人の人間の生涯のすべてを遺産として受けとることになるなら、「先生」はKの生涯という資産とその資産の裏づけに等しき負債を否応なく相続したわけである。それを象徴するものがKの墓であり、「先生」にとって「墓」と「奥さん」は、同じようにKから相続した「生涯という遺産」になってしまう。そして確かにそうなった。「先生」はKの遺産をすべて非常に大切にする。奥さんも墓も。だがそのことによって「先生」は、墓の時間すなわち「死者の時間」に立たざるを得ない。だがそうなれば、時間は過去から未来へと流れ、未来を見れば、そこに見えるものは過去になる。そしてそれが先生の生存と生活を規定していく。規定している以上、それは確かに「思想」である。(60~61頁)

 過去から将来へ連綿と続く時間の流れの中で、意志のない主体による行動が結果として立ち現れ続ける。そうした全ての行動が生き残った後世の人間へ引き継がれ、そうした意味において、過去における人物は将来のある時点における人物の中に生き続ける。過去の行為が将来の行為を規定するという意味合いにおいて、そこには意図なき主体における思想であると著者はしている。無責任の体系と言った人物もあるが、こうしたものが日本的な思考様式なのであろう。こうした世界観における理想的な人間像を著者は「純粋人間」と呼ぶ。

 「欲望の無重力状態」における「利害関係の無菌人間」が「道」に対して緊張関係にあるときこれを「純粋人間」と呼び、こういう人間の実在を信じかつ感覚しうる状態にある人びとによって構成される社会が、「天皇制」と呼ばれる社会なのである。(81頁)

 ここで著者は、大胆にも「先生」の友人であるKを天皇のような存在と近しいと喝破する。著者は続けて、その共通点に関する詳説へと移る前に、Kを苦しめた「欲望の無重力状態」の正体に迫る。

 「K」の苦しみは、一に、「恋」と「道」との二者択一であり、この「K」の態度には、「先生」と同じ自明の前提がある。そして両者に共通するこの自明の前提がない限り「精神的向上心のないものは馬鹿だ」という言葉は、「K」の「恋の行手をふさぐ」「一言」とはなり得ないはずである。もし「K」が「先生」のすべてを見通し、「お嬢さんへの恋は精神的向上と対立しないどころか、君と同様に私にとっても、その恋自体が精神的向上の方向にある。私のお嬢さんへの愛も宗教的信仰に等しく、お嬢さんのことを思えば、君同様に私も、気高い気分が乗り移って来るのだ」と言えば、「先生」は一言もないはずである。しかし、こういう返事が来ることは絶対にないことを、「先生」は知っていた。(98~99頁)

 Kと先生との緊張関係は、『こころ』における重要な関係性の一つであろう。柄谷行人は三角関係という鍵概念で説明を試みた(『マルクスその可能性の中心』(柄谷行人、講談社、1990年))のであるが、著者は日本人が抱く「自明の前提」と言う表現で説明を試みているのである。では「自明の前提」とは何か。

 では一体、なぜ「K」すなわち、「純粋人間」にとって恋は裏切りであることが自明の前提であり、また二人が口にする「共通項=人間」が「お嬢さん」なのであろう。ここに「K」の求愛をはばむ「何か」と「先生」を「狐疑させた何か」ーー前述したように、「先生」は確かに「お嬢さん」がほしい、しかしその「お嬢さん」を手に入れる過程において「何か」を失うことを、極端に恐れているーーその「何か」が、実は同質の対象であること、すなわちこれが別の「共通項」であることにここで気づかざるをえないのである。(100~101頁)

 自明の前提とは、Kにとってのものと「先生」にとってのものとどちらにとっても同質な何かであると著者はしている。したがって、「先生」はそれを疑い、Kの死後は自分自身が保有し、将来における「先生」自身の死へと繋がる何かである。こうして『こころ』を序説として、日本人とは何かという論点へと著者の論理展開は繋がっていく。

 日本人には明らかに「純粋国家」という概念がある。個人のもつ基本的な欲望、いわば飲・食・生存といった最低の基本的欲望の充足は、本人の意志を無視する重力の如くに作用すると考えれば、それは、言うまでもなくその個人の集合体である国家にも、その国家の意志を無視する重力の如くに作用するはずである。しかし、純粋人間が、こういう重力=欲望からの無重力状態にあるならば、純粋国家という概念も、この欲望からの無重力状態にあるはずである。第二に、国際間の利害関係および国内におけるさまざまの利害関係の外で培養された「無菌国家」という概念がこれに加わる。さらにこの状態に、何らかの「道」ーーそれが何と呼ばれてもよいし、その内容は全く不明でもよい。何か、たとえば「肇国の精神」「道義国家」「八紘一宇」「平和国家」「文化国家」といったようなものーーとの緊張関係が加わるという状態、この状態が日本人の「純粋国家」という概念であって、それは常にさまざまな衣装をまとい、よそおいを新たにして登場しても不思議ではない。もちろん、こういう純粋国家は、現実には存在しない。そしてそれが存在しえない理由を、日本人は常に、いわゆる「社会の壁」や「国際問題における社会の壁」に求め、それらを排除すれば、純粋国家が出来上ると思ったり、いや、地上のどこかにすでに純粋国家は実在していると夢想したりして、さまざまな国に純粋国家という概念を投影してみたりする。そのうちに、その投影をまた自国に反射してみるようになる。(103~104頁)

 日本人の理想像は、無重力状態における「純粋人間」であり、その集合体としての日本という国家の理想像は「純粋国家」であると著者はしている。内的に純粋であるということは、外部との接点という観点から「無菌国家」という概念がそこに付け加えられる。これらが結びつくかたちで、理想的な国家形態が創り出され、驚くことにその内容自体には様々に形容される。さらには、そうした理想状態を他国に投影することによってその国家を純粋に憧憬し、自国を蔑視するということにもなる。そうした考え方の帰結は、純粋であるが故に破滅的なエネルギーを生み出すことになる。

 その結果、内外の壁を打ち砕き取り除くため、大規模な軍事行動や小規模な銃撃戦を起す。「純粋機構」の創出する「世論」は、もちろん常にこれに声援を送り、そのためには「策略」も罪悪ではない。しかし「壁」は、前述のように実は、「純粋人間」の逃げ道だから、「壁」をこわすことによって、「壁」のために「純粋」でありえなかったという「生存」のための言いわけを、次々に自らの中でふさいで行く結果になる。その結果は、「K」の如くに自殺するか、一億玉砕という自殺スローガンになるか、「生きていて相すみません」という不思議な「生存の言いわけ」の哲学に生きるか、という状態になる。(104頁)

 他者を殺すか、自分を殺すか。この二つが純粋国家における純粋人間の行動であり、両者を選択できない人間は、どちらも選べずに生き続ける自分を謝るしかないのであろう。息苦しい選択を自分自身で行なう国家というのも、引いた視点で捉えると珍しい国民であろう。こうしたエネルギーの充満する中心に、理想的な純粋人間たる天皇が存在する、とするのが著者の説の中心を為すものである。

 実はこれが「天皇制」のもつエネルギーである。中心に、欲望の無重力状態、人間関係・社会関係における無菌人間を設定して、一種の真空状態を作り出す。これを「去私の人」と言いうるなら、そういって良い。本人は真空であるから、一切の意向はない。いや、たとえあっても、ないと設定される。従って意思決定も決断もない。それが徹底すればするほど、それはますます真空状態を高め、それが周囲に異常なエネルギーを巻き起して台風を発生させ、全日本を包み、東アジアを巻き込み、遠く欧米まで巻き込んで、全世界を台風圏内に入れてしまう。しかし「台風の目」は、静穏であり虚であり、真空であって、ここには何もない。たとえ「目」が非常な早さでどこかへ進行しても、それは、周囲の渦巻が移動させているのであって、「目」が「目」の意向に従って進路を決定しているのではない。(120~121頁)

 究極的な純粋人間、つまりはイデアとしての純粋人間には意志がない。むしろ、そうした中心にいる人物の周囲にいる人間がなんらかの思想を持ち込むことによって、周囲を巻き込んでエネルギーを増幅させていくのである。河合隼雄氏の中空理論を彷彿とさせるような論旨は、納得的である。

 『こころ』を下敷きにして日本人および日本という国家が理想とする純粋性を見出した後に、その源泉を著者は南北朝時代における天皇およびその周辺にあると指摘する。『こころ』に該当する当時のテクストとして著者が指摘しているのが北畠親房による『神皇正統記』である。

 まず自己正当化があり、それに基づく過去の再構成があり、その再構成に基づいてまた自己を「正統化」し、それによってその再構成で同時代の再構成を強行しようという、本稿のはじめでのべた行き方の典型的な一例である。(209頁)

 『神皇正統記』では、南朝の正当性を証明することが主眼とされていた。そのためには、過去を都合の良いように再構成させ、そうして再構成されたものをもとに自己の位置づけを再構成しようとしたのである。多くの歴史書がそうした宿命を持つものであろうが、その典型的な例を『神皇正統記』は提示していると著者はしている。その上で大胆にも、『神皇正統記』と『こころ』とを用いて、後醍醐天皇とKとを近しい位置づけに擬せられた存在であると主張する。

 『神皇正統記』と『こころ』を読み比べていくと、後醍醐天皇と「友人K」とは余り似すぎていて、時には、漱石が後醍醐天皇をモデルにして「友人K」を創作したのではないかという錯覚を抱くほどである。もちろんこれは錯覚だが、こういう錯覚を抱く結果となるのは、この両者の間に全く同じような考え方・生き方をした日本人が無数にいた、そして今もいる、ということの証拠であろう。これは日本教が生み出した、時代と環境と社会的地位を超越した一つのタイプに相違ない。
 後醍醐天皇も「友人K」も共に近づきがたい英才であり、刻苦精励、潔癖で、自己に対して峻厳で、倫理的であり、周囲の人間を感嘆させずにおかない資質がある。(213頁)

 純粋人間として描き出される後醍醐天皇とK。その特徴が共通点として列挙されると首肯せざるを得ない。さらには、後醍醐天皇が生きた時代とKが生きた時代との間に生きていた日本人の中にも、そうした特徴を有していた典型的な純粋人間がいたはずである、と著者はしている。その上で、両作品の近似性について以下のように結論づける。

 二人に共通する点を定義すれば、それは「自己規定の去私の人」という一言につきる。しかし前に述べた通り「自己規定の去私」は存在しえない。存在しえないものは消える。Kは自殺する。後醍醐天皇は生涯そのものが前期天皇制の自殺行為であるといえる。ただし二人とも墓は立つ。そしてこの墓に毎月花を捧げる人がいるように、そしてその人が、「無意識の去私の人」と共にいるように、前期天皇制を自殺へと追い込んでいった一人物が、後醍醐天皇のため壮大な寺を建てて供養するーーその人の名は足利尊氏である。そして、『こころ』の「私」にあたる人物が、その経過を印、その「遺書」を後代に送った。それが『神皇正統記』であり、「私」は親房である。(214~215頁)

『山本七平の日本の歴史<下>』(山本七平、ビジネス社、2005年)

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