2014年9月23日火曜日

【第342回】Number861「革命を見逃すな。」(文藝春秋、2014年)

 テニスの錦織圭選手とプロ野球の大谷翔平選手を特集した本号。若いホープの活躍に魅せられるのは相変わらずで、タイトル買いしてしまった。特に印象に残ったのは大谷選手に関する以下の三点。

 「確かに、今年はここに投げなきゃいけないとか、こういう球を投げなきゃいけないという部分を、あまり考えなくなりました。自分がやってきたリズムやフォームに集中して、こう動いて、こう投げると、きっとこういう球がいくと考えて投げれば、別にどういう球がいこうとも気にしません。去年は、一人一人に対して、どう投げなきゃいけないかってことばかりを考えて投げていたんですけど、今年は自分の球をしっかりと投げればいいのかなと、割り切って投げてます。そこは、相手のことよりも、しっかりと自分の持ってるものを出そうということです」(31頁)

 彼自身のこの言葉には、練習やルーティンといったプロセスに対する自負と自信が垣間見えるようだ。プロセスに対して意識のぶれがないため、結果としての投球に対して過敏に反応をしない。投手という繊細なアスリートにとって、こうした自信と大胆さとが合わさったことが、二年目の飛躍に繋がったのではないだろうか。

 「大谷は花巻東にいたころから、場面と状況によって自分を使い分けていました。投手の大谷と打者の大谷とは違うし、試合の局面によっても変わる。プレー中は攻撃的なところを剥き出しにしますが、私やチームメートと話すときは穏やかで淡々としてるんですよ。そんなメンタルの強さがあるから、何を言われても落ち着いていられるんじゃないか」(48頁)

 二刀流というこれまでの日本のプロ野球史では非常に希有な存在であっても、高校野球では実質的に遂行している選手も多い。彼もまたその一人であった。それぞれの役割において意識を使い分け、また場面ごとによっても自分自身の意識を変えていた、と高校時代の監督に言わしめるのだからすごい。こうした投手と打者とでの意識の違いについては、以下の栗山監督の言葉にも現れている。

 バッターの翔平は、何を言っても素直に聞くし、「ここは送らなくていいんですか」と訊いてくる。でもピッチャーの翔平ときたら、どれだけこっちの言うことを聞かないか(笑)。ピッチャーをやると、翔平は試合に入り込んじゃうんだ。あの負けず嫌い、頑固さは責任感の表れなんだろうね。チームを絶対に勝たせるという先発ピッチャーとしての責任感があるから、誰が何を言っても聞かない。いいと思うけどね、そういう翔平も……。(36頁)

 投手と打者。役割が異なればメンタリティーも異なるものだ。それを、自然なのか演技なのかはわからないが、巧みに使い分ける。彼の今後がたのしみでしかたがない。


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